2009年2月6日金曜日

御戒壇を御有志したサーダニー

 Galleでの御講ミーティングで話が止まってしまったが、まだまだ書いておかなければならないことがある。圧倒的なスピードで時間が過ぎるから、すこしでも時間の空いた時に書いておかないと。

 明日は妙深寺のホープ、清水清康師と兼子綾子ちゃんの結婚式。いま、ロケが終わった。映像を使って、特別なビデオを作成している。これは、門外不出。誰にも見せられないな(汗)、内容がすごいから(笑)。とにかく、そんなことで慌ただしい。19時からは門祖会の企画会議もあるし。

 Galleでは家から溢れるほどのお参詣者と書いたが、みんなで唱える御題目、お看経の力強さは本当に有難い。こうした「Oko Meeting」の際には、日本語での無始已来、英語での言上、そしてもちろん「ナムミョウホウレンゲキョウ(これだけは日本語ではない。universal language、共通の言語だ)」と異口同音に唱えて、南無久遠の文は日本で唱えるのと同じように唱える。

 無始已来だけでも聞いていただくと感動すると思う。それ以上にすごいと感じるのは、南無久遠の文を大きな声で唱えておられることだ。南無久遠の文は、日本語が喋れる日本でご信心するようになった人でも難しいのに。一年経って覚えられない人も多いのではないだろうか。その難読な御文をサラサラと唱えられるようになるということは、どれだけ何度も何度も唱えているということだろう。ありがたい。

 このGalleのセンターには、大きな御戒壇がある。後でお助行に行かせていただいたご家庭の御戒壇の写真も掲載していきたいと思うが、このGalleセンターに新たにデザインされた御戒壇が建立されていた。ものすごく立派な御戒壇で、本当に有難く、気持ちよくお看経させていただくことができた。

 聞いてみると、コロンボに住んでおられるサーダニーという女性が、亡くなったお父さまのために御有志を申し出て、建立されたものだという。当日、お母さんと一緒にお参詣されており、一緒に次の日もお助行に同行し御奉公してくださった。とにかく、この尊い志に胸を打たれた。写真では右から二番目の女性が彼女だ。

 お父さまのご回向、お父さまのご供養として、彼女は、みんながご信心をされる対象、御法さま、ブッダのお住まいになる御戒壇の建立を選ばれた。きっと、この御戒壇に向かい、この御戒壇を荘厳し、ご祈願やお助行が行われる。そして、数え切れないほどの人が信仰の対象にし、菩薩行を実践し、御利益を頂戴し、ご弘通ご奉公に励むだろう。このご回向の功徳ははかりしれないものだ。必ずやお父さまも喜んでくださるに違いない。佛立のご回向とは、自己満足のためのものではないのだから。

 また、スイッチを間違えただけなのだが、動画が撮れていたのでYou Tubeにアップしてみた。違う場所でのミーティングの模様だが、雰囲気だけでも伝わればと思う。


2009年2月5日木曜日

寒参詣終了

 寒参詣が終了し、妙深寺は御会式に向けてご奉公を進めさせていただく。
 今日は妙深寺の局長室会議で、妙深寺の本堂の外壁の改修や昇降機の設置などについて協議させていただいた。昭和47年の本堂建設から約40年を迎えようとする中、丁寧に護持させていただくためには手を入れなければならない。また、バリアフリーをどこまで進められるかも課題。足の悪い方のためにエレベーターを付けたいと思ってきたが、それも現在の本堂に設置するとなると簡易なものでも1億円近くかかるとか。
 先日は耐震検査を受け(横浜市から補助金をいただいたが、高かったなぁ)、非常に強固な作りだが手を入れる箇所について指摘があった。しかし、それも実行すると1億円を越えるらしい。これは本当に恐ろしい話で、慎重に対応を進めている最中である。
 とにかく、外壁の補修など、必要なことは進めなければならない。細かな手入れ、補強も、施設部を中心にしていただいているが、今年は春から夏にかけて大規模な改修をすることになると思う。とにかく、法城を護持するため、である。
 大きな寺院の舵取りは大変な責任があり、その選択、時期、規模など、いろいろと思い悩む。現在の幹部の方々や教務諸師と検討させていただきながら、お祖師さまの御本意に叶うようにご奉公を進めたい。

