2009年3月31日火曜日

おともだち

 春休み。長男が京都に滞在していた間、真優ちゃんと仲良く遊んでいた(いや、仲良くというか、ファイトしてる姿も見たが)。
 真優ちゃんは、長男より1才年上だけど、よく面倒をみてくれるし、かわいい。久しぶりに会った時、長男が真優ちゃんに向かって、「オレに会いたかったんだろ」と言ったとか(汗)。なんて自意識過剰な、傲慢なコメント。将来がコワイわ。「俺さま」やん。「オレに会いたかったんだろ」って。
 そう言われてすかさず、「何を言ってるんだか…」と応えてくれた真優ちゃんは大人。ありがたい。 仲良くしていただいて、本当にすいません。
 京都にいる間は、長松寺で淳慧師や博ちゃん、清翔師にお世話になった。とことん、お世話になった。真優ちゃんと一緒に映画村にも連れて行ってもらったようで、ほんま、申し訳ない。お化け屋敷に入ったことを、横浜に帰ってからも話してる。よほど怖かったんだろうな。長男は真優ちゃんにつかまり、真優ちゃんが博ちゃんにつかまり、えらい騒ぎだったようで。いい思い出になったらよかった。
 人間が大人になるためには、人生の登場人物を増やしていくしかない。「関係ある人」が増えていくことで「社会化」が行われる。いま、長男は6才で、この7月で7才になるから、医学的にもテストステロンがムチャクチャ出てきて、最初の反抗期のようなものを迎えてるんだろうし。この時期に、大切な友だち、貴重な経験を得て、彼の人生に登場人物が増えていってくれることがありがたい。
 いい春休みになったようだ。真優ちゃん、本当にありがとう。

2009年3月30日月曜日

点検と修理

 今日は、朝から病院。自分の病院。珍しい。
 誕生日も過ぎたことだし、この辺で車の車検のように点検と修理が必要だと思って病院へ。瓜生さんにお願いして何度か検査を受けたことのある病院なので気持ちは楽だ。病室の窓から富士山が見えた。気を落ち着かせて、検査、検査。
 口からも、おしりからも(汗)、内視鏡で検査。うわー、いやだ、くるしー。でも、やっておかないといけない。これも車と同じ。日頃むちゃくちゃな使い方をしているんだから。本当は、丁寧に丁寧に、今回の身体は長く使うんだ、御法さまのために使うんだからと、養生していかないといかんのか。あ~、性に合わないが、仕方ない。何かあったらたくさんの人に迷惑をかける。だから、チェック。
 やはり、友人の死も頭に浮かんだ。40を前にして逝ってしまったのだから。病室のベッドの上で天井を眺めながら、「アイツは、どんな気持ちで病室の天井を見ていたんだろう」と思った。病気になった者にしか分からない、「病室の天井」の意味があると思う。元気な奴には分からない。
 検査結果は3週間くらいかかるらしい。なんとか、大丈夫だったらいいな。治療も続けていかないと。忙しいからって、放っておいたらいけない。あかんな。

2009年3月29日日曜日

Bose's Barのポストカード

 清従師がボーズ・バーのポストカードを作ってくれていた。帰ってきたら、きれいなカードが机の上に。

 たしかに、なにせ月に一度だから、今までも日程のお知らせなどが上手にいかなくて、参加者にご迷惑をかけてきた。このカードが出来たことで、お誘いしやすくなるし、お知らせもしやすくなる。

 昨日のバーを考えても、ご信心をされていない方とお会いしてお話が出来るのは、本当に貴重な機会。妙深寺が三ツ沢上町駅に出している掲示板にも書いてあるが「信頼できるお寺に出逢えると、人生にいい事がたくさん見えてきます」だから、参加してくださる方にも「へー、こんなお寺があるのかぁ」と思っていただいて、できたら本当の、生きた仏教、ご信心の尊さにも気づいていただきたい。お迎えする私たちも、自分の信仰について語る機会を得て勉強になる。菩薩行の実践が出来る。「知ること」と「伝えること」は全く違うチャンネル。「伝える」ということを学べる機会だから、ありがたい。

 ご信心を、知的好奇心を満たすものだけにしてはいけない。自分の中、自分の家族の中、いつものメンバー、いつもの人とだけで、それが佛立信心だと思っていてはいけない。このご信心は不思議なもので、菩薩行している中で本当の素晴らしさを実感する。それはまるで化学反応のように、御題目と自分の信心が、ご信心していない方や悩んでおられる方の心と交差する時に、大きな何かを生みだし、何かを感じさせてくれる。圧倒的な現証の御利益が顕れるから。これを、実感していただきたい。

 よかった。このポストカードを活用して欲しい。

まだまだ、これから

 妙深寺の桜は、まだ二分咲きくらい。まだまだ、これから。
 ソメイヨシノの寿命は、もって50~60年と言われているが、何としても大切に守っていきたい。昨日の新聞にも出ていたが、昔は「桜切るバカ、梅切らぬバカ」と言われたが、ソメイヨシノに限っては悪いところを丁寧に切って手入れするのが長寿のために欠かせないという。そういえば、先住は竹ぼうきのようになった箇所を毎年丁寧に切っておられた。これからも、土の手入れや枝の手入れをしていかないと。
 昨夜のバーは、すごかったなぁ。補講に引き続き、ガラスの間に移動して月に一度のボーズ・バーを開催したのだが、神奈川新聞を見て来られた方をはじめとして約10名の方々が妙深寺をはじめて訪問したという方。全員にご挨拶させていただき、お話をお聞きできてよかった。素晴らしい縁だ。こうした出会いを大切にしたい。
 27日付けの神奈川新聞にも町内観桜会が写真付きで紹介された。ありがたい(涙)。「妙深寺さくらまつり」と題して載せられた記事は、また多くの出会いを運んできてくれるかな。昨日の方々も、また訪れてくれるとのこと。ちょうど一週間後の4月4日、夜には境内地が400名前後の方々で埋め尽くされる。いまの桜の状態を見ていると、やはりちょうど満開だろう。素晴らしい夜になると思う。
 今日、日曜日は準備ご奉公。たくさんの方々が集まってくださって、境内地のライトアップや飾り付けをしてくださっている。まさに、これから一週間、妙深寺は「桜ウィーク」になる。
 天気予報では、1日が「春の嵐」らしい。でも、この程度の咲き方ならば花びらが散ることもないだろう。大丈夫。横浜名物、「本化桜」はしっかりとご奉公してくれる。多くのお参詣者を喜ばせてくれるだろう。

