2016年10月27日木曜日

「笑われて、笑われて、つよくなる」太宰治

先日、河口湖から坂を登り、富士山が美しく見える場所を探していました。


たどり着いたら、御坂峠にある天下茶屋という小さなお店の前でした。


「富士には 月見草が よく似合ふ」太宰治


この場所で、太宰治が書いた文章の一節。


私は、太宰治の作品をほとんど知らず、知っていることと言えば愛人と入水自殺してしまった文学者というくらいでした。


しかし、富士山が雲に覆われていて、その顔を見せてくれるのを待っている間、天下茶屋の二階に設けられた「太宰治 文学記念館」を拝見させていただきました。


展示を拝見し、深く感じ入りました。


京都佛立ミュージアムの館長になってから、世界中のミュージアムで勉強させていただいています。


ブラジルのサントスでも、スリランカのキャンディでも、イタリアのフィレンツェでも。


『人間失格』だけではなく、太宰治さんの言葉に触れる、素晴らしい機会をいただきました。


「人間は、しばしば希望にあざむかれるが、しかし、また、絶望という観念にも同様にあざむかれる事がある。」太宰治


「人間のプライドの究極の立脚点は、あれにも、これにも死ぬほど苦しんだ事があります、と言い切れる自覚ではないか。」太宰治


「疑いながら、ためしに右へ曲るのも、信じて断乎として右へ曲るのも、その運命は同じ事です。

どっちにしたって引き返すことは出来ないんだ。」太宰治


「あなたはさっきから、乙姫の居所を前方にばかり求めていらっしゃる。ここにあなたの重大なる誤謬が存在していたわけだ。

なぜ、あなたは頭上を見ないのです。

また、脚下を見ないのです。」太宰治


「幸福の便りというものは、待っている時には決して来ないものだ。」太宰治


「弱虫は、幸福をさえおそれるものです。

綿で怪我するんです。

幸福に傷つけられる事もあるんです。」太宰治


「学問なんて、覚えると同時に忘れてしまってもいいものなんだ。

けれども、全部忘れてしまっても、その勉強の訓練の底に一つかみの砂金が残っているものだ。

これだ。これが貴いのだ。

勉強しなければいかん。」太宰治


「笑われて、笑われて、つよくなる。」太宰治


「信じられているから走るのだ。間に合う、間に合わぬは、問題でないのだ。」太宰治


「怒る時に怒らなければ、人間の甲斐がありません。」太宰治


「てれくさくて言えないというのは、つまりは自分を大事にしているからだ。」太宰治


「駄目な男というものは、幸福を受け取るに当たってさえ、下手くそを極めるものである。」太宰治


「安楽なくらしをしているときは、絶望の詩を作り、ひしがれたくらしをしているときは、生のよろこびを書きつづる。」太宰治


「信実とは、決して空虚な妄想ではなかった。」太宰治


「ぽかんと花を眺めながら、人間も、本当によいところがある、と思った。

花の美しさを見つけたのは人間だし、花を愛するのも人間だもの。」太宰治


訪れた場所で、思いがけない貴重な機会に、感謝しております。

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