明日は午前中から6月10日に向けた大詰めの会議です。リハーサルもあります。本当に、追い込みです。
何か全てがこの短期間にギュッと詰まっていて、驚くべきことだと思います。
昨夜、出版を予定している本のISBNを教えていただき、感慨無量になりました。このコード、大切なんですー。
原稿に手を付けながら、この12年間を振り返っていました。
住職就任直後、アメリカで同時多発テロがありました。妙深寺報にも残されていますが、住職就任の挨拶が、テロ後の世界で自分が果たすべき役割や覚悟を表明するものとなりました。
そして、現実あの米国同時多発テロから明らかに世界は変わってしまいました。この激流に立ち向かうために、命を懸けようと思いました。
アフガン侵攻からイラク戦争。私は悲憤していました。あの大義なき戦争が始まった直後、アッシジの聖フランチェスコ教会で日本の仏教界も参加して「平和の植樹」なるものをしていた。私は「馬鹿か」と思いました。
いずれにしても、私には納得できなかった。平和な場所にいて平和を語るだけの仏教など去年のカレンダーのようなもので、この血みどろの世界に通用しない。平和ボケした贅沢な知識人や傷ついたエゴイストのための教えなんて、仏教ではない。
でも、そんなことを伝えても分からないですね。その当時は、そんな風に思っていました。
イラク戦争は春のお彼岸に始まりました。そして、連日戦争の報道。アメリカがイラクが大量に保有しているというから、核兵器や生物化学兵器が使用されることのないようにご祈願するお寺もありました。しかし、罪なきイラクの市民がたくさん死傷する中で、そんな大義などなかったことが分かりました。ついに、それらは発見されなかった。
11月、一人でイスラエルに行きました。出発の前々日に家族に伝えて。長男が生まれたばかりで、あなたはバカかと言われましたが、自分が幸せを享受することを恥じるべきだと思うような時だったのです。
イスラエル、エルサレム、パレスチナ自治区で見た空や雲。イラクにこそ入れませんでしたが、600キロほど先で、あの愚かな戦争が行われていることに胸が高まりました。そして、ユダヤ、キリスト、イスラムの聖地と呼ばれる場所を巡り、たくさんの人々と出会いました。
あの後、「華氏911」という映画を観ました。すでに公開期間が過ぎていて、関内の小さなシアターに行って、一人で観ました。
内容はともかく、あの映画の中の1つのシーンで声を上げて泣きました。それは一人の男性が4才か5才の男の子を運んでいるシーンです。少年は全身から力が抜けていて、きっとすでに死んでいました。米軍の爆撃によって亡くなったのですが、カメラの前を父親が抱きかかえて通り過ぎる瞬間、その少年のズボンが映った。そのズボンが、おもらしで濡れていたのです。
どれほど、怖かっただろう。どれほど、痛かったのだろう。そう考えると、涙が出て、涙が出て、仕方なくなりました。
そして、また悲憤した。決意したし、覚悟したし、捨てました。
あれから、時が過ぎましたね。スマトラ沖地震があり、スリランカ、イタリア、ブラジル、インドと駆け回ってきました。そして、立正安国論の750年の記念の年を迎え、人の心が乱れれば世界もまた乱れるということを3年近く学びました。
その直後に起こった東日本大震災。原子力発電所の事故も加わり、多くの大切な命が失われて。支援活動に走って、走って。そして、6月10日を迎えます。
何ができるか分かりませんが、その全てを命懸けでやりたいと思います。最も一般的な仏教理解と普遍的な本当の仏教・法華経の教えが異なるのは、個人の平穏は個人が平穏を求めても得られないことを知り、むしろ他者の平穏を求める動的生命活動の中に個人の普遍的平穏があると説くところです。
故に、人生で最も大切なのは、その「目的」と「意志」となる。個人の平穏を求めるだけなら、世の中のイザコザや争いから遠く逃げ続けていたほうがいいです。しかし、そうではない。それは、仏教ではない。そこに、安穏も平和もありません。逃げていて、自分だけ平静を装って、それで何かが得られたと言っている人は、夢遊病者か麻薬をされている人です。
仏陀が釈迦族の滅亡に立ち会い、我が子を失った母親と向き合い、殺意に取り憑かれた人や薬物依存の人に向き合った事実や「行為」こそが、私たちが最重要視するところです。
信がなければ行動がない。
歴史家は、何かを変えようと思う時、3つの段階があると言います。最初に変革を求めた人たちは志半ばで斃れる。次の世代も倒れる。変革の果実を手にするのは第3世代だと。
今、よく世の中を見渡すと、みんなが第3世代狙いで、捨て石になろうという人がいない。みんな、自分が果実を得たいと思っています。「種まき」は口先だけ。こんな風に世の中を見ていると自爆テロを行う狂信者に誤解されると困りますが、「捨て石」になりたいと思います。冷静に、そう思うのですね。
エルサレムの街角や夜明けの風景は、こういう風に考えが逡巡とした時に見返すようにしています。
2012年5月26日土曜日
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