2009年2月4日水曜日

妙深寺報 平成21年2月号

 いつも、『今回が最高の出来!次回はきっと最高傑作!』と思って発行している『妙深寺報』。

 2月号も上記の如く、最高の出来となっている。すんばらしい!いや~、涙出る。

 この『妙深寺報』を読めない方々は、本当にもったいない(涙)。残念(涙)。なんとしても手に入れた方が良いですよ(汗)、と言いたくなる。表紙にしても裏表紙にしても、このクオリティー、見て、見て、と言いたくなる。寺報の編纂を担当している清従師からメールが来た。

「(遅くなりましたが)菩薩の声のクオリティーの高さでご容赦いただきたいと思います。考えたら、毎月御利益談集を出しているようなものですよね。本当に妙深寺は凄いです。お講の録音を文字にするのに、だいたい全部の教区の録音を聞くのですが、お講にお参りしたくなりますもんね。あぁ~楽しそうだな! 感動を一緒に共有したいな!って。それも日々のお助行やご祈願があってこその「お講当日」なんですが。それも含めて、妙深寺は凄い!このご奉公に関われる幸せを心から噛み締めています。来月号からはもう遅れないようにしたいです…。(涙)」

 本当に頑張ってる。自画自賛では仕方ないし、「妙深寺、妙深寺」って言っていると鼻につくけど、頑張っているもんな。ちょっとくらい、言ったって良い。

 今月号は、ご信心をされて間もない方々の声に注目。会社を経営されているY氏とI氏の、ビジネス上の御利益談が載っている。社会の第一線で活躍されているお二人。企業のトップというのは大変な重責だと思うのだが、Y氏は突然のトラブルからそれを回避し、御利益に変わるまでの経緯についてお話をしてくださり、I氏はビジネス上の悩みからご信心をはじめられ、会社の債務で苦しんでいたのだが、ご信心を始めた途端に不思議な状況へと発展していく。債務と同額のキャッシュやご信心をはじめてからちょうど一年後に手元へ。もう、これは御利益としか考えられない、と。

 しかし、I氏は、それのみを「御利益」としておられない。それは一つのサインであって、今度は自分が人を助ける番だ、お寺にいろいろな人をお連れしたい、「このご信心と出会えたことが御利益です」と仰った。すごい(涙)。もう、感動です。

 20代で教区長を受けたまゆみちゃんも、教区長のご奉公がスタートして2週間たらずの教区御講で大変な御利益をいただいたと報告。「だから、ご奉公は受けるべき!こんなことなら、もっと早くご奉公していたらよかった(笑)」って。明るくて、楽しい。本当に有難い。

 こういうお話が読める。だから、寺報はありがたい。

京都 2月の長松寺

 麩屋町の御総講が終わった。今日も、大勢のお参詣があり、有難かった。

 本当に早いものだ。もう2月。あっという間だった。スリランカに行っていたこともあるが、時間が経つのが早い。ついこの前お正月だと思っていたのに、すでに2月、寒参詣も最終日。こんなに日々が早く去っていくとは。

 京都も心なしか閑散としている。世の中の状況を反映しているのだろう。何度も書くが、人の心も荒れているように思う。つい人を非難したり、愚癡を言いたくなるだろうが、負けてならないのはそういう自分自身だ。人のせいにしたくなる自分、自分は正しくて相手が悪いと思う自分。自分次第で世界が変わること、自分の努力次第で結果が変わること、どんなに恵まれない環境でも、愚癡や非難に走る前に自分の可能性を信じて欲しい。

