2013年10月31日木曜日

"A piece of cake"

いま、上野から戻りました。ずっとスケジュールが合わず、1ヶ月以上前から何度も予定を変更して、ようやく今夜お会いすることができました。

あっという間に時間が過ぎました。勉強になること、共感すること、考えなければならないこと、気づかされることばかりでした。

あらん限りの努力を、アイデア、工夫を、盛り込んで、自分は取り組んできただろうかと、思わせてもらえるのは、有難いです。

頑張っているし、踏ん張ってるけれど、やってきたけれど、そこで調子に乗って、鼻を高くしていたら、そこが天井になってしまうように思います。

だから、慢心はつまらない。上には上がいる。本当に、上がいる。上がいる幸せ。上がいる、と思える幸せ。上を向いて歩こうー。

どれだけ頑張っても、軽いジョークを飛ばして、「はい次っ!」という感じでいけたらいい。徳は人に譲りて、苦労は我に引き受ける。これが、ストイックにではなく、自然に、気持ちよくなると、いい。

世界で最も過酷なアドベンチャーレースを戦う人たちの、ほとんど生死の境をさまようように原野を走ってゴールした時の挨拶。

"A piece of cake!!"

「こんなの朝飯前!」という意味ですよね。すごいです。本物のアスリート。アスリートの中のアスリートかなぁ。

すごいことをやって、レース中も、泣いて、泣いて、仲間同士でぶつかり合って、走って、泣いて。そうして、ようやくゴール出来るんです。その、そんな過酷なレースを終えた仲間の挨拶が、「a piece of cake」って。この精神がすてきです。トンチとパンチが効いている。

なかなか、できないし、折れることばっかりなのですが、それでも、一生懸命にした後の、最後には、いつも笑顔で「a piece of cake」って言いたい気持ち。分かります。で、次を目指せる。

こうした明るい空気、忘れてはいけないと思います。でないと、ただ苦しくなり、重たくなり、慢心にもなり、天井にもなるから。

全ては通過点。明るく次へ行けるように、努力を惜しまず、頑張って、達成した後でも、"A piece of cake"の掛け声で次を目指せたら素晴らしい。

"A piece of cake"

アスリートの精神。忘れないようにしたいです。

2013年10月29日火曜日

意志こそ力

欲で作ってきたものが罪ならば欲でそれが消せようか。

怒りでそれが出来たなら、怒りでそれは消せようか。

愚かにそれを為したなら、愚かにそれを消せようか。

熱に呆けながら何度も浮かんだ言葉。

すなおに、ああ、そうだな、だから、欲ではなくて、怒りではなくて、そういう力ではなくて、僕の心の中にある、でもいつもは少し隠してある、あの力を使わねばならないか、あの力しかやはりないのか、と思う。

意志こそ力。それこそ力。

きっと、それは信心なのだ。そう思う。

欲で越えても儚いしな。怒りで何とかしても続かないしな。愚かなことは愚かなんだけど、いい目標を立てて、そこに向かおうという志があれば、それが救いになると思う。

熱が下がりつつある、23時前に、そうな風に思う人。

「宮澤賢治と法華経展 ~雨ニモマケズとデクノボー~ 」 オープニング映像

「宮澤賢治と法華経展 ~雨ニモマケズとデクノボー~ 」をご紹介するオープニング映像です。



2013年10月28日月曜日

弱りました。

情けないかな。

またお熱。

弱りました。

申し訳ないですね、寝かせてもらっています。

2013年10月27日日曜日

素晴らしい一日

素晴らしい晴天に見守られた、素晴らしいご住職継承式でした。

お言葉を寄せられた全ての方々が仰っておられましたが、照隆寺さまが経てきた筆舌に尽くし難い苦難の歴史を越えて、今日のような日が迎えられたことは、誠に素晴らしいおはからい。

苦難の中を、ご信者さま方は唇を噛み締めてご奉公くださり、今日を迎えられたのですねー。間近で拝見していればこそ、感じます。

筆舌に尽くし難い。すれば安い。安くなる。

今日は、本当に素晴らしい一日でした。ありがとうございました。

足の先から寒さが上ってきて、少しまずい。まず身体を温めて、しっかりします。一日も倒れてる間はない。

今日は、本当に素晴らしい一日でした。ありがとうございますー。

すっがすっがしー!

