2013年4月30日火曜日

佛立イズム

3日間、晴天の下、盛大に、門祖日隆聖人550回御遠諱 記念大法要が奉修されました。今日の京都は雨でした。記念大法要の直前、25日、26日まで雨だったのですから、本当にこの3日間だけ、晴天というご褒美をくださったのですね。ありがたいことでした。

記念写真にも、真っ黒に日焼けした方々が映っています。京都駅の南側に設置された大型バスの待機場所。そちらでご奉公された方々は、本山とも、佛立会館とも、遠く離れてのご奉公。本堂内で行われた法要も、全く観ることが出来なかったのではないかと思います。本当に、大変なご奉公でした。ご奉公いただいた方々は、様々な地域、様々な寺院から集まってくださいました。御礼のお看経後、総本部長や奉修本部長が仰せになっておられましたが、いはば寄り合い所帯にもかかわらず、こうしたご奉公でピタッと一致結束できるのは、これこそご信心のお陰でした(涙)。

本当に、巨大な、長期間のご奉公が、無事に円成できたのですね。

遠方からお参詣くださった方々がたくさんおられます。その大勢のお参詣の方々を受け入れるために、また大勢のご奉公者の方々が、昼夜を分かたず、汗だくになってご奉公されています。だからこそ、あとは、中身、内容だと、痛感していました。

左の耳にインカム、右の耳にUstreamの受けの音声、前にテロップを出すノートパソコン、その奥にミキサー。ノートパソコンの画面にはUstreamとFacebookを開き、出来る限り各座の中継についてご披露し、パスワードなどのお問い合わせにもオンタイムで対応。3日間16座、常に張り詰めた緊張状態の中だったので、2日目の3座で胃が爆発しそうになり、デスクの前に卒倒しそうになりました。ハードなスケジュールやご奉公には慣れているはず。あんな風になったことはありません。これが、記念大法要の重さなのだと思いました。

ここで倒れてはならない。何度もそう思い返して、周りの、頼もしい方々に支えられ、楽しく、うれしく、ご奉公が出来ました。

トラブルのありませんように、「この記念大法要にお参詣して、よかった」と言っていただけるように、精一杯のご奉公をさせていただきました(涙)。佛立らしさ、開導聖人らしさを、感じていただけるように、シンプルな中に、限られた数分に、全世界で展開されたこの数ヶ年間のご奉公、その思いをギュッと詰め込みました。

シンプルな法要という御題をいただき、何よりもお看経、御法門を主軸に内容が積み上げられてゆきました。そして、新発意の前座御法門、信行体験談、特別表彰。門祖聖人への讃仰歌「此の君の」、フィナーレは「衆人は」の斉唱。法要後のBGMはポルトガル語に翻訳されブラジルHBSで歌われている「衆人は」。ギュッと、ギュッと、詰め込んで。

オープニングの映像、エンディングの映像は、右肩下がりが当たり前、右肩が上がっても危うさばかり感じる、厳しく、険しい時代、宗門、各寺院のご奉公や、門祖550のご奉公中に発生した東日本大震災を思い返し、振り返りながら制作させていただきました。

心に、魂に、伝わりますように。お看経や、御法門が、深く、もっと深く心に染み入るように、550から200へ切り替わるご奉公を、何としても、上手に、本当の意味で、ご信者の方々と一緒に、平成29年に向かえますようにと、本堂内で見聞きする最初から最後まで、細心の練り上げが出来ました。準備不足も、説明不足もありましたし、だからこそ、本当に、緊張していたのですね。

佛立ですから。この佛立ならではの「イズム」「アイデンティティ」が大切だと思うのです。巨大な既成宗教や新興宗教のマネをする必要もない。やたらお金を使うのでもなく、背伸びする必要もない。ただ、ご信心を発露して、工夫をこらして、トンチとパンチ、フィクションではなくドキュメントで勝負するのが、「佛立」であるべきだと思います。

「佛立イズム」は、世界一かっこいいです。とにかく、今は、無事に、終わって、よかったです(涙)。

そして、とっても、勉強になりました。16座、モニターを観ていて感じたこと、学んだことが、山のようにあります。特に、前座の御法門から感じたことがありました。

前座の御法門は、16座、英語で説かれた良潤師の御法門以外、全く同じ原稿で説かれました。時間やテロップのこともあってそうなったのですが、第3日目第5座、最終座で説かれた柏師の御法門では、止めどなく涙が溢れ出ました。

門祖550の報恩ご奉公で出家した御講師方に、新発意の初めての御法門と同じように説いていただきました。御法さまに「教務員増加」を誓願し、その誓願ご奉公の中で誕生した御講師です。ご自坊を護る全国のご信者方も、何とか教務さんが誕生するようにと、努力いただいたと思います。だからこそ、このご奉公で誕生した御講師の尊い姿をご覧いただいて、随喜していただきたいと願っていました。