 日博上人が書かれた『コーヒーの壺』に日颯上人のことがたくさん書かれている。日颯上人は、事ある毎に「日本一の大馬鹿野郎!」と自分に言い聞かせていると仰っていたようだ。あれほどたくさんの方から敬われていた方が、自分自身を謙虚にするためにそんなことを仰っていたとは。本当に驚いてしまった。謙虚さの中から生まれる真の強さ。虚勢を張るのは弱い証拠。他の人に責任転嫁を試みるのは自分が生きていないのと同じだ。

 謙虚になり、裸になり、何事も真っ正面から受け止められるようになりたい。人の目を、まっすぐ見つめて、生きていきたい。腹を据えて、本当の強さを培いたい。

班長さんへの手紙

 ありがとうございます。

 寒参詣も終盤となりました。今月は二一日、二二日に門祖会を控えております。妙深寺のご信者全員が願主(願う主)であると心得て、遠隔地に住んでおられようと、普段はお寺に来ていない方でも、とにかく声を掛けて将引させていただきましょう。

 ギスギスした世の中になっているのを痛感します。何事も人のせいにする傾向が強まり、身近な人との気持ちのすれ違い、誤解が増え、苦情や非難を言ったり、言われたり。そんなことが異常に増えているように感じるのです。

 自分の幸不幸は、すべて自分の蒔いた種によります。ですから、人のせいに出来ません。私たちの全ての行い(思いも含む)は「種」になって心の奥底に貯蔵されます。思いも、口から出る言葉も、所作振る舞い、行動も、すべて「種」となって心の土壌に蒔かれます。

 お花やお野菜を作ったことのある人ならば、「種」のすごさを知っておられるでしょう。土は同じでも、小さな小さな「種」によって様々な花や野菜が育ちます。ありとあらゆることは、種が大事なのです。

御教歌、
わするなよ まかぬたねなら はえもせず まいたたねなら はえるものぞと

 考えてみれば、恐ろしいことです。蒔いた種は必ず生える。蒔かなかったら生えない。いま起きている出来事は、すべてが自分の蒔いた種であるという宇宙の真理、人生の真理です。このことを「果報」とも「罪障」とも申します。良いことをすれば良く返ってくる、悪いことをしたなら悪いことが返ってくる。「善因善果・悪因悪果」という真理です。

 私たちは、ついつい「バレなければいい」と思ってしまいますが、一つ一つの行為行動が「種」になって毎日毎日、刹那刹那に心の土壌に降り積もって、植えられていくのです。それは必ず芽を吹き、育ってしまう。「罪障」とは、人間の三毒がもたらす身勝手な「行為」が「種」となって振り蒔かれ、次から次へと芽を吹いて人生を翻弄することを指すのです。

 イヤな出来事が続いても、その「出来事」には間違いなく何らかの「原因」があります。目の前に出現した出来事には「種」があるのです。それは、誰でもなく自分が蒔いた種であり、悪い種や根や芽を抜き取って、良い種を植えてゆかなければ真の幸せは訪れません。

御教歌、
何事も たねが大事ぞ成仏も 本因妙の たねにあらずば

 私たちは上行菩薩所伝・本因妙・下種益の御題目をいただいています。この上なく尊い「種」であり、心の奥底の邪な種を取り除き、何より大きく育つ幸せの種です。下種という信心修行は、一瞬一回の種植えで終わることはありません。一生涯、御題目口唱と菩薩行によって「下種」という修行を続けます。

 仏教とは、単に倫理や道徳を説くものではありません。「良いことをせよ」「悪いことをするな」だけでは恐ろしい末法という世界、自分という人間の欲深さに負けて、結局人生を空回りさせる人が多いからです。ですから、とにかく「最高最上の種まき」をしなさい、そのことに励みなさい、参加しなさい、行動しなさい、と教えていただきます。

 朝参詣、お講参詣、教区や部でのご奉公、お会式やお彼岸のお参詣はもちろん、家の中での信心修行を続けられるように、一人でも多くの人に声をかけましょう。

 幸も不幸も、すべて自分次第です。功徳を積ませていただくために、「良い種まき」を続けましょう。本当に厳しい時です。もっと真剣に信心の大切さ、ご奉公の大切さを考え、実際に行動を起こしましょう。喜びを持って、日々の種まきをさせていただきますように。