気持ちいい。何とも気持ちいい。清々しい。透き通った空。澄んだ空気。

そんな素晴らしい一日になりました。

今日は、照隆寺さまの御住職継承式に出座させていただく光栄。

ありがたいですー。

2013年10月26日土曜日

『電池が切れるまで』 平成15年3月号 妙深寺報

善光寺の門前、長野教区の高木さんのお席に於いて、無事盛大に教区御講を奉修させていただきました。

ご宝前がキラキラ輝いて、美しい。思わずうっとり。お花も、お道具も、お盛り物も、細やかなお給仕、ご信心の思いが溢れているのを感じます。どれほどの思いか。思いを込めてくださっているか。

陸前高田に支援を続けておられる珈琲日和さんのお菓子も供えてありました。秀子さん、ありがたいです。

ご宝前に、妙深寺本堂の写真が飾られていました。遠く離れていても、こうした思いを持ってくださっている。あちこちに、篤いご信心が見つけられて、ワクワクしました。和やかで、歓びに溢れた、楽しい御講となりました。ありがとうございます。

高木さんのご挨拶に引き続いて、篠原さんがホッチキスで綴じられた紙を配られました。そして、お話になったのは、僕が今から10年前に書いた妙深寺報に書いた『電池が切れるまで』という文章。

長野県立こども病院の子どもたちのご本を読んで、感じたことを書きました。そうだ、長野だ。いま、僕も気づきました。あの頃、長野でご奉公させていただくとは全く思っていませんでした。でも、考えてみたら、音美さんのお孫さんもこの病院にかかっておられました。そうだ、コピーを見て、思い出しました。

自分が書いた文章ですが、つながらなかった。いま、今日の御講で、あらためて、つながりました。

きっと、この中に書いてあることは、今の私たちのご奉公に、とっても意味がありますね。ずっと、僕の思いも、ご奉公の方向性も、変わっていないから。この文章を書いた後で、吏絵ちゃんに出会ったり、お助行にみんで一つになったりしたのですね。

懐かしいです。今では吏絵ちゃんも元気に、そして美しい女性に成長し、本当にありがたいです。

10年以上前の文章です。読んでみてください。

『電池が切れるまで』

 つくづく恥ずかしくなりました。

 長野県立こども病院の子供たちが書いた詩集「電池が切れるまで」を読み、涙と同時に恥ずかしさがこみ上げてきました。

 大変な悪性の病気に苦しむ子供たちの声。脚色も飾りも無い真実の言葉。院内学級で子供を見守る先生方のお言葉。ご両親のお言葉。想像を絶する苛酷な状況の中で、その言葉の一つ一つが胸に刺さり、頭の中が真っ白になりました。

 由貴奈ちゃんは、大変な病気でありながら生きる希望を失わず、人を思いやり、勇気を与え続けました。

「電池が切れるまで」とは、その由貴奈ちゃんが書いた「命」という題名の詩から生まれました。五歳の時から神経芽細胞腫という大変な病気を患い、十一才で短い生涯を閉じた小さな菩薩のような由貴奈ちゃんが、亡くなる四ヶ月前に書いた「命」という詩。

 一緒に入院していた友達が亡くなり、テレビから流れるいじめや自殺のニュースを聞いて、生きたくても生きられない友達がいるのに、と命の大切さと精一杯生きることの大切さを教えてくれる詩です。

「命はとても大切だ。人間が生きるための電池みたいだ。でも電池はいつかは切れる。命もいつかはなくなる。電池はすぐにとりかえられるけど、命はそう簡単にはとりかえられない。何年も何年も、月日がたってやっと神様から与えられるものだ。命がないと人間は生きられない。でも、「命なんかいらない」と言って、命をむだにする人がいる。まだたくさんの命がつかえるのに。そんな人を見ると悲しくなる。命は休むことなく働いているのに。だから、私は、命が疲れたと言うまで、せいいっぱい生きよう」

 この詩集には、他の多くの子供たちの言葉もよせられています。その言葉は、どれも菩薩の言葉のように尊く感じられます。中学生の藤本君の「病気」という詩。

「この病気は、僕に何を教えてくれたのか。今ならわかる気がする。病気になったばかりの頃は、なぜ、どうして。それしか考えられなかった。自分のしてきたことをふりかえりもしないで。けどこの病気が気づかせてくれた。僕に夢もくれた。絶対僕には病気が必要だった。ありがとう」

 大変な病気の中、感謝の言葉を記すという心の尊さ。特に巻末の「親の思い」という詩は、何度も、何度も、繰り返し拝見いたしました。

「五体満足で育っている子どもをもつと子どものいない人をうらやむことがある。切って縫って体にきずをもつ子どもをもつと、元気で普通の子どもをうらやましく思う。一生ハンディの残る子どもをもつと、一時の治療ですむ子どもをうらやましく思う。余命宣告されたり子どもの死んでしまった親は、ハンディが残ってでも生きている子どもをもつ親をうらやましく思う。子どもができない親は、産める親をうらやましく思う。腹のそこから大笑いしているそんな時もよいけれど、私はいつも微笑んでいられる一日一日、瞬間瞬間を大切にしたい」

