2010年10月10日日曜日

呵惰醒酔論

仏教徒は、全てが必然だと信じる。仏教徒は、全ての責任は自己に帰結し、他に転嫁できないと知る。佛立仏教徒は、他人のせいにしない。

自己の責任を痛感せよ。怠慢ならざれ。慢心せざれ。泣くな。諦めるな。

自嘲は逃避。批評は驕り。頑迷も無知も生命の油断。嘆くな、不平を言うな、血が濁る。

覚悟なき時代だからこそ、退路を断つ覚悟で生きる。佛立仏教徒は、かくあるべしと。

詮ずるところは、天も捨て給え、諸難にも遭え、身命を期とせん、と。高祖のご覚悟を思い、名聞利己利養の朋輩は恥ずべきなり。

開導聖人、海援隊の閑愁録に答えて曰く。

「衰えたり。吾が仏法。宗祖は、はじめ往来大道の辻説法より天下を諌暁し、一切を誘導して、信行の者も、所々国々に出来せり。

故に、小さき庵も大寺伽藍となれり。故に高座説法となり、学寮も出来す。

方今は、教導なき故に、檀越は他宗に移り、信者日々月々に減損す。故に、寄付勧財等、少しも集まらず、学問所あれども素読だにも教へざれば、学ぶ者もなし。

故に、法門を知る者もなし。只、死者、葬法、旧政に安んじて、大法弘通の道ふさがりて、一人として通ふ者もなし。

佛日まさに滅せんとす。いかにせば、此の道を元の如くに開かん」

いかにせん。元の如くに。

開導のDNA、佛立仏教徒の誇り。ありや、なしや。

その文言を紙片に読み、指南を数多に知る人あれど、、、、。恥ずべし。恥ずべし。

今夜、龍馬伝。お楽しみに(笑)。

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