2009年2月2日月曜日

罪障に負けるな

 身に危険が迫れば、自然に防衛本能が働くものなのだろう。世界経済も悪くなれば保護主義に傾く。今や他国や他の人を気づかうより、我が身を守ることだけで精一杯にならざるを得ない。

 世が荒めば人の心も荒む。自己中心的になり、何事も人のせいにする傾向が強まり、身近な人との気持ちのすれ違い、誤解が増える。話を聞くにつけても、誰かが誰かの苦情を言ったり文句を聞いたり。昨今の社会情勢を背景に、そんなことばかりが異常に増えていく。

 不幸な出来事に遭遇して怨み節を言う人。「なぜ」と自問自答して、結局答えが分からない。「悪いことなどしていないのに、なぜ自分がこんな目に遭わなければならないんだ」。世の中の理不尽さ、他人の冷たさや理解の無さを恨んでも、気持ちがすり減ってしまうだけで何も生み出さない。だからこそ、仏教的な生き方を身につけたい。

 罪障の自覚の無い人は、仏教徒ではない。「カルマ」という言葉が世に氾濫しているが、正しい意味を理解している者が少なすぎる。末法の凡夫というのは、この自覚を失い、欠落させている。だからこそ、「三毒強盛の凡夫」と呼ばれ、個々人の欲望と怒りと愚癡蒙昧の性質に人生を翻弄されてしまう。

 私たちの行いの全て(身口意の三業。つまり、「思い」も含む)は、アクションを起こした瞬間のみで消えてゆくものではない。やったこと、言ったこと、思ったことは、消えずにそのまま残ってしまう。考えてみれば恐ろしいことだが、それらは「種」となって自分自身の魂、心の奥底に貯蔵されてゆく。思い、口から出る言葉、所作振舞、あらゆる行為行動は、すべて「種」となって魂の土壌に蒔かれている。

 その種がいつ芽吹くのか、天候や状況にもよるが、私たちの行動が「種」であることには違いない。
 最近はガーデニングや家庭菜園を楽しむ人が多いが、お花や野菜を作ったことのある人ならば、「種」の凄さを知っているだろう。土は同じでも、数ミリでしかない小さな「種」。しかし、その違いによって様々な花や野菜が育つのだ。数万種にも及ぶ小さな種の違いは、余程の専門家でなければ見分けることが出来ないだろう。しかし、それが植えられ、環境さえ整えば、蒔いた種は必ず芽を吹き、蒔かなければ生えてはこない。

御教歌
「わするなよ まかぬたねならはえもせず まいたたねならはえるものぞと」

 いま起きている出来事は、全て自分自身の蒔いた種(因)により、芽を出した結果(果)という宇宙の真理、普遍の法則、因果の道理。このことを「果報」とも「罪障」とも「カルマ」とも言う。

 私たちは、つい「バレなければいいではないか」と思ってしまう。しかし、一つ一つの行為行動は「種」になって毎日毎時間、刹那刹那に、心の土壌に降り積もっている。一日に八億四千万回以上の種を蒔いているとの御指南もある。

 悪い種は悪く、良い種なら良く芽を吹いてゆく。「善因善果・悪因悪果」とはこのことである。三毒がもたらす身勝手な「行為」が「種」となって振り蒔かれていることを知らなければならない。それらが次から次へと芽を吹いて、人生を左右し、翻弄すらしている。この事実を知り、受け入れるのが仏教徒である。

 イヤな出来事が続いても、その「出来事」には間違いなく「原因」がある。目の前に出現した出来事には「種」がある。それは誰でもなく自分が蒔いた種であり、悪い種や根や芽を抜き取って、良い種を植えてゆかなければ真の幸せは訪れない。