2009年3月27日金曜日

教務も教化せよ

 開導聖人御指南
「教導職といふ名ばかりにて、終(つい)に、一人も教化・折伏したことなきは、三宝の御前にて、あけくれ、さんげして、必必、在家の人をかろんずる事なかれ」
 教務になるために必須。一人も教化したことの無い者が教務というは笑止と。教務は教化せずとも良し、教化させんとするのみとの言もあるが、さにあらず。教務に父母があり、友人もあり。教化せよ。
 教化したことがないという教務は、本当の教務ではない。それでは教務のご奉公など勤まらない。必ず、上辺の、ニセ者のご奉公となる。現証も顕れない。
 教化せよ。教化してない者は恥じよ。恥じ入れ。
 頑張ろう。ガンバレ。

2009年3月26日木曜日

人間を諦めない

 今日は佛立研究所・佛立教育専門学校の研究発表大会。
 特別講演として『学ぶ楽しさ、素晴らしさ- 夜間学校での出会いや学びから -』と題して、東京都墨田区立文化中学校・夜間学級嘱託 見城慶和先生にお話をいただいた。講演後、涙を流して感動したと言っておられた御導師がおられ、講演の内容は戦中・戦後を通して先生が如何に教育者を目指されたのか、夜間学校とは何か、夜間学校で出会った生徒たちとのふれあい、そこで感じられた人間の可能性についてお話をくださった。
 人間は変われる。人間への信頼。人間への飽くなき働きかけ、それこそ『教育』だと。人間を諦めないこと。人間を諦めなければ、人間への機会、人間への働きかけに動き出せる。人間は、絶対に変われるのだと。人間の愚かな面に戸惑うこともあるが、それでも、いつか人は分かってくれるはずだ、と。そうだなぁ、と学ばせていただいた。
 こちらが諦めてどうする。こちらは、永遠に、人間を諦めずに、働きかける、接していく、教えていく、待っている、共に動き、共に考えていく。それこそ、真の仏道、菩薩行に通じる。
 一人が変われば世界が変わる。諦めたら何も生み出せない。投げ出してしまったら、何も生み出さない。変な期待ではダメ。期待が強すぎれば見返りを求める。向き合う姿勢を変えなければならない。相手へ、精一杯の働きかけをし続けること。気持ちが通じないこともある。逆に暴走し始めることもある。期待を裏切り、気持ちを踏みにじることもある。しかし、こちらが最大限の努力を払うということ以外に、何の道があるというのか。逆に、相手を恨むか。世を恨めばいいのか。投げだし、傷つければいいのか。いや、違う。それは、自分がもっと不幸になる道。人間であることを諦めずに、働きかけを続けていくしかないのではないか。
 万物の霊長といわれる人間には、無限の可能性があると同時に悪魔のような愚かさがある。人間は、菩薩にもなれるが、鬼にもなる。素晴らしく、おそろしい。その内にある善なるものを信じて、そこに種を植え、そこを耕し、発芽させ、諦めずに、働きかけを続けていく。
 そして、働きかけを続ける自分自身も、愚かな、恐ろしい面を持っている。自分だけが正しいことなどない。自分も、そこで学ぶ。学ばなければならない。誰かに、教えていただかなければならない。誰かに、働きかけていただかなければならない。
 御宝前のある家。ご信心のある人。人間を諦めないで。自分を諦めないで。

2009年3月25日水曜日

生きてゆく先

 生きて行く先。生きる目標。何を見て、何を目指して生きているか。何を楽しみにして、何を目標にして生きているか。
 とても大切なことだと思う。パチンコが好きな人は、パチンコをすること、パチンコで勝つことをいつも考えているんだろうなぁと、パチンコ屋さんの前を通る度に思う。実は、私はパチンコが苦手というか嫌い。なぜ、イスに座ったままで、小さな玉を目で追いかけて、それで毎日のように時間を過ごすのかが分からない。麻雀やトランプ、競馬や競輪などの賭け事も苦手。というか、ムチャクチャ下手くそで、友だちと一緒にやったことがあるが、全く心惹かれることがなかった。それでも、それを楽しみにして生きている人もいる。それでもいいとは思う。自分が全て正しいとは言いたくない。
 しかし、明らかに身体に悪い生き方が好きだという人に対してお医者さんがそんな生き方をしていたら身体を害します、改めた方がいいですよとアドバイスするように、御仏は人間の生き方、生きる方向について、進むべき方向を示されていると思う。それが、正しい法を信じて、正しい法をもって他の人をも明るく照らしていく生き方だと思う。
 他の人の不幸を自分の痛みにしたり、他の人の幸せを願うことに生き甲斐を感じることが出来るようになったら、どれほど素晴らしいだろう。それが、自分の愛していた趣味や何かよりも価値のあることだと思って、朝から晩まで考え、行えるようになったら、どんなに素晴らしいだろう。
 家庭内の問題に悩んでいる。そうしたことも、自分があることに執着し、心を焦がされているからだと思う。それを、理屈や理論で変えようと思ったり、方向を変えたりすることは難しい。しかし、御宝前に向かって御題目をお唱えする。自分の思いや願いを御宝前にご祈願する。その中で、生きていく先が変わっていくと感じる。欲望をなくせ、それを止めろ、というのではない。御宝前に向かうことで、御法さまからのサイン、心の圧倒的な変化、現前に顕れる御利益を感得する。
 私は世界一のお金持ちになりたい。ミス・コンテストでグランプリになりたい。それがダメな目標だとは言わない。しかし、その先になにがあるか。御宝前に向かっている中で、それが自分自身で分かるようになる。教えていただける。何より、御法さまのお導きに接することができる。
 アクションもなく、心を焦がしているだけだと、欲しいもの、願っているものから遠ざかる行動をしてしまうのが人間だ。たとえば、この人の心を取り戻したい、と思っても、逆の行動をする。息子の気持ちを何とかしたい、妻の気持ちを、あるいは夫の気持ちを何とかしたい、と思っても、顔はギスギス、言い方はトゲトゲ、態度はボロボロ。そんなことではまたダメになると分かっていても、できない。
 そういう悪循環から抜け出させてもらえるのがお看経。生きていく先が見える。なぜ、そう思っているの?どうしたいの?どうしたらいいと思うの?自分の顔を鏡に映してみて。どんな顔をしているか。それでは人に愛されない。それでは夢は叶わない。
 人間に生まれた以上、人間として最高の生き方、命の使い方をしたいな。自分にしか分からない問題を乗り越えながら、御利益をいただいて、自分の生きていく先、生きるべき道を見つけて欲しいと思う。それが見えたら、何より幸せだと思う。
 そのために、御題目をお唱えしてほしい。御題目を欠かさないでほしい。言葉が足りないかも知れないが、そこから離れてはだめだから。お看経の味わいを知って。