 ここに、素晴らしい無名の詩人、菩薩のような方々がおられ、苦悩する人々に勇気を与え、病の人に希望を与え、愚かな私たちに命の尊さを気づかせてくれています。私は、恥ずかしくなりました。

 私たちは、いつも御仏の教えを説かせていただいております。御仏の教えは人間の全ての業、生老病死を説き示し、無常の運命を背負う人間が為すべき生き方を示されております。その根本根底に御題目があり、心の闇を照らし、人生という夜道を照らして下さるのです。苦しい時にお縋りし、人のせいにすることなく、運命をも恨まず、御仏の大慈大悲を信じて菩薩の心を忘れずに生きることに撤する。第一の良薬、御題目を身心に頂くことで御利益を頂戴するのです。この御仏の教えは、普遍であり、天地が逆さまになっても変わることはないと確信します。

 しかし、その尊い御仏の教えの実践者は誰なのだ、ということを考えると恥ずかしくなるのです。私たちは、この子供たちのように伝えられているだろうか。私こそ御法門を口先だけ、理だけで説いているのではないだろうか。この子供たちより高位な人間などいるだろうか。針や管を刺される我が子を見守るご両親ほどの苦行者がいるだろうか。その両者を見守り、指導する医師の方々は、どれだけ強靱な慈悲を抱いているというのだろう、と自分自身の至らなさを実感するのです。

 長野県のこども病院に集う方々だけではなく、世界中には多くの菩薩のような方々がおられます。その方々は苦しみの中で体験的に、命の尊さや勇気、思いやりや慈悲を身につけてこられたのでしょう。素晴らしい生き方を実践している方は実に多くおられます。

 だからこそ、上行所伝の御題目をいただく私たち、御仏の清き教えの流れを受け継ぐ私たちは、「本音」で菩薩の生き方ができるように、同悲同苦のご奉公を心掛け、日夜に菩薩の誓いを思い返して、修行に努めたいのです。

「本音」とは、「信じる心」です。住職も教務も、幹部や役中も、「一信者」であることを忘れてはなりません。それは、「信者」の言葉でなければ人の心に届かないからです。「心」を忘れて、役職役目で言う、慣れでやる、というだけでは「建て前」となり、心には届きません。「住職だから言っている」、「教務だから言う」、「立場だからします、言います」では、余りに恥ずかしい。本音と建て前が行ったり来たりしている間は、本当の思いやりや慈しみをもって生きることは出来ません。結局、偽りの多い生き方となるはずです。

 菩薩とは、一人の信者であり、信者とは一人の人間です。また、人間は、真実の御法を信じるべきであり、信者は誰もが菩薩であるべきなのです。驕ることも、達観することも許されません。誰もが数奇な運命を背負った人間です。そして、その運命を果報や罪障と自覚する信者となり、人を助ける菩薩を目指すべきなのです。

 私自身も、妻の癌で自分の運命に翻弄される一人の人間であり、その中で御法さまに救われている一人の信者であり、そうした経験を通じて、誰かの心の支えになれればと、菩薩の誓いをさせていただく一人なのです。

 電池のある限り。命が疲れたと言うまで精一杯。今日の我が身を感謝して、人間として信者として、菩薩として生きる。由貴奈ちゃんに教えていただきました。

昨夜の地震と今日の寒さ

今日は長野に向かっています。寒いー。

昨日の夜の地震、思わず隣で寝ていた次男を抱き上げました。

ゆっくり、ゆっくりと、断続的に揺れが来る感じ。やはり、あの3.11の余震ということでした。津波警報も出て、眠れない夜になりました。

台風によって気圧が極端に下がる時や月齢などが地震に関係するとも聞きます。台風は本州への上陸はないようですが、伊豆諸島はまだ大変な状況だと思います。

先日、伊東のご住職にお伺いしました。大島にも4軒のご信者さまがおられるのですが、ご無事だったそうです。大変な中だと思いますが、それでも有難く思いました。

乗り換えのためにホームにいるのですが、本当に寒いです。今日こそコートを持って出ようと思ったのに、出がけにバタバタして忘れてしまいました。

さむいー。

妙深寺高祖会 ビデオ ~妙深寺70周年の歩み~

平成25年度 妙深寺創立70周年 高祖会

「心に花を、人に力を」

ビデオ ~妙深寺70周年の歩み~



津波注意報

つなみ、にげて

いまの地震で、福島県に津波注意報が出ています。

深夜だから、気をつけてください。1メートルの予報。2時40分に到達予想。

2013年10月25日金曜日

ツリーハウス町内オープンデー

怖い台風が近づいてきました。すでに激しい風雨の地域もあるようです。今回の台風は大雨に対する警戒が呼びかけられています。

とにかく、「不慮の災難」という言葉があるように、災難は思いもよらず訪れ、自分の身に起こるまでは常に他人事です。

「大変ねー」と言いながら、お家のリビングでゆっくりニュースを見ていた人が、突然当事者になる。そんなこと、誰も考えていません。自然災害も、病気も事故も、同じかも知れません。

