昨日、新幹線の中で愛子さんの手術が無事に終わったという連絡を受けました。手術までの時間、愛子さんの姿勢、ご信心に学ばせていただいたことがたくさんあります。
「衆生病む故に、菩薩また病む」
生老病死は人間の定業。その時、それをどのように受け止めるか。怖いほど、自分が試されるのだと思います。
戸塚教区と泉教区は教区御講に引き続き、瓜生さんのお宅で愛子さんのお助行をしてくださいました。私も教区御講からそのまま本堂に上がり、同じ総務部門の冨塚さんが導師役を務めるお助行に加わりました。途中で下がらせていただき、京都に向かいました。
妙深寺全体が、お助行の御題目に包まれていました。お助行とは、何と尊いご奉公でしょう。
一昨日、ずっとお助行を続けてきた少女が入院しました。喉がつぶれようが、身体が壊れようが、あの子が助かるならば構わないと思いながらお助行を重ねてきました。たくさんの方が、このお助行に加わってくださいました。
彼女の声なき悲鳴は、これまでずっと響いていました。しかし、周りの大人はそれを受け止められず、受け止め切れていませんでした。本当に哀しくて、かわいそうで、御題目をお唱えしながら何度も嗚咽し、涙が溢れました。
この光りに満ちた世界に戻ってきて、数日間、穏やかに過ごしてくれました。開導まつりの森の中に、子どもたちを穏やかに見つめる彼女がいました。御題目の御力を痛感いたしました。みんなで喜び合いました。
しかし、お懺悔や改良の誓いを通じて、新たに始まった希望に満ちた世界が、以前と変わらぬ怒りや苛立ちに満ちた世界だと知った時、彼女は深い深い闇の中へと戻っていってしまいました。
お助行中、彼女の瞳の奥に確かな光りが見えました。彼女こそ正直であることを知るのでした。
「本心と申すは法華経を信ずる心なり」
心の奥底へ、御題目をお届けする以外にありません。御題目の声、音で、心を満たすしかないと思うのです。
『懺悔する 心の内のすゝはきに 悪魔のほこりたゝき出されぬ』
『懺悔の心起こる時に、己が我は破れたり。我の破れぬれば同時同刻の御利生をいただく。御利生を見て信心弥々堅固なり。されば疑を破ると御利生と信心とは三つ一つ成れども、前後を言う時には我の破るるが始めなり』
我を破る、我を折ることが最初。それが出来なければ遠ざかる。それが出来れば顕れる。だからこそ、諦めずにお折伏を重ねる。
欲、怒りや憎しみ、間違った解釈や受け止め方、慢心が、我であり、懺悔をさせないのです。ここから離れて、すべてを拭い捨てて、お懺悔させていただくことが、今こそ大切だと思います。
昨夜は長松寺のテラコヤスコラ、コレイア師がお参詣くださり、久しぶりの再会に、言葉にできない喜びを感じました。それこそ、言葉は陳腐で、お互い為すことだけが、価値あることで。とにかく、無事に生きていてくれてよかったと思いました。
今日は、京都佛立ミュージアムの展示ご奉公。今日しかありません。
2013年4月17日水曜日
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