いや、その磁力は、人間の欲望によって生みだされ、数多の血が流されることによって強さを増してきた。いずれにしても、そんな磁力が備わってしまっている。
エルサレムには、人々の夢や憎悪が集約されている。私には、そう感じた。
仏教徒として、嘆きの壁に肉薄し、ガリラヤを歩き、パレスチナに入った。イエスの聖墳墓教会、アル・アクサー寺院の黄金のドーム。
人々を分断する壁を見上げながら、人類の未来に憂いを感じたし、仏教徒としての使命も感じた。
ここは、ほんの数ブロック程度の小さな旧市街地。400メートル四方の空間。この小さな聖地のために、数千年間も人々は血を流し続けてきたのだから、人類の病巣のようにも思えた。
エルサレムの磁力。
前回は、イラク戦争の開戦から半年、どうしても、あの大義なき愚行、蛮行とも言えるイラク戦争が許せず、イスラエルに行った。
もう一度、さらに強い意志を抱いて、人類の病巣とも言えるイスラエルやエルサレムに行きたい。
0 件のコメント:
コメントを投稿