これより長松寺でお総講を勤めさせていただきます。
御教歌は、4月度の月始総講で拝見させていただいた同じものをいただきます。
「きはまりてかなしき時にあらざれば まことの信はおこらざりけり」
号泣していて、情けないのですが、お懺悔をさせていただいていると思い、また何より大切な教えの筋があると思いますので、そのまま動画を掲載しております。
情けない姿をご覧いただきながら、ご信心増進の一助となれば幸いです。
また、御法門中に拝見している妙深寺の「役中テキスト」に掲載している「班長さん、ありがとうございます」の文章も掲載させていただきます。
「ありがとうございます。
二十年前の四月三日、先住は満開の桜の中で大きな事故に遭われました。救急車が妙深寺の境内に入り、口や耳から血が噴き出している先住と奥さま、瓜生園子さんを乗せて病院に向かいました。
あの時の衝撃、ショックを、覚えておられるでしょうか?
頭蓋骨骨折、脳挫傷、頭蓋底骨折、脳内浮腫、肋骨は折れ、肺は小さく縮み上がり、自発呼吸も出来ない、意識不明の重体となりました。
御法さまは、完璧なタイミングを選び、私たちの想像を超えたご采配をされます。そして、それこそが、罪障消滅の道であり、乗り越えなければならない定業能転の壁、本当の生き方、本当の喜びに気づくための本物の御利益です。
先住が事故に遭われた時、私は本山から帰山したばかりでした。これからご奉公を学ばせていただこうと思っていた矢先に、先住は人工呼吸器をつけたまま横たわり、医師からいつ息を引き取ってもおかしくないと言われました。
猛烈な悲しさ、恐ろしさ、情けなさが、自分の心を引き裂きました。心が破れて、壊れてしまいました。しかし、だからこそ、御法さまにお縋りする以外なく、御法さまにお縋りすることが出来ました。妙深寺でお助行してくださっている皆さまが私の支えとなり、倒れていた心を起こしてくださいました。
「きはまりてかなしき時にあらざれば まことの信は おこらざりけり」
「現証の利益で信を起させて 未来を救ふ祖師の御本意」
この二つの御教歌のとおりです。先住の命懸けの教えによって、私はご信心の大事を知ることが出来ました。そして、きっと未来を救われたのです。
「御利益は三年経って振り返れ」
その時は分からなくても、必ず後で意味が分かる。それが、ご信心であり、本当の御利益です。しっかりご信心をしていれば、必ず後で分かるのです。
四月三日からピッタリ四十九日目です。尽七日忌に当たる五月二十一日に、先住は地震の直後に意識を戻されました。これは、私たちの妙深寺で起きた、現実の、真実の、ドキュメントであり、ノンフィクション。これほどの現証の御利益を見せていただいたことを、忘れてはなりません。
先住は亡くなりました。御題目をいただいていても、永遠に生きる者はいません。生老病死があり、それぞれ罪障も違います、寿命も異なります。しかし、私たちが先住に現証の御利益を見せていただいたことは永遠に変わらない事実です。
しかも、私は先住を死なせてしまったのは自分であると思っています。あれほどの現証の御利益を見せていただきながら、あの時の私は自分の使命を忘れかけていたのです。先住は、また自分の命を懸けて、私に教えてくださったのでした。
二度に亘って教えていただいた本当のご信心、現証の御利益がいただける絶対のご信心こそ、妙深寺教講が大切にしなければならない宝物だと思います。私は、この宝物があればこそ、ご奉公させていただいております。
今年の四月三日、何となく過ごせば何となく過ぎていくと思いますが、それは人生も同じです。あの時の出来事をしっかりと思い返してください。知らない人たちには、もう一度あの出来事を伝えてください。
どこからどう見てもご信心の力としか思えないはずです。これこそが『佛立魂』です。これこそがご信心の力です。」力です。」
御教歌は、4月度の月始総講で拝見させていただいた同じものをいただきます。
「きはまりてかなしき時にあらざれば まことの信はおこらざりけり」
号泣していて、情けないのですが、お懺悔をさせていただいていると思い、また何より大切な教えの筋があると思いますので、そのまま動画を掲載しております。
情けない姿をご覧いただきながら、ご信心増進の一助となれば幸いです。
また、御法門中に拝見している妙深寺の「役中テキスト」に掲載している「班長さん、ありがとうございます」の文章も掲載させていただきます。
「ありがとうございます。
二十年前の四月三日、先住は満開の桜の中で大きな事故に遭われました。救急車が妙深寺の境内に入り、口や耳から血が噴き出している先住と奥さま、瓜生園子さんを乗せて病院に向かいました。
あの時の衝撃、ショックを、覚えておられるでしょうか?
頭蓋骨骨折、脳挫傷、頭蓋底骨折、脳内浮腫、肋骨は折れ、肺は小さく縮み上がり、自発呼吸も出来ない、意識不明の重体となりました。
御法さまは、完璧なタイミングを選び、私たちの想像を超えたご采配をされます。そして、それこそが、罪障消滅の道であり、乗り越えなければならない定業能転の壁、本当の生き方、本当の喜びに気づくための本物の御利益です。
先住が事故に遭われた時、私は本山から帰山したばかりでした。これからご奉公を学ばせていただこうと思っていた矢先に、先住は人工呼吸器をつけたまま横たわり、医師からいつ息を引き取ってもおかしくないと言われました。
猛烈な悲しさ、恐ろしさ、情けなさが、自分の心を引き裂きました。心が破れて、壊れてしまいました。しかし、だからこそ、御法さまにお縋りする以外なく、御法さまにお縋りすることが出来ました。妙深寺でお助行してくださっている皆さまが私の支えとなり、倒れていた心を起こしてくださいました。
「きはまりてかなしき時にあらざれば まことの信は おこらざりけり」
「現証の利益で信を起させて 未来を救ふ祖師の御本意」
この二つの御教歌のとおりです。先住の命懸けの教えによって、私はご信心の大事を知ることが出来ました。そして、きっと未来を救われたのです。
「御利益は三年経って振り返れ」
その時は分からなくても、必ず後で意味が分かる。それが、ご信心であり、本当の御利益です。しっかりご信心をしていれば、必ず後で分かるのです。
四月三日からピッタリ四十九日目です。尽七日忌に当たる五月二十一日に、先住は地震の直後に意識を戻されました。これは、私たちの妙深寺で起きた、現実の、真実の、ドキュメントであり、ノンフィクション。これほどの現証の御利益を見せていただいたことを、忘れてはなりません。
先住は亡くなりました。御題目をいただいていても、永遠に生きる者はいません。生老病死があり、それぞれ罪障も違います、寿命も異なります。しかし、私たちが先住に現証の御利益を見せていただいたことは永遠に変わらない事実です。
しかも、私は先住を死なせてしまったのは自分であると思っています。あれほどの現証の御利益を見せていただきながら、あの時の私は自分の使命を忘れかけていたのです。先住は、また自分の命を懸けて、私に教えてくださったのでした。
二度に亘って教えていただいた本当のご信心、現証の御利益がいただける絶対のご信心こそ、妙深寺教講が大切にしなければならない宝物だと思います。私は、この宝物があればこそ、ご奉公させていただいております。
今年の四月三日、何となく過ごせば何となく過ぎていくと思いますが、それは人生も同じです。あの時の出来事をしっかりと思い返してください。知らない人たちには、もう一度あの出来事を伝えてください。
どこからどう見てもご信心の力としか思えないはずです。これこそが『佛立魂』です。これこそがご信心の力です。」力です。」
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