陸前高田から妙深寺の寺報のアドレスにメールをいただきました。私たちの炊き出しのお世話をしてくださっていた方からです。ここではお名前を控えさせていただきますが、私は、今まで支援活動をさせていただいてきて、本当に良かったと思い、泣きました。
本当に、申し訳ない。本当に、ありがたい。ありがとうございます。これからも、妙深寺、頑張ろう。
「私の町陸前高田市は今回の東日本大震災により壊滅的な被害を受けました。大地震の後高さ7、8mの津波に襲われ命からがら役所の屋上に逃げました。
津波は、だんだんその高さをまして何度も退いては襲うことを繰り返しました。屋上にも波しぶきをあげて瓦礫がうちあげられ、ここまでと観念しましたが、一命はとりとめることができました。
翌日高台にある避難所に自力で脱出しました。家も会社車も全財産を流され、私の避難所生活が始まりました。
町の全てが消え、行政も機能を果たせなくなり、高台にあった老人ホーム高寿園には500名もの避難民であふれました。当初、全体の避難民は5000人以上いたと思われます。
老人ホームの職員らは、近隣の農家から米をわけてもらい、朝夕2食を水分たっぷり含ませたお粥で避難者に食べさせてくれました。
1ヶ月くらいは粥、おにぎり、パン、カップ麺で朝夕2食ですごしました。そのうち全国から救援物資や炊き出しが来るようになりました。
炊き出しの中でも4月29日の妙深寺様をはじめとした大掛かりな炊き出しがあり、大変驚きました。清潤ご住職自ら先頭に立ち汗して働いているお姿に接し、本当に有り難く涙が出てしまいました。
何しろお肉やお魚など、震災後初めての食材で大バーベキュー大会が開かれたのですから、避難の方々も大喜びでした。
そして、6月3日の炊き出しと近隣の避難所から多数訪れ大感激でした。
その他にも開運寺の秋山現信様をはじめ住職の皆様には何度も陸前高田に足を運ばれて、心暖まる物資をたくさん頂きました。本当に感謝申し上げます。
今回の震災で妻を亡くし、悲しみに沈んでいた私には皆様のご奉仕に、どんなに勇気を戴いたことか言葉に表すことができません。
また、寺報を拝見させていただき、5月号の表紙に当地の桜樹を掲載されて戴いたのも嬉しく思いました。
不思議な事に、震災で何もかもなくしましたが、海や自然に憤りを感ずる事もありません。今まで自分の土地、家、会社と思って暮らしていたのですが、そんな事は人間が勝手気ままに決めていたことで、実は地球の借りものであり、そこで生かされていたんだなと思うようになっていました。
震災前の生き方とは違って、何か別の考え方や生き方が芽生えはじめているのを感じております。
妙深寺の皆様には感謝感謝です。心よりお礼を申し上げます。そして、この度いろいろお付き合いさせて戴いたご縁を大切にしながら、前向きに歩みだそうと思います。
今後とも宜しくお付き合いいただければ幸甚でございます。机もなく携帯のメールで失礼とは存じましたが、お礼を申し上げたく送信させて頂きました。纏まりのない文面、どうかご容赦下さい。」
泣けて、泣けて、泣けて、仕方がありません。
今まで、被災者の方々を想うと眠るのも申し訳ないと思い過ごしてきましたが、少し眠れそうです。
まだまだ始まったばかり。これから本番。頑張ります。
ありがとうございます。
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