ある意味で、厳しい大自然に生きる小動物のように、生命の危機に対して敏感に、注意して過ごさなければならない時代。油断は禁物です。どうか、お気をつけくださいー。

昨日は修学塾で弘通学の授業をさせてもらいました。石川御導師のテキストは、具体的な事例を挙げて教務の在り方やご奉公の仕方について書かれており、本当にありがたいです。

夕方から夜まで教務会議。来年度から始まる4年間の弘通方針について話し合いました。妙深寺の全員で、同じ方向を見て、ご奉公させていただきたいと思います。

今日は門祖日隆聖人のご命日。お総講を勤めする中で、台風の被害がないようにご祈願させていただきました。

こんな時ですが、妙深寺としてはとても大切な行事のお知らせをさせていただきます。

11月10日(日)にツリーハウスの町内オープンデー&ボーイスカウト・ガールスカウト 見学・体験会を開催することになりました!10時から13時まで開催します!

妙深寺ふれあいの森に誕生したツリーハウス。この素晴らしい施設を中心に、この三ツ沢でずっと活動してきたボーイスカウト横浜第35団とガールスカウト神奈川県第24団がさらに活動の幅を広げてくれますー。

これから、きっと厳しい時代に突入します。自然環境も激変していますし、サバイバルというか、野外活動を通じて「生きる技術」を学ぶことも必要だと思います。それを学べるのがスカウト活動。是非、みんなで参加してもらいたいです。

特にうれしいのは、近所の方々に広くご披露できることですー。三ツ沢の中の妙深寺。ありがたいです。

2013年10月24日木曜日

無方の空にちらばらう

世界に対する
大なる希願をまづ起せ
強く正しく生活せよ
苦難を避けず直進せよ

ーーーーーー

誰人もみな芸術家たる感受をなせ
個性の優れる方面に於て各々止むなき表現をなせ
然もめいめいそのときどきの芸術家である

ーーーーーー

まづもろともに
かがやく宇宙の微塵と
なりて
無方の空にちらばらう

ーーーーーー

宮沢賢治『農民芸術概論綱要』

2013年10月23日水曜日

美しい国へ

政治に関心が向かなくなって久しいのだけど、先日たまたま見た予算委員会で篠原孝さんという方が話しているのを聞いて妙に納得し、やはり議論は大切だと思ったので記しておきたいと思います。

私はそれまで篠原孝さんという政治家やその信条を全く知らなかったのですが、ボソボソと話しながらも、その示した内容は、今の時代を俯瞰したかのようで、一つの真理でした。絶大な人気を誇る安倍首相も思わず苦笑いしておられました。

議論は、いいですね。建設的な議論、つまり目的を同じくしている双方が、恣意を廃して、お互いを尊重しつつ行われる議論は、本当に大切です。ディベートの虚しさとは隔絶しているものです。

篠原氏は、アイロニーを含みながら、それでも穏やかに、安倍首相を尊重しつつ話していました。

首相は『美しい国へ』『新しい国へ』を著しておられる、私も読ませていただいた、美しい国、誰もが求めるところ、しかも、利益ばかりを追求する国や社会ではなく、もっと別の尊い価値観によって、この美しい国土や国民を守らなければならない、と述べている。

しかし、この「美しい国」の理屈と、福島第一原子力発電所の事故、汚染水の問題、東京電力の問題は、整合性が取れているのか。

日本の、経済的な利益が優先され、風評被害を恐れるあまり、正確な情報もなかなか開示されず、美しい国土が汚されたままになり、当該地域に住んでいた国民が苦しんだままになってはいないのでしょうか、と問いかけた。

また、現行の憲法が、占領統治下にあって主に米国から押し付けられた憲法であるから、改正して独自の憲法を制定せねばならないという強い信念と、ほぼ米国が経済的に圧倒的な力を持ち、ルールメーカーになり得るTPPという枠組みに参加して、日本のルールを国際社会の関係性の中で変えてゆかなければならないという判断と、整合性があるのでしょうか、と問いかけたのでした。