2009年3月24日火曜日

父との朝食

 昔、父と来た。小学生だっただろうか。父と一緒に朝ご飯を食べた。それは、忙しい父と私の思い出の中では画期的なことだった。
 今でも鮮明に覚えている。朝食。
 父との思い出は極めて少ない。普通の家族が羨ましかった。家族で出掛ける。家族で食事する、等々。そんな思い出は、残念ながら少ししかない。いつも父はご奉公で忙しく、家族で仲良く週末を楽しんでいる友だちから話を聞くと、なんて贅沢なんだろうと思ったり、そこまでは思わなくても自分の家庭にはないなぁと思ってみたりしていた。
 父が不在。母も千鶴子叔母さんの介護や祖父母の看護などで家を空けるようになると、いつも待ってくれていたのは妙清師や戸塚のおばあちゃん。ヒコちゃんや樋口さんも夕食を作ってくれたり、洗濯物をたたんだりしてくれていた。子どもの頃、家に帰ると父はいない。そういう雰囲気で、週末はなにをしてたんだろうな。記憶がないわ。
 そんな親子関係だったが、心の底から父を尊敬し、母を愛していた。それは、やはりご信心のお陰。何のために忙しいのか、子どもながらに分かっていたのだと思う。たくさんの方が家に来られて、二階の部屋で父と話をする。お茶を出す母。そして、泣きながら相談をしに来られた方の話を聞く。そんな両親の姿を見て、部屋の中での会話に階段の下で耳をそばだてていた。ある時、相談に来られた人が帰り際に「お父さんみたいになってくださいね。救われました」と言ってくださった。そんな思い出の断片。
 息子と私の関係も同じようなもの。時間はない。世のお父さん方より一緒に遊ぶことも少ないと思う。しかし、今回は、ほんの一晩だけだが、ゆっくり一緒の時間を過ごした。朝、数十年前に父と私が食事をした同じ場所で朝食。息子は何気なく過ごしていたけど、自分と同じように、大きくなって、父を失ってから思い出すかな。少ない父親との時間の中で、「あぁ、あの時、朝ご飯を、オヤジとあそこで、食べたなぁ」、とか。

2009年3月21日土曜日

桜の下で待ってます

 今日はとても暖かかった。
 夕方、桜を見に行くと、一輪、二輪、あれ、あっちも、ほ~、こっちもかぁ、と咲き始めていた。本当に、開花宣言の通り。全速力で桜前線が北上してきたんだなぁ。京都の伏見では、たった一日で満開になってしまった桜もあるというし、これは一大事。前回紹介したワシントンの連邦議会前の桜も開花したとのこと。見ごろは4月1~4日。「桜祭り」では黒人演歌歌手ジェロさんが歌を披露するらしい。
 桜の名所は全国各地にあるが、自分にとっての最高の桜は、この横浜の三ツ沢、妙深寺の「本化桜」だ。これは、はずせないなぁ。いくら開花から満開までが早いからといって、見逃したら大変。朝参詣、夕参詣、特に3日の夜、4日の開導まつりにはお参詣していただかないと。そう、この前のメールで開導聖人のご命日に併せて開導まつりをしています、と書いたら問い合わせがあったのだが、開導聖人のお誕生日は4月1日。ちょっと、分かりにくかったかな。
 実は、3日の夜には20年来の友人が桜の木の下に集まることになった。こんなことははじめて。あまりにも同じ世代の友だちが病気になったり、逝ってしまったりしたものだから、このタイミングで顔を見ておこうという声があり、集まることになった。それも、妙深寺の桜の下で。
 有難い。夜桜を見ながら、昔話をしたい。本当に、楽しみにしている。

2009年3月20日金曜日

快晴で。咲いちゃった。

 妙深寺の桜は本堂側から咲く。
 それこそ、私たち妙深寺の本堂にまします御法さま、御本尊さまが、どれほど尊く、御力を持っておられるかの証のように思う。明らかに、桜からすると北側、陰になっている方から咲くのだから。
 今日は朝から雨が降り出していた。予報では10時から12時までが雨。案の定というか予報どおりというか、雨がパラパラ、いや風を受けてきつく降っていた。
 しかし、最初はバタバタしたものの、春季総回向がはじまるとカラッと快晴。素晴らしいお天気になった。昨日に比べると12°も気温が下がると言っていたが、もう温かい。春だなぁ。昨日、お祖師さまの御尊像の御綿をお取りし、おかとう(お祖師さまの御首まわりにお掛けする布・絹)を二重から一重にさせていただいたので、また寒くなったらどうしようかと思っていたのだが、やはり今年は寒さの山は越したようだ。
 妙深寺の総回向は例年1000名前後のお参詣がある。今日は、出だしが雨だったのでどうだろうか。本堂はいっぱいだったが。ご回向や墓園についての相談所を作って、御講師が一人張り付いてご奉公した。ご相談を受けたということ。担当者に聞いてみると、あるご信者は遠くに墓地のある方で、高齢になった今、子どもに引き継ぐにしても通うにしても、どのようにしたらいいだろうかと悩んでいると。そうしたご相談をお受けするのがこのご奉公の目的だったので、とにかくお話が聞けてよかったと思う。
 総回向の御法門は、先日来ご相談を受けることの多かった「霊障」というか、誰かが亡くなったことから始まった家族に起きてきた不可思議な「現象」についてお話をさせていただいた。仏教・本門佛立宗では、「霊障」などと大きな声で言うことはない。しかし、当たり前だが全面的に否定することなどあり得ない。
 見える世界、見えない世界、それはハーバード大学物理学教授、リサ・ランドールの示した多次元構造にも似ている。今日は、ほんの少しだけだが、2007年に米「タイム誌」で「世界で最も影響力のある100人」に選ばれた彼女の理論をご紹介して、身近にある「見える世界」「見えない世界」についてお話した。「西方極楽浄土」などといえば、「彼岸」は「遠く」に感じてしまうが、法華経本門に説かれた真の宇宙の姿は、この娑婆の中、私たちの身近に、シャワーカーテンで仕切られてこちらから見えないだけだが、そこに私たちにとっては「知覚」できない世界がある。
 私たち人間が考える「死後の世界」や「霊の赴く先」が多次元であると言い切るのは乱暴だが、通常「知覚」はできない世界が身近にあることには間違いない。そして、仏教では、その見えない世界と見せる世界は、離ればなれに、何ら影響を受けずに存在していると考えるのではなく、相互に関係していると考える。
 こうしたことを加味して、「霊障(?)」のようなことに対して苦しんでいる人、悩んでいる人に、佛立信徒は何を伝えられ、その人をどのように助けられるか考えていただいた。佛立信徒ならば、世間の人の考えるものではなく、本当の仏教徒・佛立信徒宗ならでは考え方、捉え方、見方、乗り越え方、薬、処方を知らなければならない。そこで、いくつか妙深寺の出来事・ご奉公の実例を挙げながら御法門させていただいた。「ユングのオカルトの心理学」なども引用した。この本とこれらのユングの論文については様々な意見があるが、深層心理学者である彼から見た、非常に興味深い「実例」が載せられている。
 さてさて、13時30分から妙深寺の評議委員会。慌ただしいな。それにしても、あまりにも温かくなって、やはり本堂側、桜から見れば北側から、咲いてしまった。今年も桜が咲く。

