ブラジルの方々は見慣れている風景だと思うのですが、真っ直ぐに、果てしなく伸びる道を見ていると、うっとりします。
「道は暫くも離るべからず。離るべきは道にあらず」
開導聖人の御指南を思い返します。
お仕事でも、家庭でも、精神的にも、本当に追い詰められた四条金吾さまに、お祖師さまが送られたお手紙。
負けてはならないと、思う。
「火はをびただしきやうなれども暫くあればしめ(滅)る。水はのろき(鈍)やうなれども左右無く失ひがたし。御辺は腹あしき人なれば火の燃(や)くがごとし、一定(いちじょう)人にすかされなん。又主(しゅ)のうらうら(遅遅)と言(げん)和(やわら)かにすかさせ給(たまふ)ならば、火に水をかけたるやうに御わたりありぬと覚ゆ。きた(鍛)はぬかね(金)はさかんなる火に入るればとく(疾)とけ候。冰(こほり)をゆ(湯)に入るるがごとし。剣(つるぎ)なんどは大火に入れども暫(しばらく)はとけず。是きたへる故なり。まへにかう申はきたうなるべし。佛法と申は道理なり。道理と申すは主に勝つ物なり。いかにいとを(愛)し、はな(離)れじと思ふめ(妻)なれども、死しぬればかひなし。いかに所領ををししとをぼすとも死ては他人の物、すでにさかへ(栄)て年久し、すこしも惜む事なかれ。又さきざき申がごとく、さきざきよりも百千万億倍御用心あるべし。日蓮は少(わかき)より今生のいのり(祈)なし、只佛にならんと をもふ計なり。されども殿の御事をばひまなく法華経、釈迦佛、日天に申なり。其故は法華経の命を継ぐ人なればと思ふなり。」
「火は、激しく燃えていても、しばらくすれば消えてしまいます。水は静かに流れていても簡単には無くなりません。貴方は、火が燃えるように腹の立ちやすい性格ですから、きっと人に騙されてしまうでしょう。あるいは、主君から穏やかに言葉をやわらげて言われると、火に水をかけたように志も萎えてしまうかとも思えます。鍛えていない金に火を入れ、氷を湯に入れたようなものです。剣などを強い火に入れても簡単に溶けないのは、鍛えてあるからです。日蓮が以前からこう言っているのは貴方を鍛えるためです。佛法とは道理です。道理を以てすれば主君の誤解にも必ず勝つことが出来ます。どれほど愛し、離れまいと思う妻であっても、死が訪れれば別れなければなりません。どれほど領地を惜しいと思っても、死んでしまえば他人のものになります。貴方は、永年領地をいただいて平和に恵まれて暮らしてきたのですから、今それを惜しんで道を誤ってはいけません。これまで何度も言ってきましたが、これまで以上に一層用心しなければなりません。日蓮は幼少の時から、今生の利益を祈ったことはありません。ただ、仏になることだけを願ってきたのです。しかし、貴方のことは、絶えず法華経と釈尊と日天子等、御宝前に御祈願申し上げています。なぜなら、貴方は法華経の命を受け継ぐ、尊いご信者と信じているからです」
道は、果てしない。
譲れないところは、どこか。
そこです。
「しかるに、信者に種々あり。柿の甘、渋に譬へる。かげひなたの雑り信者。純金の金むく信者等、御利生の有無云々(真実の御弟子旦那こそ当宗の宝也)。(中略)。信行ほどの楽しみはなし。信行に怠る人は、まだ味ひのわからぬ人也。人を助くる道と思へば我も助かる。御法の為に身を労するも、それが真の楽しみとなる。故に、二世安楽」扇全11巻3〜4頁
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