とっても深い話だと、僕は感じました。

物事の整合性は、とても大切です。

御法門で「凶悪な殺人犯にも彼なりの正当な理由があり、それを主張するもの」とお話させていただくように、三毒強盛の凡夫の性は整合性を奪う癖に満ちています。

お給仕の大事を説きつつ、師を蔑ろにしたり。自分の生の中に整合性や普遍性を持たせることが修行であるのに、なかなかそうはならないのです。

今の時代を、今の人に囲まれ、今のペースで生きていると、気づけないことがあります。それを明らかにしてくれる「議論」というものは、やはり捨てたものではないですね。

この国が、もっともっと、強く、美しくなることを、切に願います。

記念写真

今日は今日とて京都へ向かっています。ちょっと寒いかと思って、薄手のコートを持ってきました。まだ少し早かったかなー。

昨日は大本寺乗泉寺のご年回に参列させていただきました。信廣会の御導師方やご住職方のほとんどが参列されていました。

法要の後、乗泉寺の本堂前で信廣会全員で記念撮影がありました。10年ぶりくらいではないでしょうか。先住が亡くなられてすぐ、本堂の中でこうした撮影があったように思います。

竹村ご住職とひな壇の一番後ろに並んで撮っていただきました。

大正の末、あるいは昭和の初期、古いアルバムの中に載っている信廣会の御導師方の歴史的な写真が思い浮かびました。

撮影の間の、ただ刹那に、身震いしました。ご弘通ご奉公に気張らなければ。記念写真ー。

京都は少し雨が降っています。日曜日は絶対に晴れて欲しいですー。

2013年10月22日火曜日

「心をつかむ展示」

「心をつかむ展示」

そんなお言葉をかけていただいたと、ミュージアムの受付をしてくださっている中村さんが教えてくれました。

本当に、ありがたいです。

インターネットで宮沢賢治を検索していた時、京都佛立ミュージアムで行われている企画展を見つけて、来館くださったそうです。

京都の有名な大学の名誉教授をなさっておられる博士で、今日約2時間かけて「宮沢賢治と法華経展」を観覧くださいました。

そして、「宮沢賢治を展示するミュージアムは沢山ありますが、こんなに心を掴む展示はなかなかありません。素晴らしい展示でした。友達を連れてまた来館します」

などなど、本当にすてきな、ありがたいお言葉をたくさんいただいたそうです(涙)。

もう、ほんとうに、ありがたいです。

みんなのおかげですー。

最初から最後まで、素晴らしいコンセプト、妥協なしの、まごころを込めた、星空の小道や、展示方法、写真や映像、映像紙芝居—。

ほんとうに、うれしいです。

ありがとうございます−。

2013年10月21日月曜日

噂を信じちゃいけないよっ

今日から妙深寺に寄宿することになった駿介くん。みんな、すてきな青年ばかりです。がんばろー。

午前中は横浜市の方々とミーティング。三ツ沢上町の町内会長もご出席いただいて、濃ーいミーティングが出来ました。ありがとうございます。

午後、病院の帰り道に寄ってくださったご家族とのお看経にしびれました。少しの時間だったけど、春から始まったギリギリのお助行を思い出しました。一緒に少しお看経できて、嬉しかったなー。

さらに、その後でご面談いただいのが、昂平くんです。明日の朝から5時過ぎに起きて修行を開始するはず。すてきな青年です。みんな、すてきですねー。なんとか力になりたいです。

それにしても、今日、驚くべき話を聞きましたー。もう、びっくり。僕に関することなのだけど、さらに想像を絶する思ってもいないようなお話で、むしろ感動ー。それは違いますって言いたいけど、言う相手も分からない(涙)。

でも、ありがたいですね。もっと、地道に精進します。ご弘通のご奉公が第一です。

それにしても頭にうかぶのは、「噂を信じちゃいけないよー」というあの人の歌声(笑)。

今朝の空、きれいでしたー。

ほんもんさんアート市のご報告ー!

19日、京都佛立ミュージアム 屋外スペースを会場として、「ほんもんさんアート市」が開催されました。

京都で新たなアート文化×地域社会に根ざしたコミュニティ文化の創造を目的とした「ほんもんさんアート市」。有名無名、プロアマ問わずのアーティストたちが、「オリジナリティ」=「ほんもん力」を、 生活に溶け込んだアート作品にして展示・即売してくださっています。

第一回の開催、私はご奉公できなかったのですが、現薫師をはじめ、ミュージアム委員の園美さんやあっこちゃん、ボランティアの神田さんや森谷さんや大井さんがご奉公くださり、詳細にご報告くださいましたー。

本当に感動。そのご奉公にも、その可能性にも。また、新しい扉を開いてくださったのを感じます。

メールを読んでいると、ワクワクします。

「本日のほんもんさんアート市、特に問題もなく無事に終了いたしました。お店に関しては、FB等でご覧いただいていると思いますが、どのお店も「オリジナル商品のみ」ということでオリジナリティにあふれた素晴らしい素敵なお店ばかりでした。」

