2009年8月15日土曜日

名古屋での嬉しい出来事

 昨日は名古屋。建国寺にお伺いをして、石川御導師と面会させていただき、清優師ともお話した。
 ここには何度も書かせていただいているが、名古屋の御導師には、こと細かくご奉公についてお教えいただいている。御導師のお話は、しっかりと歴史をおさえ、御書や御聖教、御指南に基づいており、何をお聞きしても勉強になる。
 話題は、立正安国論にはじまり、身延の山についての開導聖人の御見解、佛立教講の取るべき立場、教務道、ご弘通ご奉公の要点について、多岐にわたって純粋にお話できる。本当に、ありがたい。
 しかも、最近は特に地域性について学ばせていただくことができる。横浜と名古屋の違い。開導聖人が生まれ育ち、佛立のルーツである京都という街と特性について。革新と保守、リベラルとコンサバティブ、一概に規定することはできないが、たとえば横浜は日本発の開港を果たした街として極めて革新的な社会性を持っている地域だということ。新しいものへの好奇心が旺盛で、人種や生い立ちなどについて無頓着で差別意識が極めて希薄。たしかに、150年前はほんの数十人だった村が、幕命による開港によって一気に人々や文物が流入し、爆発的発展を遂げた街だ。
 横浜出身者などは皆無で、そこに集まる人々は、すべて外国人や他の地域から来て住み着いた人々だったろう。もちろん、妙深寺のある神奈川の宿などは江戸時代から栄えた古い宿場町だが、この横浜村の圧倒的な発展で、アイデンティティは180度変わらざるを得なかっただろう。つまり、横浜は常に進取の気風に富んでおり、差別意識などが希薄。これが、港町の特性。
 一方で、京都は1200年の歴史を持つ日本の古都である。開導聖人こそ進取の風を身に戴した方だったに違いないが、街そのものは保守的にならざるを得ない。まず、歴史と伝統を重んじなければ、街が守れない。変わらぬ価値を追求する。そのために、単純に新しい文物になびいていては、歴史も伝統も守れないと身を硬くする気質がある。こうして、1200年もの間、人々はここで生きて、ここで歴史を重ね、他の都市とは違う伝統を守ってこれた。
 開導聖人こそ特異な存在だ。あの時、この街で、これほどの感性で世を見つめた方はいないのではなかろうか。「開化第一」と謳った開導聖人は、歴史と伝統を重んじ、国学を研鑽し、公家に呼ばれて源氏物語の講義をするほどの文化人であったが、そこに固執することなく新しい時代、新しい国や人のあり方を見ておられた。
 仏教とは普遍的な宗教である。カーストを打破したブッダの教えは仏教の基本中の基本。マガダ国、コーサラ国など、当時の各国、各人種を超えて教えを説かれたことは歴史的な事実。ヒンドゥーの歴史や伝統を守りつつも、そこに生まれた矛盾を打破して、普遍性に目覚めよと説かれたのが仏教に違いない。
 港町と城下町。この狭い日本でも、いろいろな地域の特性がある。ここをしっかりとおさえて、ご奉公をさせていただかなければならない。御法門も、トンチンカンになってしまったりするだろう。心に届かず、ご信心の尊さが伝わらないのでは話にならない。本当に、深く、細かく、人間を見つめなければ。私のように能天気なだけではだめだ。歴史と伝統を重んじる京都で生まれて、進取の気風に富んだ港町・横浜で育った「お坊さん」として、保守であり革新、革新であり保守、その双方にも捉われず、しっかりとご奉公させていただかなければならないと思う。本当に勉強になった。
 それにしても、最近は嬉しい話ばかりが続くものだ。本当に、うれしい。未来は明るい。いや、明るくしてみせる。変な地震も続いている。きっと、時を置かずして大きな地震が日本を襲うだろう。それも、今年は仕方ない。覚悟しなければならぬと年頭から言ってきている。備えるしかない。
 でも、うれしい。

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