2014年5月17日土曜日

インドのブッダガヤとスリランカのアヌラーダプラ

どなたも、体調よく過ごしてくださっており、とても有難いです。

声明は出ていませんが、先日、世界文化遺産にもなっているブッダガヤ大塔で爆弾テロがあり、セキュリティが強化されていました。

高さ52メートルの大塔。

紀元前3世紀、仏教を篤く庇護したアショーカ王によって、お弟子や信徒が守ってきた菩提樹の下、仏陀が覚りに至られたその場所に、金剛法座とよばれる荘厳な台座を築きました。

以来、世界中の仏教徒が訪れる一大聖地。この場所がテロの標的となる哀しさ、痛み。

世の中には、矛盾が溢れていて、人は人を傷つけ、奪い合い、罵り合う。

〝すべてのものは燃えている。欲望と怒りと愚かさによって〟

だから、どうするか。

それは、示されていると思います。

それが仏教であり、それが信仰であり、仏陀の覚りだと思います。

覚りの聖地でテロがあり、犬たちは縄張りを守ろうと吠えていました。

それが、娑婆です。

人間であり、生命であり、生存。

変な言い方ですが、いつも、聖地に来て、聖地が無いことを知り、本当の聖なる場所を知り、何処にでも聖地があることを知ります。

覚りの中に覚りはなく、行いや動きの中に覚りがあります。

天空から届く鼓の音。

五感で確認。

日陰でも摂氏45度を超える熱波が身体を包みます。

聖地には靴を脱いで入るのですが、足の裏が灼けるほど、大理石や、様々な希少な岩石が敷き詰められた地面が熱い。

これって、マグマスパですー。

結局、インシーのスタジオみたい。

それでも、冬場の夜、ブッダガヤではお正月の頃は摂氏3度くらいまで寒くなるのですから、四季は四季であるのですが。

菩提樹の下で、昭和40年、日水上人がご染筆された大御本尊をご奉安し、御題目を唱和させていただきました。

このインドの聖地にある菩提樹は、スリランカからもたらされたものです。

スリランカはインド大陸の影響を色濃く受けながら紀元前から文明が栄えていました。特に仏教成立後はその受け皿として、インドで仏教が衰亡していった後も、スリランカでは、まるで時間が止まったかのように、仏教を残してきたのです。

世界遺産の古代都市・アヌラダープラがスリランカの首都になったのは紀元前380年のことでした。そのアヌラダープラに、インドの聖地・ブッダガヤの菩提樹から挿し木によって育てられた菩提樹が、現在も健康な状態で生きています。

紀元前247年、アショーカ王の息子によってスリランカに仏教が伝えられたと言います。その息子の名前は、マヒンダ。パーリ語ではミヒンタ。彼はアヌラダープラから北東に17キロ離れた場所に住みました。彼の名前に因み「彼が住んだ丘」「ミヒンタレ〝Mihintale〟」と呼ばれ、現在もアヌラーダプラの中にあります。「タレ〝tale〟」は「丘」という意味です。

アヌラーダプラにはブッダガヤの大塔に匹敵する巨大なダーガバ(ストゥーパ)が散在しており、中でも私も心に刻まれているのが、紀元前1世紀に作られたという「アベヤギリヤ・ダーガバ〝Abhayagiri Dagoba〟」で、現在でも75メートルの高さがあり、建築当時は高さ100メートルもあったはずです。写真を見ると分かりますが、天空の城のように、木々が生えた廃墟のようで、発掘当時はもっとひどいものでした。

スリランカを上座部仏教の国と規定するのは全くの間違いです。「アベヤギリヤ・ダーガバ〝Abhayagiri Dagoba〟」は大乗仏教の総本山でした。このダゴバを建設したワッタガーミニ・アバヤ王は、タミル軍にアヌラダープラを追われて、14年間スリランカ各地での流浪生活を余儀なくされ、復権を果たした王が建設したダーガバがこれなのです。

王から建設を一任された僧侶は「ティッサ」という名前の僧侶でした。彼のご奉公ぶりはご信者に寄り添い、音楽を用いたり、科学や農業技術を実践したりと、平和や共存、そのための菩薩行を説くものでした。

しかし、不幸なことに12世紀になるとこのダーガバを中心とする大乗仏教の僧侶集団と、マハー・ヴィハーラ寺院を中心としたテーラワーダ仏教(上座部仏教)派の間に深刻な争いが起こり、上座部仏教の僧侶が大乗仏教の僧侶500名を惨殺。当時の王であったパラークラマ・バーフ1世は、大乗仏教派を弾圧して仏教界を統一してしまいました。

こうして、「アベヤギリヤ・ダーガバ〝Abhayagiri Dagoba〟」は廃墟となり、大乗仏教はスリランカから姿を消すこととなりました。

いずれにしても、すごい歴史です。

ラーマヤーナとインドとスリランカの話をしたら終わらないので、止めます。

ラーマヤーナの飛行機、ヒロインはシータという名前の王女。

結局、人類史は、今に極まります。

何年も前のカレンダーを調べるよりも、延々と実験を繰り広げ、歴史を積み重ねて、すべてが「ここ」に来ていることを知り、前進することが大切ですし、それが出来るのです。

壮大なミッションですが、もうこちらのもの、こちらの番が来ています。

世界中に変わらぬ腐敗。

沈滞。

差別。

欲望と怒りと愚かさという焔が燃えていても、自分で出来ることを、やるしかない。

世を恨んでも、人を憎んでも、仕方ない、仕方なさ過ぎることを知る。

使命と、天命を、知れば、これ以上の、幸せはないのだから。

法華経本門の仏教徒。

佛立仏教徒。

佛立教務。

尊い使命があります。

そして、きっと、清らかに心を澄ませば、一人ひとりに、天命があるはずですね。

グッチャグッチャに、人と車が入り乱れる、ドッタンバッタンのインドの道を走りながら、ブッダガヤを想い、スリランカを想い、ご奉公を思います。

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