ありがとうございます。
4月1日、新しい事務局が発足しました。お寺の大切な2つの会議、事務局会議にも教講推進会議にも、新しく役員となられた方々が出席くださり、大変に有難く思っております。どうか、異体同心で、ご宝前を中心に、妙深寺の法城をお護りするご奉公、ご弘通を前に進めるご奉公に、精進いただきたいと存じます。
新役員の方々は、もっともっと会議が充実し、役中テキストなども分かりやすくなるように、活発に、前向きに、ご意見ください。そうした新役員の方々のご奉公やご意見を、積極的に活かせる事務局であって欲しいと思います。よろしくお願いいたします。
このように妙深寺の新年度もスタートいたしましたが、四月を節目として皆さまの生活にも何か新しい変化があったでしょうか。
満開の桜の中、4月1日の月始総講からブラジルへの出張ご奉公に行ってまいりました。約10日間ブラジルでご奉公をして妙深寺に戻ってきましたが、有難いことにこのブラジルでのご奉公で、初心に戻り、ご信心を改良させていただくことが出来ました。何より有難い新年度の節目であり、今後のご奉公に反映させてゆきたいと願っております。
妙深寺の初代日博上人は、昭和30年に梶本日颯上人のご随伴としてブラジルのご奉公に上がりました。今から59年前のことです。
そして、梶本ご講尊がご遷化された後、ご自身も病身で余命いくばくもないと言われていた昭和39年、今からちょうど50年前、もう一度、決死のご覚悟でブラジルまで行かれたのでした。
ブラジルに仏教を伝えた茨木日水上人の自伝に次のような記述があります。
「宗外者の辻本昇氏ではありますが拙僧は聖(サンパウロ)市の御弘通線の事に付きましても種々打明けて話しも致し居りましたので辻本氏案じる点もあり日晨上人に話された事、日博上人が心配して居られた事等相重って日晨上人が伯国巡教と成りました。」
当時、ブラジルには様々な問題があり、ご信者さんが混乱する事態がありました。ご信者さん同士の人間関係のトラブルもありましたが、もっと大きな問題は、御本尊さまや御題目の口唱行、開導聖人や日水上人の教えより、個々人の霊感などを重視する霊媒師のような者がいて、ご弘通の妨げをしていました。その悪い影響が、ブラジルの清らかなご信心を徐々に蝕んでいたのです。
日水上人が書かれていたのは、そのことでした。日水上人からそうしたお話を打ち明けられていた辻本氏が、来日した際に伝えて廻ってくださったのでした。
こうしたブラジル教区の危機を聞いて、日博上人は覚悟をなさいました。
2度目のブラジルご奉公に同行した、法正寺の佐野富雄さんの手記にあります。
「三十九年二月ブラジルから辻本さんが梶本猊下のご遷化に対して、あのブラジルの『勲章』をお持ち下さいました。その時、ご講有にお目にかかり、色々とブラジルのお話をなさいました。初めてご講有も宗門要路の方にも最近のブラジルの仏立宗門の詳しい事情を知られました。うちのお導師も『これは大変だ。梶本猊下のいらっしゃらない今日、ブラジルに通暁してるのは宗門でも私一人になってしまった。又ブラジルの人が頼ってるのは、現在私一人である。それが私はこのような重病である。このまま死んでも死にきれない。』とこうおっしゃって、一心に辻本さんと努力なさいまして、遂に宗門が賛成をし、ご講有が決意を固められ、突然に渡伯することになったのでございます。梶本猊下以来初めての、否佛立宗門にとり、ブラジルにとり、現職のご講有の初めての渡伯が決まりました。」
「ご講有程のお方に現地を親しく偵察して頂いて、胸に納めて頂き、又大阪清風寺のお導師程のお方に現地で引継ぎが出来れば、私はこの生命が死んでも信仰生命を生かすことが出来る、信仰生命を生かす為に我が命を懸けて願わなければならぬ。」
「『途中でたおれても止むを得ない。先方へついてこのまま寝込んでも仕方がない。若し死んでも本望である。』とこうおっしゃって、誰の止めるのもお聞き入にならず出かけて来られたのでございます。」
このお言葉のように、病に冒されていた日博上人は、命懸けでブラジルに行かれたのです。
私は、法華経本門のご奉公というものは、つくづく種を蒔く、種を蒔き続けることなのだと、改めて、お教えいただいたように思います。
なかなか、結果は、見えないのです。
自分の目では、確かめられないのです。
しかし、まかぬ種ははえぬ、まいた種は必ず生える。
善なる種まきを、泣きながらでも、まっすぐさせていただいてゆけば、必ず未来に芽が出てゆくものなのだと。
私たちは、それを見ているのですから。
これほど、ありがたいことはないです。
どれだけ栄耀栄華を極めても、権力や権勢を誇っても、果報が尽きれば一族郎党が潰えてしまいます。
一族郎党だけならいいが、本門のご信心までダメにしてしまったら、周囲すべてに及びます。