「こういうイベントが敷地内で行われると、やはり企画展だけではあまり近寄られないご近所さんも足を運んでいただけたり、出展者の方の中に
アーティストがいらっしゃって、その方とミュージアムのコラボ等これからの運営発展に繋がりそうなご縁作りが出来る機会として、とても良いと思いました。」

「心配していた雨も開館時間にはあがりました。
あっこさんからご報告頂いた通り 本日来館者は104名です。時間帯でみると 12:30まで35名、15;00までで85名、16;30で104名となります。

市内でチラシを見て、宮澤賢治ファンというかたは、時間をかけてじっくり見てくださいました。
アート市に来て、たまたま宮澤賢治展なので、来館された男性は、なぜ岩手の賢治さんの展示をここでしているのか?と言う疑問から本門佛立宗とは? 賢治と法華経がどう関係あるのかなど、熱心に質問があり、園美さんが丁寧に対応して下さり、納得されました。園美さん、ありがとうございます。勉強になりました。」

「最初は出足が悪くて、出店の方も来月は考えます、なんていう方もありどうかなー?と思ってましたが、晴れ間がでてきた午後からはブラブラとコンスタントに入って来られる方があり、お店の方々も機嫌良く接客なさっていて、和気藹々とした雰囲気はとてもよかったですね。お店もどんどんエントランス側に出てきて、賑やかになり、ミュージアムの敷居の高さがすっかり解消されてました。」

「中学校の国語教諭である友人を連れて行きましたが、非常にすばらしかった、本当の宮沢賢治を今日初めて知ったようだと言ってくれました。また、森谷さんが書いてくださってる熱心に質問なさってた方も、宮沢賢治の作品は何度読み返しても飽きることがなく、時代錯誤もないのが不思議だったが、法華経というバックボーンがあったという事でその謎が解けた、法華経はただのお経ではなく生き方の指針であったことに驚いた、と話してくださり、そのように感じて頂き展示の甲斐がありましたとこちらもお礼を言いました。ミュージアムが本当に開かれた場になったと感じ、ほんもんさんアート市、開催できてすばらしかったとおもいます。」

本当に、素晴らしいご奉公となりました。この企画のきっかけを作ってくれたあっこちゃん。すごい功績です。外に開かれ、ご弘通の端緒となり、地域貢献する施設という命題を与えられた佛立会館なのだから。

今後も定期的に開催されてゆく「ほんもんさんアート市」です。【第2回】2013年11.16(土)、【第3回】2013年12.21(土)を予定しています。

実行委員会のみなさんがホームページを開設してくださいました。ぜひ、チェックしてください。

http://www.kyoto-shikakeya.com/honmonsanartichi/

どうか、よろしくお願いいたします−。

2013年10月20日日曜日

「心に花を、人に力を」ですー。

妙深寺の記念すべき御会式。

みんなで御法門に聴き入りました。

同帰常寂。「心に花を、人に力を」ですー。

Swallowtail Butterfly ~あいのうた~

6年ぶりの福岡御導師の御唱導、有難かったです。雨が降っていましたが、ここで降らずにいつ降るの、というタイミングだったと思います。

むしろ、いつも言っているとおり、ご弘通が勢いよく衰退しているのに「晴天」なんて、ちょっと滑稽です。おこがましい。うぬぼれ。有難い雨のはずですね。今日、むしろ雨の中で満面の笑みでご奉公くださった方々に、心から感謝いたします。ありがとうございましたー。

福岡御導師から学ばせていただいたことは、たくさんあります。最初にお会いしたのは、32年も前のことです。その時も、笑ってしまうくらい、ご迷惑をお掛けしました。マキちゃんと会ったのも、その時。かわいかったなー。僕はホテルに懐中御本尊を忘れたくらいのお馬鹿さんでした。

そして、教務として、学ばせていただくようになったのは、もう、20年も前のことです。

まず、「消化」。率直に、ここまで、消化しないと、人に伝わらないんだな、と思いました。素直正直という大切な教えや姿勢に甘んじているとだけではダメだということを、痛感しました。

というのは、読んだこと、学んだこと、聞いたことを、そのまま難しい言葉や名目を使って説明する人が多い中で、必死に、消化して、伝えようとされてきた、その姿勢に、感動しました。これ、正直な気持ちです。

実際、何も考えず、古い御法門帳を取り出して、読み上げることも出来るんです。それを、ご信者さまも手を合わせて聴いてくださったりするのです。どこを、どう判断して良いか、分からなくなるくらい、ここに落とし穴があるのですが、そういうことも麻痺するくらい、有難いご信心の教えがあって、そうこうしている内に、内側に、内側にと向いていってしまいます。