2009年3月19日木曜日

桜が咲き始めそう

 桜が、今にも咲き始めそう。


 今日は、朝から明日の準備ご奉公。3月20日10時、お彼岸の妙深寺は全信徒の志によって「春季総回向」を奉修させていただいている。ぜひ、家族揃ってお参詣していただきたい。

 境内地の桜は、今にも咲きそう。蕾は大きくふくらみ、その先端にはピンク色の花びらが顔をのぞかせていた。もう、明日か、明後日か、いずれにしても今週末には咲いてしまいそうである。

 4月4日の日には、妙深寺が境内地を開放して夜桜の会を行う。例年盛大に開催されているが、これも妙深寺のご信者さんがご奉公して、常日頃なにかとご迷惑をお掛けしている近隣の方や御縁のある方に来ていただいて催しを行う。ご奉公者があってこそだが、これも大切な菩薩行。ありがたいと思う。

 4月5日は、佛立開導日扇聖人のお誕生日を祝して、桜の木の下で「開導まつり」を開催する。子どもたちを中心に行われるもので、妙深寺境内にある「ふれあいの森(子どもたちが命名した)」を走り回る。

 アメリカの首都・ワシントンD.C.に行った際、ギフト・ショップにSakuraをモチーフにしたお土産が並べられていた。日本を代表する桜の木が海外でも親しまれていることに気づく。そう、ワシントンの桜は日本からの寄贈であり、多くの人に親しまれ、日本の素晴らしさを伝えている。
 私も桜は大好きだ。毎年書いているのでご存じかも知れないが、この妙深寺にある大きな3本の桜と一緒に育ったように思っている。特別の親しみがある。夏でも、秋でも、冬でも、その大木をさすっている。なぜかというと、桜という木は表皮がゴツゴツしていて、夏以降は虫もつくし、春以外はあまり見向きもされないで可哀相だから。来年も、見事に咲いてくれよ、と声を掛ける。実は、毎年元気がなくなってるように思うから、心配なのだ。
 しかし、今年も見事に花を付けてくれると思う。父が亡くなる2ヶ月前、手をひき、身体を支えながら満開の桜の花を見に出た。父と一緒に、桜の木の下。鮮明に記憶が残っている。満開になると、まだ父がそこに立ってくれているようにも思う。あの時の気持ちが、蘇る。だから、桜は好きだ。
 妙深寺の桜は、私が勝手に「本化桜(ほんげざくら)」と名付けた。ご奉公してくれている桜だから。その下で、また素晴らしい会が催されると思う。
 まずは、明日の総回向。少し天気は下り坂。今日と比べると12°くらい寒くなるようだが、ぜひお参詣を。

2009年3月18日水曜日

携帯用にブログ

 このブログの内容だと、どうしても大作になってしまっているようで、不評。長い、重たい、つらい、難しい等々(涙)。トホホ。でも、伝えたいことが心から溢れるほどあるので、仕方ない。
 でも、友人たちに進められて、もっと簡単に、気軽に、みなさんと結びつけるように、携帯用の、しかも内容もチョロッとしか書けないブログを始めた。つまらなくなると思うのだが、Amebaというサイト。でも、これもこれで、難しい。

The house of Buddha

 16日、長松寺の御総講で佛立教育専門学校の学生師と話をした。今日が卒業式。非常に優秀な、ご信心に対して真っ直ぐな学生師たちだったと思う。その彼らがスリランカに行った。ご供養の席で先般のスリランカご奉公がどうだったか尋ねてみた。みんな、本当に感激していて、話を聞きながらその感激が本物だと痛いほど感じた。うれしい。本当にうれしいなぁ。
 彼らが帰国してから、すぐにマータラでテロがあった。いわば戦時下の国にご奉公に行かれたわけで、それだけでも現代の平穏な環境から飛び出してご奉公されたということ。そして、初代信徒ばかりのスリランカで佛立の原風景、初代信徒ばかりだった開講当初の本門佛立講と同じ空気を味わえたはずだ。きっと、彼らの経験は自坊に帰ってから活かされるだろう。素晴らしい体験、ご奉公をされたと思う。
 また、今日書き足そうと思っていたのは、バイデラットゥナ家へのお助行。前回まで書いたとおり、私は御講を奉修した後、スリランカの南部をお助行に廻った。1日目の、最後から二番目のお宅が彼の家だった。すでに外は暗くなっていた。
 ご家族は、お父さんのジャガッドゥを中心に、スリヤニ、ケシャラ。お父さんは見た目はムチャクチャ怖い(汗)。でも、外見で判断しちゃダメ。そう、本当に優しく、極めてご信心も謙虚で素直、正直な方だ。今回のお助行のために、御戒壇を居間の中央に据えてくださっていた。丁寧に大勢のお助行者を迎えてくださり、準備に余念がなかった。心からお助行を喜んで受けておられることを感じた。そう、ここはコロンボから遠く離れた場所。お助行を受けることも稀なことだし、教務が来ることなど極めて珍しいことなのだから。
 そこでお看経をさせていただいたのだが、御戒壇を拝見していて胸が熱くなった。この御戒壇を見ていただきたい。そう、完全なる「手作り」である。なんとも有難いではないか。
 私は、このブログで何度か海外の御戒壇を紹介してきた。それは、御法さま、御本尊さま、生きてまします御仏のお住まいになる家。私たちの信仰にとって、何より大切なものである。
 開導聖人は、佛立最初の「御戒壇」を麩屋町の長松寺で護持された。従来の「仏壇(ブツダン)」とは大きく一線を画す、開導聖人ご自身がデザインされたもの。世間の仏壇は、何より大切な御本尊も奥の奥に格納されているようで、薄暗く、よく見えない。よく見えないことが奥ゆかしいとか、厳かであるという考えもあるのだと思う。尊いお方はお御簾の後ろに隠れているというわけだ。
 しかし、開導聖人はそれを本来仏教的ではない、佛立的ではないとされた。何より尊い御本尊、祈る対象が見えずにいてどうするのか。佛立講に対する改良以後、開導聖人は、最も佛立信心のしやすい形で御戒壇を「三方開き」にデザイン・製作されて自ら護持し、正面からでも拝見しにくかった御本尊や御尊像を、三方から見えるように横の壁を奥に引いて開けるようにしたのである。この佛立最初の御戒壇は、麩屋町の長松寺にお参詣すれば、いつでも拝見していただける。
 このように、佛立の御戒壇は、信仰の対象である御本尊さまを御奉安させていただく尊い御館であるが、それは佛立的にいえば極めてシンプル。御本尊を尊く護持して、「誰もがお看経させていただけるように」するものなのである。
 このジャガッドゥ家の御戒壇は、上記のとおりシンプルだが、真心のこもった最高に輝く御戒壇だった。上の仏丸も手作り。綺麗に彫ってある。板を切り、板と板を張り合わせ、色やニスを塗って自分で仕上げたのだろう。本当に、素晴らしかった。
 もちろん、スリランカにも立派な御戒壇はある。しかし、このまごころのこもった、シンプル極まりない御戒壇と、ご家族のとても素直なご信心を見ていて、心から感激したのだ。
 日本の、特に今の世代は忘れている。御戒壇を建立するということを。その意味、その志を。お金で「買う」というだけではない何かを、思い出して欲しいと思う。もちろん、今の日本の皆さんに、「自分で御戒壇を作りなさい」と言いたいわけではない。しかし、日本も、このスリランカのジャガッドゥさんと同じような時代があったのだ。
 戦後、妙深寺の執事長・坂本正教師のお母さま、後に尼僧となられた妙正師の御戒壇は、永らくミカン箱を改造して作られたものだったと聞いている。満州から引き揚げてきて、過酷な生活を強いられていた妙正師。それでも、何があろうとご信心を捨てずに、それを貫いた。その本物のご信心の一つの表れが、ミカン箱の御戒壇だと思う。綺麗とか、もっと大きな御戒壇を買いなさいとか、そういうことではないのだ。いま、坂本家の御戒壇はとても立派だ。でも、そういう時代が日本の佛立にあったということも忘れてはならないと思うのだ。
 妙深寺の戦前戦後のご信者方のお話を聞くと、妙正師と同じように、ミカン箱や布で作った御戒壇、綺麗な模造紙やシーツを張って御本尊を壁にお掛けするしかなかったとか、いろいろな状況があったのだ。それを、忘れてはならない。変な言い方かもしれないが、私たちの世代は、やはり綺麗な、立派な御戒壇を見過ぎていると思う。それが当たり前だと思い込んでいる。しかし、佛立の原点は違うのだということを知っていただきたい。もちろん、御戒壇は大切。「出世戒壇」とも言い、「まずは御戒壇を立派に荘厳させていただこう」という功徳を教えていただく。それは有難い、本当の功徳行である。御戒壇がみすぼらしいままで良いと思っているのは間違いだ。しかし、そう簡単にはいかないということを、学ばなければならないと思う。
 そんなことを思いつつジャガッドゥの家で過ごしていたら、本当に感激した。さらに、家を出る際、ご家族からズシッと重い箱を渡された。「重たいと思いますが、家族全員で毎日貯めてきたお金を御有志させてください」と言って、彼は貯金箱のようなものを私に手渡した。本当に重たかった。日本でいえば御初灯明料のように、毎日毎日、彼らは功徳箱に小銭を貯め、御法さまへの御有志にされていたのである。本当に有難く、尊く思った。

