今日は5月4日。
妙深寺の初代ご住職、憧れの清水日博上人の祥月ご命日です。
昭和初期から昭和42年まで、自坊のご弘通ご奉公はもとより、戦争の傷痍兵、特に脊椎損傷など重篤な障害を抱えた方々の施設・国立箱根療養所への慰問や児童養護施設・ゆりかご園の設立など積極的な社会福祉活動、ブラジルやハワイなどの海外弘通を推進し、宗門の国際化に貢献、大きな足跡を残されました。
生きた仏教、生きたお寺を私たちに残し、歩むべき道を示してくださったこと。
僕たちは、いまその足跡をたどっているだけに過ぎません。必死に。
日博上人の壮大な夢、先住の佛立魂、しっかりと思い返して、胸に刻んで、ご奉公させていただきたい。
お祖師さまと同じく61才で亡くなられた日博上人の短いご生涯を想うと、決して長く生きるだけが本懐ではないと思います。
もちろん、先日清従師が拝見してくれた御法門のとおり、真実の生き方、ご信心に目覚めた人の長生きは、一日一日が功徳となる素晴らしいものです。
私たちの命は、この全宇宙、三千大千世界にあるどんな宝物よりも素晴らしく尊いもの。
しかし、長生きだけが仏教の御利益、真贋の判断と考えるのは間違いの元ではないかと思います。
国家が存亡の危機を迎えた時、いつでも身を挺し、命をなげうってくれた方々がいました。
日露戦争の旅順の戦闘だけ調べても、どれだけ多くの青年たち、優秀な人材を失ったか、想像を絶します。
国を守るため、多くの家族、愛する人を守るために、命をかけ、身を挺してくださった方々。
そんな方々があればこそ、今の私たちがいます。
「義を見てせざるは勇なきなり」
答えは見つかりませんが、そこに命を削る理由があったこと、命をなげうってでも身を投じなければならない状況があったことに、想いを馳せています。
憂いの無い者、義を知らぬ者、勇気も愛も無い者には分からない生き様、死に様。
日博上人の夢も憂いも勇気も愛も、語り継ぎ、受け継いでゆきたい。
早すぎるご遷化。
凡人の僕からしたら、お気持ちを察すると泣きたくなります。
しかし、一代では果たせなかったことが、半世紀以上経っても、形やシステムではなく燃えるような魂として絶対的に、確信的に受け継がれていることをご報告したい。
僕もそうありたいし、そうなれるように努力します。
GW中ですが、今夜は京都の長松寺のお総講、明日は横浜妙深寺で教区御講です。
また一年、頑張ります。
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