柏師は、乗泉寺でご修行され、現在は本山で修行し、佛立教育専門学校に通われています。さすが乗泉寺の厳しい伝統として、血管が切れるほどの声をふりしぼり、御教歌、御法門を、拝見します。私もそう教わりましたし、乗泉寺の末寺である妙深寺で得度する者も、そう教わっています。

柏師の前座御法門は、まさに最終座にふさわしい、それこそ見事に「佛立」らしい御法門を頂戴できたと思います。もう、ただひたすら、声を張り上げて、御教歌に、御法門に、仏祖のみ教えに、「お縋りする」という、全くもって、私たちが簡単に使う「素直」「正直」ということを、改めて教えていただいた御法門でした。

御法門の内容は、全部同じなのです。でも、本当に、一人ひとり、違いました。「御法門を説く」というご奉公をさせていただくのが教務ですから、何よりも、この点に、新たな気づきをいただくのです。

原稿を読み上げるだけでも、ご信心の全てが出る。御法門は、規定のことを説けばいいというものではない。テクニックではない。ロジックだけでもない。信心なのです。「仏は教えを説かれたのではない。信心を説かれたのだ。」ということを、忘れてはならないのです。

御法門は、本当に尊い。何であれ、有難く頂戴します。御法門に、いいも悪いもありませんし、考えてはいけない。新発意の説かれた御法門は、どなたも尊かった。その中で、特に、柏師の御法門から、学ばせていただいたのでした。

開導聖人は、そういう新発意の、必死さ、真っ直ぐさ、情熱、全部が、大好きだと思います。逆は、どんなに賢くても、大嫌いのはずです。開導聖人は、あの姿を見て、大喜びになられたのではないかしら。新発意は、この御題目に、み教えに、お縋りしている姿を見せねばならぬのです。自分の才覚は、頼らないのです。慧解、一分もなし。ただ、ひたすら、御法への、ご宝前への、開導聖人へのお敬いを表して、徳や経験に代えるのです。

柏師は、その大声に驚く聴衆を一顧もせず、御法門を説き切りました。私は、最初の御教歌の冒頭から、泣いていました。乗泉寺の伝統、若い御講師方に伝える偉大さも感じました。

私も、初御法門のように必死の拝誦をし直そうということではありませんが、初心に返って改良します。

こういうことを、考えていたら、素晴らしいメッセージをいただきました。その方は、いま、妙深寺の寺報を読み返してくださっています。それは、私が今から約10年前、2004年10月の寺報に書いた巻頭言です。わざわざ、文字にして、伝えてくださいました。

ずっと、同じことを思っていたので、驚きました。こんなことを、思い続けているのだなー、もう文字にしていたのだなー、と思って、嬉しくなり、自分の書いた文章ですが、また改良し、また精進しようと思いました。メッセージ、ありがとうございました。

下記が、その文章です。

◆◆◆◆◆

私たちは、たった一人の方のお心に近づきたいと思っている筈です。それが「御仏」です。御仏が何に喜ばれ、何を悲しまれ、何を憂い、何を楽しみとされるかを知って、感じ方も考え方も違う者同士が、一人のお心を目指して修行を重ねていくのです。

ですから、本門佛立宗の信仰者にとっては、信仰の期間よりも、その人の「感じ方」や「考え方」がどれだけ変化してきたかということが重要です。

人は、言葉や理論によって影響を受けますが、何より心に響き、自分の感性や考え方に変化を与えてくれるのは、人との出逢いです。その「人との出逢い」とは、その人の発する言葉や理屈ではなく、その人の「生き様」だと思います。

「何故この人は、こういう生き方が出来るようになったのだろう」という問いから、「私にも出来るだろうか」「私も彼のようになりたい」「彼のように生きたい」と思うようになります。

御仏が「法は人に依て弘まる」と説かれているのは、佛立信仰によって目覚めた者たちが「生き様」を示すことなのだと思います。

◆◆◆◆◆

記念大法要が、終わりました。京都佛立ミュージアムのご奉公は続きますが、内局での私のご奉公が終わりました。主事として、弘通局、特に海外部のご奉公をさせていただきましたが、それも昨年10月に終了し、期をまたいだこの記念大法要のご奉公だけが残っておりました。本当に、ホッと胸を撫で下ろしています。

これから、自分の生きる指標や目標、「仏教ルネサンス」のために、しっかり、がっつり、ご奉公して参ります。一緒にご奉公いただいている皆さま、今しばらくお付き合いください。

本当に、ありがとうございました。

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