ドラマは、いよいよ坂本龍馬や海援隊が、これまでの全てを集約し、最も輝く時期に入りました。しかし、そこに最も大切な人がいません。
ドラマでは、船中八策を龍馬一人で書いていると描きました。そこに少し陸奥が入ってきましたが。実は、NHKの「龍馬伝」では長岡謙吉がキャスティングもされていません。本当に、これは哀れです。
「もっと綺麗な字で書き直さないと大殿様に見せられんき」と後藤のセリフ。清書のみの役割を誰かに設定していたことを示唆したのでしょうが、哀しい。綺麗な字を書いているアップが映りますが、誰が書いているのかは分からない。何たることでしょう。
また、藤吉を中岡の紹介のように描きましたが、これも間違い。どんどん、間違いというか、残念なシーンやシナリオが増えていきます。
龍馬や慎太郎と共に絶命した藤吉を龍馬の従僕にしたもの長岡謙吉で中岡ではありません。謙吉が行きつけだった先斗町の魚卯で出前持ちをしていた元相撲取りの雲井龍藤吉を可愛がって取り上げたのです。
陸援隊の本部は土佐藩白川屋敷にありましたが、後藤象二郎は壺屋、福岡藤次は大和屋、真辺栄三郎は越後屋、神山佐多衛は木屋町二条。海援隊関係でも、当時は陸奥陽之助は沢屋、海援隊本部が置かれた酢屋には白峰駿馬がいました。
いずれにしても、長岡謙吉が描かれていないのは大欠陥です。
現在は、重要文化財となって京都国立博物館に置かれている「梅椿図」は、近江屋で坂本龍馬と中岡慎太郎が暗殺された際に飛んだ血の痕が残っている掛軸です。この上部に書かれているのは急を聞いて駆けつけた長岡謙吉が涙ながらに書いた追悼の詞です。よく見ると、左側に「懐山樵史 長岡恂 謹誌」とあります。この「長岡 恂」こそ長岡謙吉です。その文章を書き出してみます。
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