そうなれば、償いようもありません。
「辛抱せよ まことはつひにあらはれん しれずにしまふ悪はなき世に」
「今こそは うきゝあらしに吹かるれど 花さく春をたのしみにして」
「たのしみや 今の心が菩薩ならば 未来は仏うたがひもなし」
一日が過ぎる早さを嘆くよりも、その一日に何が出来たか考えよ。
長生きを祈るよりも、その一生にどれだけご奉公が出来たか考えよ。
開導聖人の教えです。
歴代の御講有上人、御牧日解上人、日本から派遣ご奉公をなされた御導師、御講師方、こうした脈々と続く命懸けのバトンタッチで、現在のブラジル本門佛立宗は素晴らしく発展しています。
私は心から感動し、改良を誓いました。
ブラジルで、確かに、様々な命のつながり、ご奉公のうねりを、見せてくださいました。
ご弘通は、政治じゃないんです。
ご奉公は、事務じゃないです。
信心なんです。
どこまでも、そうです。
昨夜、往年のブラジル教区長・鈴木教英師のインタビュービデオを拝見しました。
法深寺の清水御導師が撮影してきてくださったのです。小学生の左右治くん同行し、姉のチノブがインタビューしています。
25年以上前のインタビューですが、そのお話になられている内容は、まさに海外弘通の最も為すべきことばかりでした。
仏教の社会福祉・ボサツグループ、尼さんがいてくれたらいいということ、これからは海外のご弘通地域ごとに交流し、いいところを見習い、各国は事情や実情が違うことを前提に、もっとインターナショナルにご弘通を進めるられるようになってほしい、ますます御講を大切にしなければならないと思います、と。
「最後の大きな夢は」と前置きされて、何でもできる広大な牧場のようなところを作って、「佛立ファゼンダ」を作りたいと言及されていました。「これはもう死んでも出来ないかも知れませんが」と言っておられました。
こうした大きな夢も、いま、受け継がれて、「佛立聖地」「佛立コロニア」として実現しようとしているのですから、本当に、尊いです。有難いです。
このビデオも、すごい歴史です。さすが泉洋師です。
また、ゆっくり書きます。
とにかく、「今だけ見るな」ということですね。
「種まきを続けよ」ということですね。
日博上人は佛立信心の真髄ともいえる辞世の句を遺してくださいました。
「ワッハッハ 良きも悪しきも今生は まずはこれまで あとは来世で」
「ワッハッハ」とは、すごいです。
僕も飛び回るのが好きだから、その動きが止まる時は、きっと苦しいと思います。
痩せて、衰えて、ご奉公できぬ日が、僕にもいつか来るでしょう。
でも、「ワッハッハ」と言えるように、油断なく、怠りもなく、全身全霊で進みたい。
人生は、長さや短かさではないから。
気づいて生きたか、生きれたか、だから。
5月4日は、日博上人の祥月ご命日です。
明日、月始総講で、祥月ご命日の法要を勤めさせていただきます。
一人でも多く、お参詣ください。
「心の鬼が地獄へ連れ行き、心の菩薩が寂光へ導くと云う事、此の一句を口癖のように云いなれて、よくよく味わい、御法門聴聞に行く道々にも、心にたくわえ、お看経の時にも、心に忘れず、朝起きても、一番に思い出し、一日暮れて、夜臥す折にも、心の鬼が地獄につれ行き、心の菩薩が寂光へ導くと、一日、二日、三日、乃至、一年、十年、一生の間、忘れざれば、臨終の時には、心の菩薩が寂光へ導かせたまふものなり。御臨終の夕べには、日蓮必ず御迎えにらむかうべしとは是なり」
「家の出入り、常の時も、御本尊を生身の尊体也と、忘るる間なく仕へ思ひ奉りある人なれば、万事物事に恐るる事なし。舟に乗る時も、夜行く時も、夜臥してある其の間も、御守りを、慥に喜びある故に、されば生死に恐れ無き御題目の信者にてあるなり。忘れ、怠る間ある人を、持ち奉る人とは申しがたし」
「吾祖曰、心は如何様に起こらうとも口に南無妙法蓮華経と唱ふればと云々。されが起こる心は私にあり、此の私頼むに足らず、我が口唱の声を頼りにして心を声ばかりにせよ。其の時五字と信心と和合して行者の一心ご本尊と顕るものなり。唯、我と云うもの、私と云うもの消えはてて御題目ばかりになること肝要なり」
皆さま、ご信心は初心が何より大切です。気づかない間に古法華となり、迷うのです。
ご信心のお強い御方の、すごいご奉公のお話ばかりでは、いけませんね。
ご信心は、本当に有難いものです。
ご奉公は、もっと身近で、尊いものです。
罪障消滅、御利益感得。
だからこそ、もう一度、ご宝前のお給仕からご信心を見直し、お参詣の有無からご信心を改良してみましょう。
特別の行事も会議も無い朝に、お参詣することから始めてみてください。
きっと、分かります。
まず、ご宝前に「南無」というお気持ちで、向き合えているかということ。
普段のお参詣から始めましょう。
0 件のコメント:
コメントを投稿