 嘘を言えば、嘘を言った相手に嘘をつき返されなくても、いずれ誰かから嘘をつかれる。人を殴る。その相手から殴り返されなくても、いずれは誰かから殴り返される。悪口や陰口も同じ。誰かを騙してお金を手にしても、いずれ誰かに騙されてお金を手放すことになる。

 仏教とは単に倫理や道徳を説くものではない。「良いことをせよ」「悪いことをするな」では不十分であることを知っている。末法の凡夫とは、自分の欲深さに負けて、善なる行いは僅かで悪しき所作は圧倒的に多くなるからであろう。それでは結局人生を空回りさせ、悪循環の生き方が続いてしまう。

 何が大切か。物事の本質、目の前で起こる出来事の「理由」「原因」が見えていない生き方こそ不幸で、それで一喜一憂しているから不安なのだ。「良いことは自分のおかげ、悪いことは他人のせい」こそ誤り。悪い出来事、悪い状況が訪れても、全ては自分の蒔いた種という真実を見据えるべきで、その上で、今自分の蒔いている種が、どんな種なのか考えるべきだ。

御教歌、
「何事も たねが大事ぞ成仏も 本因妙のたねにあらずば」

 善事を勧め悪事を懲らすという勧善懲悪だけでは不十分な生き物が人間である。だからこそ、「最高最上の種まき」に行動を起こせと教えてくださる。私たちは、本因下種の御題目をいただいている。その名の通り「南無妙法蓮華経」の御題目とはこの上なく尊い種、御仏が全ての功徳を込められた「本因妙の種」である。

 因果の根本にある「本因妙の種」。それぞれ抱えている問題、目の前の状況も違うだろうが、幸せの種を心に収め、幸せの種まきに励むことが出来れば、必ず未来がより良く変わり、罪障の種や芽は消滅され、人生が明るく開け、輝いていくに違いない。

 すべては自分の蒔いた種、誰のせいにもできない。本因妙の種を蒔き、無限の過去から抱えている悪い種と芽を摘むべきだ。

 仏教はアクション、行動である。過去を恨み、他人を恨んでも意味がない。人には厳しく、自分には甘い人、他人のことはよく見える、自分のことは見えない。人間関係のトラブルはここから生まれる。人には敏感、自分のこと、自分のしてること、言ったこと、やっていることには鈍感。これが不幸の原因である。我が身の罪障にこそ敏感になって、幸せの種まきへと歩み出したら本当に明るく生きてゆけるようになる。どんな悪世であろうと、運と縁が回り出す。

御歌句、
「信心をする気が運の開き初め」

 ご信心をする気になり、日々の行為行動として実践できるようになれば、運が開いていくだろう。そこに踏み出させないのが罪障。罪障に負けるな。信心に踏み出せ。

キャパシティーを越える申し込み

 2日から京都でのご奉公。午前から第3回 青少年の一座について会議を進めている。夜19時からはウウェブ会議で京都、小倉、博多、熊本を結んで各地に集い、ご奉公を進める。

 ここに来て驚いてしまった。1月末で全国からの参詣集計が揃ってきたのだが、2009年8月22日の前夜祭、23日の第3回 青少年の一座・九州シンポジウムに対する参加者がキャパシティーを越えるほどの申し込みを受けているからである。これは、第2回の成果があってこそで、第2回の実行委員会の方々には心から頭が下がる。

 第3回は”『今』あなたのためにできること”をテーマとしている。前夜祭は光薫寺、当日は国際会議場のキャパシティーを越えてしまうのだから、何とか方法を考えないと。会場内容の濃い、参加した誰もが感動できるプログラムになればと思う。きっと、そうなると思う。

気をつけて‼️その電話、詐欺です‼️

  みなさん!気をつけて! 妙深寺の寺務所からお知らせです。 「今日、私の携帯に、総務省 総合通信基盤局 データ通信課の山田シンタロウさんから電話があり、私の名義で、8月21日にドコモショップ新静岡店で契約した携帯から違法メールがバンバン送られているとの事でした。 相手の方は私の...