2009年3月17日火曜日

初乗り400円

 先日、地方に行った際、驚いたことがあった。タクシーの初乗り料金が400円!え~?横浜は700円を超えているから、もう、うわー、って驚いてしまった。
 もちろん、既存の交通インフラや物価の違いがあると思うし、私たちが思うよりそこに住む方々の暮らしにタクシーが身近なのだろうな。それにしても、400円とはうらやましい。足の悪い方は、横浜駅から妙深寺に来るのにタクシーを使われる。横浜駅から三ツ沢の妙深寺だと、高くなるから。それでも、お参詣くださる方々があり、タクシーの運転手さんも「妙深寺!」と言えば「はい!」と答えてくれる方もたくさん出てきてくれたから嬉しいな。
 400円、いいな。京都は、会社ごとに値段が違う。どうしてもタクシーを使わなければならない時、僕は500円台のアオイタクシーを選んでる。

2009年3月15日日曜日

日本の御講も負けないぞ ⑤

 何度も書くが、妙深寺の御講席ではご信者さんが語る、語る。とにかく、何でも良いのです、お話をお聞きしたい、ということで、ちょっと良い話やら、時々ちょっと悪い話が聞ける。僕にとっては、この時間が一番たのしみ。
 今月の御講でも、たくさんのお話をいただいてきた。川上さんのお席でも、ケラケラとみんなが笑える話から涙が溢れる話まで盛りだくさん。特に、高橋さんの奥さまのお話は有難かった。
 朝参詣の折に御祈願をさせていただいてきたが、子宮癌が発見され、手術を行われた。その発見も、あるご信者さんが帰寂されたことをきっかけに、60年以上検査に行ったこともないのに「行かなきゃ」と思って行ったとのこと。そこで子宮筋腫が発見された。しかし、それは悪性腫瘍、癌だったのである。10センチ以上あったというから、かなり大きな癌だったが、他への転移もないということ。ご本人から、「もう、本当に有難い」という喜びのご披露をいただいた。「病は成仏の仲人」。
 ムツミ君も、久しぶりにお参詣していて顔を見た。すかさず、「久しぶりだなぁ~」と嫌みっぽく声を掛け、ご信心をコンスタントに、しっかりと日々の生活の中でするようにとお折伏。そして、一刻も早く御本尊が奉安できるように、と。結婚して新居を構えて、まだ懐中御本尊だけだから。朝夕に自宅で、奥さんと一緒に御題目をお唱えできないと。しっかり!と。
 神港教区の御講では草刈さんから、本当に感動的なお話をいただいた。自分自身の体験、そして自分の友人の力になりたいという想い。その中で、たくさんの御法さまからのサイン、御利益、おはからいをいただいていることをお話くださった。
 彼は、自分自身も辛い状況にあった。そうなるまで、彼のご信心がコンスタントにできていたとは言い難い。しかし、その苦しみの中からご信心を一からやり直す決意をし、寒参詣も皆参(全ての日を休みなく参詣したこと)した。きつかったと思う。同時期に、苦しんでいる友人の力になりたいと思って行動を起こした。その経緯、その温かさ、思いやりが有難く、御法さまは着実にお計らいを彼に現してくださっている。あり得ないタイミングで新しい仕事も決まり、それこそ心機一転して再スタートを切れた。本当に、有難い。
 こんな「生の声」が聞こえる御講。なんと、ありがたいことか。毎回、こんなん、すごすぎる。

日本の御講も負けないぞ ④

 スリランカの御講も熱いが、日本の御講も熱い。
 先日、御講席に佐藤さんが遠くからお参詣くださっていた。ありがたいなぁと思っていたら、88才のお祖母ちゃんまでお参詣してくださっていた。
 御法門の後でお祖母ちゃんからお話を聞いてみると、「もう、これが最後だと思って、お参詣させていただきました。これが最後だと思うんです。だから、本当に、ありがたくて」と。こちらが恐縮し、本当に有難く思った。
「そんなことないよ、お肌もツルツルだもん。まだまだ、お参詣できます。最後なんで言わないで」とお伝えして、記念写真をパチリ。大丈夫、本当にお肌ツヤツヤのツルツルです。そして、次席に向かったのであった。

