2009年10月13日火曜日

東京〜長野

東京駅から。

今日は、お祖師さまの祥月ご命日。朝は6時半から御総講で、御法門。有難く、大切に奉修させていただき、昨日から3週間お預かりするブラジルのモライス・教竜師をお参詣者にご紹介し、終わって8時半。全く時間がなくなってしまった。50分過ぎにお寺を出なければ電車に間に合わないので、慌ただしく家を飛び出した。

今日の御総講にて拝見したのは「平日のつとめに如才なきならば 臨終の時 後悔はなし」との御教歌。一つ一つのご奉公に、手落ちも、手抜きもなく、精一杯させていただくべきと教えていただく。凡夫の願いは尽きることがないが、やはり、信心の大きな目標を成仏に置く。如何に死を迎えるか。つまり、如何に生きるべきか。命の使い方、命の尽き方。確定的な「死」に向かっている私たちが、後悔なく生きるために、平日の、平生の、生き方、過ごし方、暮らし方を振り返れと教えていただく。

もし、手を抜き、手落ちがあり、ずぼらに誤魔化して生きていたり、はかない物事にあまりにも追われていたりしていたら、いつ来るとも知れない、しかし必ず訪れる「死」の時に後悔するに違いない。その時、いくら後悔しても遅い。老い、病、死。待ってはくれない。後悔しないように、精一杯生きてゆくこと。人間の本業を果たすこと。人にしか出来ないことをせよ。無駄に生き、無駄に死ぬな。あなたにしか出来ないことがたくさんある。

今朝は、この御教歌をいただいて、お祖師さまのご入滅、先住のご遷化について御法門させていただいていたら、不覚にも涙が溢れ、泣いてしまった。あかんな。まだまだ。しかし、真剣、真実、信心、まごころと情熱の妙深寺だから、許していただこう。先住、ありがとうございます。みんな、頑張っています。教えを受け継いで。

先日、大変苦しんでおられる方からのお話に、情けなくなった。その方は他寺院の方だが、ご家族でお参詣くださっていた。相談があるとのことでお聞きすると、家族の中に大変な問題を抱えておられた。何とかしたい。いろいろとお聞きし、お話をさせていただいた。自分のお寺の御講師に相談したが、そっけない返事をもらっただけだったとの事。これも情けない。しかし、残念ながら同じような話は他にもたくさんある。教務の資質。ご奉公の仕方も、プライオリティも、分かっていないし、教わったこともないのだろう。

とにかく、その方のお話をお聞きしてから御祈願をさせていただき、お会いするたびにお話をしていたのだが、先日、また生死にかかわる大きな出来事があったと聞いた。「なぜ、なぜ教えてくださらなかったのですか?」とお聞きすると、「大切なご奉公でお忙しいのに、私たちのような者がご迷惑をお掛け出来ないと思って。心労が重なってはいけないと思いました」とお答えになられた。この言葉を聞いて、悲しく、情けなくなったのだ。私たち教務は心労で死にたいのです。そのために生き、そのために存在しています。出来るかぎりの、精一杯のご奉公をしたい。みなさんご家族の一大事に、頼れない教務では存在してる意味がない。とにかく、何があっても、気にしないで連絡し、教えてください。そうお答えしたが、お聞きした言葉を何日も考えていた。

本当に苦しんでいる方々に気を使わせてしまっている。ただただ申し訳ない。とにかく、精一杯ご奉公させていただきたい。手抜きはなしだ。気をゆるめない。まだまだ余裕があるので、変な気遣いは無用です。後悔したくない。

東京駅からずいぶん長野に近づいた。指が痛い。携帯で書き込むのは下手だし、苦手だ。文章のまとまりもなくなる。しかし、とにかく、変な気を使わずに。ご奉公させてください。

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今年もいよいよ大詰めですー

いよいよ「今年最後」のご奉公が続き、「よいお年を」というご挨拶をさせていただくようになりました。 今年最後の教区御講を終えた日曜日の夕方、横浜ランドマークタワーのスタジオで白井貴子さんをゲストにお迎えしてラジオの収録を行いました。ずっと聴いていたいほど大切なお話が盛りだくさん。 ...