先週金曜日から、宗教と文化の新聞『中外日報』にエッセイが掲載され始めました。
毎週金曜日、全4回の予定です。
『中外日報』は明治30年に創刊の由緒ある新聞、宗教専門誌です。
一般の人が読むというよりも、宗教者、宗教研究者、各宗門の行政担当者などが読む新聞という感じで、残念ながらあまりご存じないと思います。
今回、私のような者に声をかけていただき、どんな内容でもいいということで、まさに「随想」として「随想随筆」というコーナーを書かせていただきました。
字数に限りがあり、思うように出来ませんでしたが、とりあえず4回分の原稿を書き上げました。
最初は「信仰と共感力」。
担当の方が「伝えるべき 宗教者の使命」と副題を付けてくださいました。
掲載号を送ってくださいましたので、ここに載せさせていただきます。
今後、第2回は「坂本龍馬と仏教」、第3回は「仏教の再生」、第4回は「人間の本業」と続きます。
よろしくお願いいたします。
下記、第1回の原稿です。
「信仰と共感力」
二十数年前、本山へ帰るタクシーの中で声をかけられた。
「日蓮聖人が女性だったことを知っていますか?」
驚愕した。昼夜を問わず御消息を拝読しながら聖人が女性だったとは思いもよらなかった。この一大事を一般の方から聞くとは。
老練な運転手は戸惑う私を笑いながら言葉を繋いだ。
「そうでもなければあれほど女性の心を分かるわけがない。」
私は顔を赤らめつつ深く納得した。後世の者が性別を疑うほどの共感力。男性が女性を、女性が男性を、人びとが他を思いやる人間性の中心に世界的宗教家・日蓮聖人がいた。あれから月日を重ねたが、手本の尊さに比べて私たちはどうか。
異なる価値観を認め合い、対話を重ねてゆく大切さを痛感する現代。グローバル化や多様化が進む一方で、保護主義の台頭や憎悪表現の広がりが懸念されている。インターネットやSNSは多様な価値観を共有する場というよりは偏った思考を醸成する場になりつつある。過激な発言で炎上するのも偏狭な感情で炎上させるのも共感力の欠如による現代的な病のように思える。
一つの信条を持つことで他者への共感力が薄れるとしたら信仰にはどのような課題があるだろう。
時に日蓮聖人を排他や独善と批判する人がいる。後世の信仰者が聖人の圧倒的な共感力と人間愛、慈悲を忘れたならそう思われても仕方ない。信仰と共感力は車の両輪のように結ばれていなければならないのだ。
東京五輪の大会エンブレムには「多様性の中の統一」「一人ひとりの多様な個性の輝きが結ばれて、未来へとつながる大会にしたい」という願いが込められているそうだ。その成果に期待したい。
一方、宗教家は普遍的な価値観や共感力を伝えられているだろうか。「ダイバーシティ(多様性)」の尊重はアイデンティティを失うことではない。「何でもあり」は「何も無い」のと同じだ。他者を批判するのもよくないが、共感できても自分を見失っているようでは充実の人生とはならない。
信仰と共感力。宗教者が使命を発揮すべき時代だと自問自答している。
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