次男の誕生日

 昨日は次男の誕生日。
 午前中、御講のご奉公から帰ってきて、午後は神奈川布教区の弘通教養実践会議、14時から面会の方、会議に戻って夕方から夜にかけて神奈川布教区の参与会。夜は、妙深寺青年会の一年に一度の住職御講が日曜日(今日)奉修されるので、その御法門の勉強をさせていただかなければならない。その合間をぬって、次男のケーキカット。
 ケーキは瓜生さんからいただいてしまった。本当に申し訳ない。わざわざ、こんなことまで気を使っていただいて。本当に、申し訳ない。
 次男も長男も、バクバク、モグモグと食べていた。特に次男は甘いものが好きなようで、止まらない。私は甘い物はほとんど食べないので、誰に似たのやら。長男まで美味しそうに食べていた。
 ありがたい一致で、長男は妙深寺の初代ご住職・日博上人のご命日に生まれ、次男は先住の松風院日爽上人のご命日に生まれた。4日と14日。ありがたーい。覚えやすーい(しかし、忘れてた)。
 さらに次男は凶暴化している。いや、凶暴というか、やんちゃというか。近くに寄ってきて何をするのかと思いきや、「パチン」と私の足を叩いて、「ダディ、ぶった!」と自慢げに言う。「な、な、なんだコイツぅ~」と言いたくなる。こりゃ、本当に将来は危ない。
 そう言うと、母が「あら、二人とも、まだまともな方よ。子どもの頃のあなたに比べたらぁ。ねぇ~。それはそれはひどかったんだからぁ」と。騒ぎが止まらず、興奮状態に陥った二人を叱ったりして、母も辟易している時でも、「それでも、あなたの子どもの時に比べたらぁ。まだ良い方よ。あなたなんて、運動会の前に家を飛び出して、はしゃぎまわって、走り回って、郵便ポストの角に頭をぶつけて血だらけになって、それで結局運動会に出られないとか、こんなもんじゃなかったんだからぁ~」と。トホホ。あかん、だめや。こら、話にならん。
 とまぁ、こういう具合でケーキを切り、私はまた書斎に戻りご奉公。気合いの入った御法門を作り続けたのだった。ありがたい。

ミシシッピーでの写真 ビンゴと

 古い写真。
 先日、清康の結婚式の時に、彼が持っていた懐かしい写真を見た。ミシシッピーを源流からメキシコ湾まで走りきった時の写真だ。こんな写真が残っているのを私は知らなかった。あの時、あまりにも忙し過ぎて、写真を撮る暇もなかったし、それを振り返る時間もなかった。思い出は番組に集約されていると思ってきたが、そうではない。そこには出ない、数多くの思い出があった。
 3月3日に世を去ったビンゴが映っている。彼が、こんなにも早く逝ってしまったことが信じられない。写真をボーッと眺めていた。

2009年3月14日土曜日

日本の御講も負けないぞ ③

 素晴らしいポスターの第二弾。

 やはり、春季総回向について掲げてくれているポスターなのだが、特に昨年からのご奉公「お悩み相談コーナー」について出してくれている。

 このご奉公は、あまりにも「ご回向」や「お墓」のことについて悩んでおられたり、間違った考え方にとらわれている人が多いので、春季総回向の奉修の前後に教務がデスクに座って相談を受け付けるというもの。

 いろいろと考えてる。考えて、考えて、ご信者さんに正しいご回向、ご供養の在り方、正しいご信心の仕方、功徳の積み方を知っていただきたい。

日本の御講も負けないぞ ②

 妙深寺の御講で溢れる手作りのポスター。

 各教区がお参詣の皆さんに見ていただこうと、工夫を凝らしたり、センスを光らせて、わざわざ作ってくださっている。いつも、どこの御講でも、このポスターを作ってくださる方々に感謝して、ゆっくり拝見している。

 今回は、新横浜教区のポスター。千春ちゃんが作ってくれたのかな?すごいなぁ。桜の花びらが素敵!考えてくれています。

 しかも、この「1束のお線香よりも、一遍でも多くのお題目!」というコメントがいい。これを考えてくれているなんて。素晴らしいご信者だなぁと思って、感心した。そう、お彼岸にお墓参りして、お線香の束をドバッと上げても本来的にはご回向にならない。自己満足。それよりも、一本ずつ、毎日毎日自宅の御宝前にお線香を立ててお題目をお唱えすることが大切。

 特に、ポスターにもあるとおり、20日の春季総回向にお参詣して、一遍でも多くの御題目を唱えさせていただいたらいい。ありがたい。ポスター、ありがとう!

日本の御講も負けないぞ ①

 日本の御講も負けてない。
 妙深寺の御講は、ご信者さんが語る、話す、伝える。「ちょっと良い話」「菩薩の声」は御講の定番で、このお話が聞けないと淋しい。お看経、御法門の後は、お席主やお参詣の方からお話をいただく。この内容は、本当に素晴らしい。御講師方は、常にボイスレコーダーを持ち歩いていて、その温かいお話、涙ながらのお話、楽しいお話を録音。寺報掲載用にピックアップされたものは文字に起こす。このサイクルが有難い。
 今月、現時点で13席の御講を奉修させていただいた。だから、13席分の素晴らしいお話があるということ。小沢さんは、今月はじめて御講のお席主となられた。実は、ペースメーカーを入れる手術のために入院されていた。しかし、「そんな時こそ御講席主に」と発意され、何とその御講のために一時退院。御講席が終わるとそのまま病院へ。御講では、ご自身の半生を振り返り、ご信心の有難さを語ってくださった。有難かった。
 手術も無事に終わったとの知らせ。ありがたーい。ご信者さんが主役!