なぜなら、時間を経れば経るほど、そこでしか通じない言葉が溢れてゆくから。

そのままだと、分かっている人にしか分からない、分からない人には分からない、分かっているであろう人も、実は分かっていない、という恐ろしい世界が来てしまいます。

福岡御導師に教えていただいて、何より感じたのは、この「消化」の痕跡で、すごいなーと思いました。

ここから、佛立教学は、頭ではなく体験で学ぶ大事を痛感しました。すべては示されているのですから。体験であれば、その深い論理を、さらに分かりやすく人に伝えられます。

そして、もう一つは、「挑戦」。僕は、ベッドの中で悩んだことを、忘れられません。

なぜ、福岡御導師には出来て、僕には出来ないのだろう、と悩んだことがありました。もう15年近く前のことです。

自分は、いろいろな意味で根性がないと感じていて、それを突き破る挑戦をしている方が福岡御導師でした。その後を付いていったら、何とか真似ごとができるようになりました。そんな状態で、成長させていただいてきたのが、今の自分でした。

簡単なようで、簡単ではないですね。

「消化」と「挑戦」。

「偉そうにしてるけど、お前は本当に消化してるのかー」

「お前は、甘んじていないかー」

ずっと、思う。かなしいから。なぜ、そこで甘えるのかな。

「そこ、ふんばると、次はもっと強くなるのに」

いっつも、そう思うんです。簡単に、処理する人が多くて。

そこで処理するから、処理できない。消化してない。昇華できない。

全く関係ないのだけど、僕は『Swallowtail Butterfly ~あいのうた~』という曲が大好きです。


今夜、何度も聴きました-。いいわー。



特別な日に

小雨がシトシト降っています。

こんな日こそ「雨ニモマケズ」を実践できるのだから、ありがたい。

こんな優しい雨に負けていたら、激しい雨風に耐えられるはずはないから。

真の詩人は、平凡な日常を、気品漂う、特別な日にしてしまうものです。

「長旅は 日和ばかりと思ふなよ 雨ふりもあり山坂もあり」

「雨露に うたるればこそもみぢ葉の 錦をかざる秋はきにけり」

2013年10月19日土曜日

高祖会 第一座

超巨大な台風27号が発生し、来週水曜日ごろ日本に接近と。まだ台風26号の恐ろしい爪痕が残っているのに。十二分に警戒しましょう。

週末の天気予報も急に雨マークとなってしまいましたが、今日の第一座は好天の下で盛大に奉修させていただくことができました。ありがとうございます。

博多光薫寺から小林御導師はじめ、たくさんのお参詣をたまわりました。また、小林御導師からは70周年の妙深寺に激励をいただきました。本当にもったいないことばかりで、果報が尽きてしまいそう。さらに精進しなければならない。そえ思いました。ありがとうございます。

福岡御導師も無事に横浜へご到着されました。明日は第二座、福岡御導師のご唱導をいただきます。

万難を排して、お参詣ください。よろしくお願いいたしますー。

『屈原』

今日は10時から妙深寺の高祖会 第1座を奉修させていただきますー。

ようやく準備が終わりました。まだ足りないくらいですが。

「心に花を、人に力を」

しっかりご奉公させていただきたいです。コツコツ。

横山大観の『屈原』。師、岡倉天心へ。気概。

2013年10月17日木曜日

証明するのは人

今日は少し衝撃を受けました。とっても良いお話を聞いたので。それは、とっても壮大なお話で、短い時間軸では計れない、語れないことなのです。

本当に大切なことは、きっと僕らの尺度では伝えられないし、分からない。どうしても、僕らの目は、限られた視界しか見えない。時間にも限りがある。

命に限りがあって、欲もあって、我を張って、いきがって、ってしていると、分かんないことだらけなのは当然ー。だけど、そういうところから突き抜けた人の人生、その軌跡、その事実、その結果が、真実として迫ってくるー。

結局、理屈は理屈。その法則、その数式を証明するのは人だし、一人の人の人生。人生をかけて示された時は、ひれ伏すしかないから。

今日は、こまったなー。

玄関から見上げた空、こんなに綺麗でした。

2013年10月16日水曜日

伊豆大島で

こんなことがあっていいのと、叫びたくなるほど、伊豆大島で大変な災害が起きてしまっています。

ようやく画面に映し出された大島の被災現場。あまりに巨大な自然災害に対して、自衛隊の方々やハイパーレスキューの方々の人数が少な過ぎます。

背筋も凍る大災害が、また身近で起きてしまった。

被災された方々をお見舞いし、行方不明の方々の一刻も早い発見を願い、亡くなられた方々のご冥福を祈るばかりです。

本当に、恐ろしいです。あの大島で。かなしい。

妙深寺報 平成25年10月号

今月も中頃となりましたがー、妙深寺報 平成25年10月号(第406号)が発行されましたー。僕も新幹線に持ち込んで、うっとりしながら読んでいます。

遅れに遅れ、ご迷惑をおかけしました(汗)。どうかフリーマガジンということでご容赦くださいー。

妙深寺のお教務さんは、朝から晩まで、通常のご奉公でも過密に動いてくれているのですが、その上にこの妙深寺報を発行しなければならないという命題を与えられています。誰が与えてるのよ!と怒られそうですが(汗)。

