5月末、やっと全ての原稿を書き終えて、今日は平塚の上行寺へ伺い、修学塾の授業を担当しました。
いま「御法門が無くなる日」というテーマを念頭にして勉強をしています。
先日来、最先端企業でAI(人工知能)がどのように進化してゆくかを研究している方からお話を伺いました。
学術的、専門的な話は別として、AIやIoTの発達によって今後5年で劇的に変わってゆく社会を実感をともなって見ることが出来ました。
そして、新入社員の教育や全体の人事もなさっているその方は、こうした状況を考慮して、これまでの概念を180度転換したと言っておられました。
つまり、AIの台頭をビジネスの上でシビアに見越せば、いわゆる学歴が高いというような評価は全く通用しないと伝えているということです。
それらは全てAIに代わられるものというのです。
ケンブリッジ大学の今後10年~15年で無くなる職業と合わせて考えると頷くしかありません。
外来の医師ですらAIに代わられるというのですから。
いくら経験豊富な医師でも、一瞬で世界中の膨大な臨床例を検索して、最適な治療法や薬を選ぶAIと同じならば必要性が薄れてしまうということでしょう。
それでは、そうした時代に向かっている若者たちに何が大切で、どこを伸ばせと言っているかといえば、いわゆる人間力であり、コミュニケーション力や機転、機微、人間にしかない温かさ、思いやり、などなどということ。
まだまだ思索の途中ですが、これを佛立教務のご奉公に重ねて考えてみると、先述した「御法門が無くなる日」ということが頭に浮かび、ではそれを前提として研鑽を重ねておくべきことは何か、考えていたのです。
教化力、感化力、人間らしい温かさ、慈悲心。
御法門の前説、なぜこのタイミングでこの御教歌を選んだのか、日頃のご奉公がにじみ出る御法門でなければ、全く通じない時代が来るのではないかと想像します。
そういう視点に立って、教務が研鑽してゆかなければならないと、今日の授業でもお伝えしました。
様々な問題意識を共有し、それぞれの現場で新しいご弘通の試みに挑戦するお話を交換することも出来、有意義でした。
西野日渓上人のお書きになられた論文もお渡ししました。
約60年前に問題提起され、そのままずっと棚上げされたことがあります。
これらを共有し、本物中の本物の仏教として世界に立ち、これを説き伝えてゆくことが本門佛立宗の教務の使命と考えます。
世界は、ギリギリのところまで来ているのだから。
日本の夜空もヒマラヤに勝るとも劣らないほど美しい。
最高です。
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