晴天の下、相模原 妙現寺の門祖会にお参詣させていただきました。奉修御導師は横浜 照隆寺ご高職 前島日力化主。開導聖人のご奉公、当時のご信者さまのご奉公に触れた御法門は、聴聞させていただくたびに感激し、心に改良を誓わせていただくことが出来ます。本当に、ありがたいです。
前島ご住職の柔らかいお言葉からお聞きすると、開導聖人の教えが心の奥深くまで届くようで、今日も感動でした。
御法門でご紹介いただいた「お教化の旅」という開導聖人当時のエピソード。
たくさんの方が病気で苦しんでいることを聞いて、宥清寺を飛び出した乾組(いぬいぐみ)の前田政七(さしち)さん。何幅もの御本尊さまを背中に背負って「お教化の旅」に出られました。
そして、実際に、苦しんでいる方に寄り添い、共に御題目をお唱えして現証の御利益を顕し、お教化をなさって京都まで戻られました。まさに、「お教化の旅」です。
前田さんは自宅よりも先に麩屋町の法宅を訪ね、開導聖人にご奉公のご報告をなさいます。
すると、開導聖人は涙をポロポロと流しながらお話を聞かれ、大感激される。
これが、開導聖人。
開導聖人の姿勢、ご弘通ご奉公の生の姿なんです。
そして、御指南の結びに、開導聖人はポロっと書かれる。
「この人のご信心に、私は及ばないなぁ」
すてきー。
これこそが、開導聖人ですねー。
こうした謙虚さ、ご信心への素直さ、ご弘通ご奉公への情熱、ひたむきさ、我も彼もない姿勢が、菩薩とは在家も出家もないという核心が、すごい。
やはり、開導聖人に帰るしかないです。
開導聖人らしいか、らしくないかで、改良するしかないですね。
今日は、本当に、ありがたかったです。
ご弘通の情熱に燃えています。
写真を見るだけで、伝わると思います。
よく、海外に、まるでタイプカプセルみたいに自国の文化が残っていることがあると言いますが、現在のブラジル本門佛立宗には、古き良き、いい意味での佛立が残っているように思います。
みんな、開導聖人のお弟子らしい。
みんなが、口を揃えて、
「お教化の旅に出たい!!」
と言うのです。
「ご弘通未開の場所で、日水上人のように、ご弘通させていただきたい!」
そう言うのです。
きっと、開導聖人がお聞きになれば、前田さんのお話に泣きに泣かれたように、感動の涙を流されることでしょう。
冷めて聞いている、眺めているなんてことは、開導聖人に限って、あり得ないことなのです。
そういう意味でも、開導聖人らしいか、らしくないか、そういう線で、改良させていただくことが大切だと思います。
「末法の出家は、弘通菩薩行の人を如来の御使と申す也。其(その)形を論じて、出家在家をわくるは信心の有無を論ぜざる無益の論也。此(この)論をなす者を、でも根性の人と云也。真実の如説修行の御弟子には非ざる也。」
尊い門祖会、御法門をいただきました。
戻ってみると、テレビでお父さまご夫妻のイタリア旅行の番組が放映されていました。
ヒヤヒヤするわー。
会話を聞いてると。ドッキドキします(汗)。
先日、ご自宅にお伺いして、ご宝前にご挨拶し、お二人とリビングでお話しましたが、あのまんまなのですが、番組になるとドキドキ、ヒヤヒヤする。
ありがたやー。
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