2019年1月4日金曜日

「平成の総括と覚悟」妙深寺報 平成31年1月号 住職巻頭言

















「平成の総括と覚悟」


妙深寺報 平成31年1月号 住職巻頭言


 新年でありながら、平成という時代のカウントダウンが始まっている不思議な気持ちです。始まりと終わり、別れや出会いが複雑に絡み合い、厳しくも激しい時代の節目に、本当のスタートが切れるよう、強い覚悟が求められていると感じます。


 年末、平成最後の天皇誕生日にあたり、天皇陛下が「お言葉」を発表なさいました。それは平成という時代だけではなく、昭和から平成、そして今日までを総括するにふさわしい、日本人を象徴する素晴らしいお言葉でした。お読みになられていない方は是非ご一読なさってください。物心ついた時には戦争、十一歳で終戦、その後贖罪の日々を送られてきた陛下のご心情が綴られています。


 私はお聞きして涙が溢れました。天皇陛下ご自身が、どれだけ自問自答し、苦悩しながら皇后陛下と歩まれてきたかを痛感しました。


 天皇制の是非や昭和天皇の戦争責任を論じるまでもなく、平和を希求してこられた平成天皇の存在と行動が国民の模範や団結、希望となってきたことは間違いありません。被災地の各避難所を訪問し、ひざまずかれる天皇皇后両陛下の姿に自然と涙がこぼれるのは私だけでないはずです。まさに日本人の尊い象徴として生きてくださいました。


 一方、昨今の世の中は「離脱の時代」を迎えたといわれ、陛下の真摯な言葉とはかけ離れています。極端から極端、変に偏った歴史観、過激な物言いが横行しています。


 今年度の一般会計予算案は初の一〇〇兆円超。なりふりかまわぬ官製バブルは崩壊直前の様相です。ギリシャやレバノンやイエメンやイタリアより巨大な世界一の債務、借金は未来に先送りするそうです。


 本質的な改革をせず、古い組織や財務体質のまま、社会保障費や新たな経済対策を上乗せするのですから破綻するのも当然でしょう。


 平成という時代は高度経済成長やバブル期のツケを支払わされた時代とも言えます。右肩上がりの、景気の良い時代の感覚から抜けきれず、そこに足を取られたまま時代の終わりを迎えるとも言えます。


 戦後生まれの、戦争を知らないリーダーは、ノスタルジーに浸りながら五輪や万博で夢を見ているようですが、麻薬のような劇薬を頼りに生きているのなら満身創痍の病人と同じです。長い低迷期を経験してきた世代は実際のところ冷めてしまっているようです。


 もはや世界は大変革、大激動の時代を迎えています。いま目の前にあるモノや風景は、三年後には全く無くなっているか、別のモノに変わっています。


 駅の改札にあった切符の切れ端。今や多くが電子マネーをかざして「ピピッ」と通過してゆきます。駅員さんが切符をチョキチョキと切っていたのは遠い昔です。若い人には想像すらできないでしょう。同じようなことが町のあちこち、家の中でも起きます。お寺の中でも起きてくるでしょう。


 大切なことは、大変革にも動じない準備を進めること。もう一度集中力を発揮する、総力を挙げる。みんなの力を結集させる。余分なものを削ぎ落として、シンプルにしておく。オープンに、誰よりも先に改良に着手し、実行すること。順調な時に驕らず、逆境に耐える。慎重なまでに自問自答し、信じた道を歩んでゆくことです。


 最晩年の開導聖人の御教歌。

「きはまりて かなしき時に あらざれば まことの信はおこらざりけり」


 凡夫の抱えている矛盾についてお示しです。誰もが願うような、健康で、平和で、豊かな時にこそ、大切な人を大切にし、感謝をして、信心が起きて、暮らしてゆければいいのですが、そうはならない。健康で、お金があって、友だちも、時間もあるという人は、わざわざお寺に行くことなく、信心しない、信心は起こらない。大切なことが分からなくなる。人生のバブルに溺れてしまうということです。


 まさに凡夫の抱える矛盾です。


 平成という時代が始まってからすぐにバブルが崩壊し始めました。平成二年には長松寺の日峰上人がご遷化になられ、すぐ小千代奥様もご帰寂になられました。


 大学を卒業して京都の佛立教育専門学校に入学し、本山宥清寺に寄宿しましたが、宗門に未曾有の大混乱が発生し、その真っ只中で様々な出来事を目の当たりにすることとなりました。まさに若僧でしたが、あらゆる意味でバブル期のツケが一気に噴出しているのを感じていました。


 そして、平成五年の先住の事故。「きわまりて」は「これ以上ない」という意味ですが、極限の悲しみ、苦しみ、つらさの中で、安定期や成長期ではなく、もちろんバブル期でも生まれない、真実のご信心をお教えいただきました。


 平成十二年には先住のご遷化。その後、藤本日修御導師のご遷化もありました。実に「きわまりて」悲しい時、いつも真実のご信心をお教えいただきました。


「衆生病む故に菩薩また病む」


「菩薩の病は大悲より起こる」


 私たちが病気になるから、菩薩はわざわざ病気になってお手本を示してくださる。菩薩は私たちが迷って、怠けて、曲がってしまうから、わざわざ病気になったり、傷ついたり、身を挺し、命を捧げて、改良を迫ってくださる。手本を見せてくださる。


 藤本御導師のご遷化がなければ『仏教徒 坂本龍馬』の刊行は出来ていません。あの本は藤本御導師に捧げたものです。何もなければあと十年かかっていました。歴史の本を書いたことでミュージアムのご奉公も出来ています。


 旭(あきら)との別れもこれ以上ないほどの悲しみでした。ブラジルの三人の御住職との別れもそうでした。それぞれ振り返ってみると、菩薩方のように私たちに改良を迫り、真実の信心を起こし、真実のご奉公が出来るように促してくださっているように思います。


 平成の時代は厳しい時代でした。新年にふさわしくないかもしれませんが、バブルを引きずっているよりもマシです。凡夫の矛盾を肝に銘じて一年間の家庭円満や災難除滅、ご奉公成就を祈りましょう。


「世は皆牢固ならざること 水沫泡焔の如し。汝等ことごとくまさに疾く厭離の心を生ずべし」


 法華経随喜功徳品にある御仏のお言葉です。「水沫泡焔」とはまさに「バブル」そのものです。これを「嫌い」「離れて」大改良する者が法華経の信者、行者の姿です。


 平成の総括と覚悟が大事です。

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