2009年3月12日木曜日

ダルマカヤとスタチュー

 マータラ地区でのお助行も日が落ちてきた頃、カピラ家へお助行に伺った。この家庭もご信心の日は浅く、まだ御本尊を奉安されたばかり。ご弘通が発展しているのを実感できて有難いのだが、近所の人たちが集まっていて、大変な騒ぎになっていた。
 すでに玄関口には人だかりが出来ていて、家に入るのも大変。しかし、これがご信心をされている方の温かい目でないことにはすぐに気づく。ジロジロ、ギロギロ、と頭の先から足の先まで、「どんな奴が来たんだろう」という目で見られる。でも、これも慣れっこ。こちらはスリランカの刑務所でも講演したこともあるし、それこそ恐ろしいくらい、珍しいモノを興味津々で見つめられたこともある。なんてこともない。
 それでも、この村落に住むワサンティご一家は、ご夫婦とお嬢さんをはじめとても素直なご信者さんとなっている。息子さんは初めてお会いした。後で、彼が色々な疑問を持っていることを知ったが、このご家族のお宅に訪問できてよかった。
 家の中に、近隣の人を含めて40名ほどのお参詣。家の居間に入りきらないほどの人が集まっていた。お看経をする前に、近所の人が何も分からないので、このご信心について、御題目について、御題目の唱え方について短くレクチャーしていただいた。この時、聴き入るように前に出てきた方々は初老の女性が多かった。なにせ、近所の住むこの女性たちにとっては、私たちの教えるものが、仏教なのか、そうでないのか、どんな宗教か皆目分からないはずなのだ。
 お看経終了後、もう一度短く説明を重ねた。こうなると、私の英語→シンハラ語は面倒なので、ミランダさんやガマゲさんに任せる。時間がもったいないから。私は御宝前を拝見していて、とてもシンプルで綺麗な御戒壇だと感心していた。
 すると、家の外を囲んでいた青年たちが御戒壇近くまで勇み足で近寄ってきた。流暢な英語を使いながら、なかば詰問してきた。聞いてみると大学生だそうだ。20才前後だろうか。非常に優秀な青年なのだろう。私は、「ちょっと一休み」と思っていたのだが、若者4人ほどとディスカッションを始めることになった。
 彼が言う。「これは何の宗教だ。仏教か?このコンセプトは本当に仏教なのか?もし、仏教だとするなら、テーラワーダの方が仏教としては古い。仏教をそのまま伝えているはずだ」と。
 私は応える。「もちろん、これは仏教だ。古い、新しいという話ではない。私たちは2500年以上前にブッダが説かれた法華経の教えに基づく信仰をしている。つまり、これは仏教そのものだ。法華経(ロータス・スートラ、サッダルマ・プンダリーキャ・スートラ)は少なくともテーラワーダの僧侶も知っているはず。それは「諸経の王」と呼ばれている、非常に重要な、特異な、古い経典だ。この法華経の中でブッダは自分の滅後の人々のためのエッセンスを明らかにされた。自分のオリジナルのステージと、自分の滅後の存在(寿命)について説かれた。そして、滅後の世界で人々を導く人のために、様々な予言をされた。話せば長くなるが、つまり私たちが唱えるマントラは、法華経の教えに基づいたマントラであり、最も御仏のエネルギーの込められたもの、御仏のスピリットそのものである」
 「なぜ、スタチュー(仏像)を使わないのか」
 そう、このお宅に来る道のりで、それはそれは巨大な仏像を見た。まさに「大仏」だ。スリランカの街角にはたくさんの仏像が安置されている。彼らにとって仏像こそブッダの存在を知るための方法なのだ。
 私は応えた。「ダンマ(法)があるからだ。あなたはどう思う?ブッダの魂はどこにあるのか?仏像の中にあるのだろうか?」
 「俺は仏像を見て、ブッダを感じる」
 「そうか。しかし、それはあなたが感じるだけで、ブッダはどうであろうか。ブッダはどのように説かれているだろうか。ブッダの教えに従うのが仏教だとしたら、ブッダの教えこそ尊重すべきだろう。私たちは仏像を見た時、私たちなりにブッダをイメージすることはできる。しかし、ブッダの魂がそこにあり、ブッダの魂と交信できるのだろうか。それは、ブッダの説に寄らなければならない。数多くある仏像は尊くても、ブッダの教えに照らし合わせれば、それはできそうもない。法華経には、ブッダの滅後、その御魂がどこに存在するかを説かれている。そして、それと一体になる方法が明らかになっている。永遠に生き続けているはずのブッダとコンタクトする方法がある」
 「この『ナムミョウホウレンゲキョウ』というマントラこそ、『ダルマカヤ(本来、この言葉の意味は「法身仏」のことであり、私の言わんとするところを満たさない。しかし、スリランカの人々にとっては理解しやすい。本来は「ニルマーナカヤ(応身仏)」「サンボーガカヤ(報身仏)」などの言い方もある。しかし、仏の三身論についてはここで論じても意味なし)』であり、「ニルマーナカヤ」を前提にする「スタチュー(仏像)」を敬うこととは本質的に異なるのだ。肉体のブッダをイメージするために敬うのではなく、「ダルマ(法)」として生きているブッダそのものとして私たちはこのGohonzonを敬い、『ナムミョウホウレンゲキョウ』と唱えるのだ」
 「なぜ、ナムミョウホウレンゲキョウなのか?」
 「それがブッダの魂だからである。生きているブッダそのものであり、唱えることによって私たちはブッダと一体になれるからだ」
 「それで何が変わるのですか?何が起きるのですか?」
 「ベネフィット(御利益)がある。自分の人生がポジティブに変わっていく。内面にエネルギーが満ちてくる。不思議と『縁(Chance、connection)』に恵まれる。カルマが変わっていくよ。ブッダのサポートを感じられる。ブッダは一人の人格であっただけではなく、法華経で永遠の命そのものであることを明らかにされた。ブッダとは、宇宙そのものであり、私たちはそれを知り、一体になれるはずだ」
 最初は厳しい形相で詰め寄ってきた青年たちと、こんな会話を交わし、とても友好的に、平和的に会話を終了した(汗)。は~、よかった。先ほども書いたが、この近所には200年前に建立された大きな仏像がある。彼らは、子どもの頃からそのお寺に親しんで生活してきたに違いない。唐突に、こんなことを話し合っても分からないかも知れない。しかも、立ち話ではどうしても中途半端になってしまう。
 ただ、これが法華経の教えであり、お祖師さまの教え。ストレートに伝えさせていただくと、逆に自然と御題目をお唱えしてくれる。それこそ、有難い。真実の仏教が、ブッダの真意の下で、簡単に国境や言語、文化や宗教の壁を越える瞬間であると思う。
 その家から出る際、私は若いご長男に対し、「また御講ミーティングで会おう。お参詣しなさい。しっかりと佛立信心を理解し、友人にも説明できるようにならなければならないよ」とお話しをした。さっき詰問してきた青年は、車まで近づいてきた。みんなで手を振りながら、にこやかに別れを惜しんだ。ご奉公には、突発的なことがある時こそ味わい深い。