絶対に、行事をやっつけで終わらさず、毎年同じことをしていても、毎年新しい角度から、新しい気持ちで、それを見つめ、取り上げる。

積み重ねて、積み重ねて、みなさんの声を伝え、届けてゆく。みなさんのご奉公を、歴史に刻んでゆく。

アンテナを張り巡らせ、受信し続け、発信し続けてゆくお教務さん。本当に、感謝しています。

だから、「遅れないようにしろ!」「早くやれ!」と叱りながら、みんなが文字起こしをしたり、レイアウトしたりしている姿を、柱の陰から見つめて、住職は泣いているのです(笑)。

本当に面倒くさい住職で、いつも、佛立らしい、妙深寺らしいクオリティを大切にしようと、口を酸っぱくして言うこと。クオリティが下がると、すぐにしかめっ面をして、あからさまにがっかりすること。お金をかけるとか、そういうクオリティではなく、ご信心や感性や美的センスの問題だからややこしい。これミュージアムも同じかなー。

とにかく、清従師をはじめ、きっと社会でお仕事したら編集者やディレクターやデザイナーとして高給を取り、大活躍しているであろうみんなが、通常のご奉公の上の上に、頑張って作ってくれているのが「妙深寺報」なのですー。

「妙深寺は大きいから」とか「教務さんがいるから」とか、そういうんじゃないんだなー。それだけでは出来ないし、そうでもなかなかしないものです。本当に、有難いご奉公だから。

今月も容赦なく遅れましたが、くどくど言い訳を書いてお許しを乞いたいと思います(笑)。

よろしくお願いしますー。

大満足の心持ち

まだ、台風や豪雨は予断の許されない状況だと思いますが、何とか朝一番の新幹線に乗り、京都に向かっています。

昨夜の七里ヶ浜、大きな波でした。顕証寺の前の海に、ここぞとばかりサーファーたちが入っていました。

会議終了後、夜中に京都まで帰っておこうかと思ったのですが、あまりの大雨に諦めたのです。明日の朝の方がいいかと思って。でも、朝起きると関東はまだ台風の真っ只中にありました。それでも、何とか駅に行き、新幹線に乗りました。三島と豊橋で運転を見合わせているということで、いま、やはり止まってしまいました。

それでも、ここまで、台風の過ぎ去ったあとの空が、あまりにも綺麗で、息を飲むほど美しかった。もう、心がいっぱいですー。

真っ青な空と、風に千切れたり、薄く広げられたりしている真っ白な雲。茶畑の深い緑色とのコントラスト、富士山、そして虹。たまりませーん(涙)。

昨日、横山大観が描く朦朧体の作品群を見たけれど、確かにそれ以外に表現の仕様がない、大自然が描き出すグラデーションがありますね。線では描けない。面で、淡い色の広がりでしか描けない世界。朦朧体も、最初は当時の画壇からひどく批判されたようだけど。そんなもんですね。

地球。この星、この世界、ほんとーに、美しいなー。奇跡だなー。命だなー。生まれてきてよかったなー。生きてる間だなー。がんばろー。

「妙法の外(ほか)に、海もなく山もなし。天の高きも。地(つち)の厚きも。一切衆生も皆妙法の中にありて、これをさとりしり給へるを仏と申し、是を信じて行ずるを菩薩と申し、是をしらず迷ひて信ぜざるを迷ひの凡夫、謗法堕獄の人とは申す也。日月の照し、その中に生れ、水を用ひ、春夏秋冬、木も土も金(こがね)も、皆衆生をたすくる妙法なる事をしらず。」

新幹線、止まってるけど、大満足の心持ち(笑)。

でも、東北や北海道などはまだまだ台風の通過中。安心できませんね。十分にご注意くださいー。

幸の湯、常さん、北九州

帰国後、成田空港から常さんの枕経へ直接向かいました。 穏やかな、安らかなお顔でした。こんなにハンサムだったかなと思いました。御題目を唱え、手を握り、ご挨拶できて、よかったです。とにかく、よかったです。 帰国して、そのまま伺うことがいいのか悩みました。海外のウイルスを万が一ご自宅へ...