ご奉公だから途中で投げ出すわけにはいかないし、今は10億円の巨費を投じた佛立会館の完成直前。毎日最重要の細かな詰めが必要となっています。電気系統にしても、ネットワークにしても、セキュリティにしても、看板の色合いまで、建設会社の方々も連日必死でなさっているから、こちらの対応も迅速でなけばならないし。巨額の浄財ですから、細部までご奉公者が確認しないと申し訳ない。
最近、この佛立会館や一階に設置されるミュージアムについて、僕個人の思い入れだけでやっているかのような話を聞きます。何をやってもそんな話はつきものですが、本当に心外ですし哀しい言葉です。きっと、そういうことを言われる方は、ご自身が「ご奉公」という名を借りて個人の思いを成し遂げるために「ご奉公」を利用している人なんだと思いますが、これは哀しいし、害があります。
思いつきと類推による弘通方針の策定や活動ではいけないと佛立研究所の論文に発表してきたのは僕です。個人の手柄などには興味もないし、浄財や宗門の立場を利用して個人の思いつきを実現しようなんて思ったこともない。そんなことを考えているのは卑しいし、本当に格好悪い。格好悪い生き方をするなら死んだ方がマシです。
ご奉公とは、公に奉る、御法さまに奉るものです。何度か書いてきたのだけど、僕は個人的に佛立会館の新築に賛同することができず、あらゆる機会にそう発言してきました。しかし、宗会で造営が決定されると造営実務者としてご奉公するよう任命され、その他の委員の方々と論理的に計画を検証し、ここまで来ました。
「目的」「目標」「方法」の整理。この佛立会館は何のために建設され、何のために活かされるべきか。社会情勢、宗門の現勢、教講の状況やこれまでの利用実績をデータ化して検証し、ご弘通に資する場所となる計画が検討されました。そして、社会に開かれた宗門の窓として「京都佛立ミュージアム」が誕生することとなりました。
とにかく、10月、お役から解き放たれるまで、しっかりと「ご奉公」させていただきたいと思います。
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