今は在家が教化よくする

 マータラ・エリアでテロが起きたことは極めて残念なことだった。あの町は、本当に穏やかな町。テロという恐ろしい行為から遠く離れた場所であると思っていた。
 寺院を借りた御講から、またお助行へ。この地域のメンバーの方々の家を巡回した。次に訪れたのはラリッツ・グナセケラ家。ご主人と奥さま、お祖母ちゃんと長男・長女の5人家族。このお宅は大きな4階建てのビル。この場所で、この規模の建物はスゴイ。しかし、スリランカによくありがちなことなのだが、まだ建設中。いつ完成するのかも分からない。現在は、2階だけ完成してる。
 その2階を現在の住居部分にしている。玄関を入ってリビングの中央に御戒壇。御宝前に向かって一座のお助行、お看経をさせていただいた。御戒壇は、今はとても小さいのだが、これから3階、4階と建設を進めていって、この2階部分を親会場、マータラ・エリアのセンターにしたいと申し出ておられた。となると、このお宅がこの地域のご弘通の中心的な存在になる。本来、佛立宗のご弘通は、このように親会場形式で進んできたのだ。佛立は、「お寺」から弘まったのではない。ご信者のお宅を中心にしてご弘通が発展してきた。だから、「御講はご弘通の道場」と御指南されるのである。
 この2階のホールは、50名ほどお参詣できるスペースだと思う。このエリアのセンターとしていきたいというお話を受けて、少しお話をさせていただいた。
 本門佛立宗のご信心では「お教化」が大切。実は、統計を見ると、スリランカは世界的に見て自殺率が高いのを知っているだろうか。残念ながら、日本も同様なのだが、これは何故なのか考えて欲しい。なぜ、人は自ら死を選ぶのだろう。死を選んでしまうのだろうか。それは、人々が心の葛藤を抱えて、御仏の正しい教え、心の薬を知らないからではないだろうか。スリランカに仏教寺院はたくさんあるが、このように自殺率が高いのは、苦しむ人々に御仏の正しい法(正法)が届いていないからではないか。御題目は心の薬である。今こそ、苦しむ人々に、その薬を渡すべき時である。
 もし、あなたの手に、どんな病にも効く薬があったなら、あなたは近隣の人に分けてあげるだろう。苦しむ人たちに、その薬を分け与えたいと思うだろう。もし、「私は分けたくない」と言う人があれば、その人は慳貪(ケチ)の罪に値する鬼ではないか。薬があるのだから。苦しむ人を目の当たりにして、あなたは薬を分け与えられる。その使命があり、義務がある。
 今日、このように御題目をみんなで唱えた。今日から、近隣の人に対して、もっと明るく、朗らかに、高らかに、この「ナムミョウホウレンゲキョウ」の御題目をお伝えしよう。難しいことは考えず、一人でも多くの人を御宝前にお連れして、御題目をお唱えいただこうではないか。お教化させていただこう。
 このようなお話をさせていただいた後、またご供養をいただいた。もう満腹。でも、ご家族はココナッツから採れたシロップを出していただいた。これは、本当に珍しく、特別なもので、本当に美味しい。何度か食べた経験はあるが、それを自家製のヨーグルトの上にかけて食べるのである。正直に言えば、こういうご供養は少々お腹の具合が心配になる。しかし、いつも出していただいたものは食べる。ここでもいただいた。そして、本当に美味しかった。「ラサイ~!」というスリランカ語が「美味しい」という意味なのだが、連発。ご供養の準備、ありがとうございました、と。
 このお宅、このご信者の方々、この場所を起点にして、またご弘通が進められてゆく。原点に返れば、佛立はお寺からご弘通が始まったわけではない。ご信者のお宅、ご信者が提供してくれた親会場、センターからご弘通がスタートした。それがお寺になり、現在に至る。この原点を忘れたらご弘通が止まる。ご弘通の道場は御講という意味が分からなくなる。開導聖人は、お寺中心からご信者宅をご弘通の場へ、僧侶中心だった仏教を信徒中心の人助けの仏教へと変革された。
 御教歌
「いにしへは出家が人をたすけゝり 今は在家が教化よくする」

あの町でテロが

 今月初旬、福岡御導師と高須ご住職(熊本・長薫寺)が引率し、佛立教育専門学校の学生お講師方がスリランカに行かれた。無事にご奉公成就・帰国帰山されることをご祈願させていただいていたが、素晴らしいご奉公を終えて無事に帰国されたようで、よかった。怖いニュースが続いていたので心配していた。コロンボを中心とした万全の行程だったので危険は少ないとは思っていたが、何が起こるか分からない。とにかく、未来の佛立を担う青年教務の方々が無事に帰国されたことを嬉しく思う。きっと、将来のご弘通ご奉公にスリランカでの体験が活かされる。これは間違いない。
 しかし、一方で恐ろしいニュースは続いていた。このブログにも「マータラ・エリアでの御講」私が訪れ、地元寺院を借りて御講を奉修させていただいたマータラ地区で、現職の閣僚を狙ったテロが起きた。この町のモスク(イスラム礼拝所)で行われていた「マホメット聖誕祭」で自爆テロがあり、と少なくとも15人が死亡、閣僚1人を含む60人が負傷したという。あの穏やかな、しかもコロンボから遠く離れた町で、自爆テロが起こるとは。閣僚の爆殺という現政権への直接的なダメージを狙ったものだろうが、私が訪れ、通り過ぎた、あの町で、このような惨劇が起こったことを悲しく思う。
 現地のディリーパ君に連絡を取り、ご信者の無事を確認。もちろん、佛立信者がムスリムの宗教行事に参加することは考えられない。しかし、仕事の関係や通りかかって被害に巻き込まれないとも限らない。特に、このエリアのリーダーであるガンガー女史は大丈夫だったか。彼に確認したところ、大丈夫である、何の問題もなかった、とのこと。よかった。本当に。
 これからも、北部ムライティブ近郊の密林地帯約55平方キロメートル内に追い詰められているLTTEがどのような報復攻撃に出るかは予測不能だ。哀しい戦争が続いている。何としても、またご奉公に行かせていただきたいと思う。ご信心をしている純粋な彼らを励まさなければならない。立正安国論上奏750年の御正当年、世界の平和と人々の安穏な暮らしのために。時代は仏教なのに。真に、普遍的な教えが人々の心に届いたら、と思う。日本は、変な意味で、穏やかな。奇妙に。年度末を迎えて、経済的にも政治的にも、雇用にしても、危機が迫っているのに。

パソコン練習中?

 妙深寺にはパソコンが何台あるか?もう、分からない。それでも、早い時期から導入して、ホームページの開設、グラフィック・デザイン、動画編集などを行ってきた。それでも、この前はじめてウィンドウズではなくマックを購入。その綺麗さや性能に驚いた。
 みんな「マックにしたら?」とアドバイスをくれたが、「いや~、互換性が分からないから」と言ってウィンドウズで耐えてきたのだが。早くマックにしておけばよかったかな(涙)と思ったり。
 その大切なPCを、次男がいじる。練習のつもりか?あかん、そんなことしたら(汗)。

プレイボーイ

 あまり想像したくないが、この子は将来プレイボーイになる。ずるい。うまい。強い。
 こまったな。

今年もいよいよ大詰めですー

いよいよ「今年最後」のご奉公が続き、「よいお年を」というご挨拶をさせていただくようになりました。 今年最後の教区御講を終えた日曜日の夕方、横浜ランドマークタワーのスタジオで白井貴子さんをゲストにお迎えしてラジオの収録を行いました。ずっと聴いていたいほど大切なお話が盛りだくさん。 ...