2014年5月18日日曜日

もっと生きよう

何もかも変わってゆくのに、どれだけ歳月を経ても変わらないものがあります。

あまりにも人間たちが変わってゆくから、変わらないものに手を合わせたくなるのでしょうか。

ガンジス。

マハーバーラタの時代から人びとの信仰を集める川であり、この街。

ワーラーナシー。

〝大いなる火葬場〟と呼ばれる聖地。

〝葬儀場がある街ではなく、街が葬儀場なのだ〟

人びとは、末期の水もガンジスの水から取ると言います。

そうして輪廻から逃れるのだと。

少し路地を入ると小さな部屋がいくつもあるアパートがあり、死を待つだけの老人が横たわっています。

ゆっくり川を下ってゆくと、川辺で焼かれてゆく人間を見ます。

日本では、病も、老いも、死も、死ねば身体を燃やして灰になるということも、なにか自分と遠いところにあります。

豊かになって忙しくなり、賢くなって信仰を失い、家族や地域の絆も弱ってしまいました。

病人は病院へ入り、老人は老人の施設へ入り、遺体はキレイな火葬場の扉の向こうに消えてゆきます。

大切なことが、遠くにあるように感じます。

でも、ここには、人間の生と死が、つまりは自分の生と死が、とても身近にある。

お祖師さま、日蓮聖人は〝臨終のことを先に習へ〟と仰せでした。

人間の生と死を、身近に置いておくと、生きれるようになり、死ねるようになるということでしょうか。

〝非日常〟にしていると、修行にならないことが多過ぎるのです。

見えないものは多すぎます。

せっかく生きているのに、見えてなかった、見ていなかった、見ずにいた、目をそらしてた、誤魔化していた、では勿体無いです

最初で最後と思っていたガンジス川から昇る朝陽を、もう一度見ることができて、幸せでした。

信仰の原点を、大気、景色、光景、炎、煙、臭い、熱さ、冷たさで、学び直すことが出来ました。

大いなるリセット。

いま、今回の旅で最もきつい、バスの移動10時間。

ベナレスからクシナガラへ。

昨夕、次期首相になることが決まったモディ氏が、今日私たちが行った場所に来てガンジスに祈りを捧げたとのこと。

このことからも分かるとおり、彼は敬虔なヒンドゥー教徒です。そのために宗教対立を助長したという批判も受けています。

米国との関係もどうなるか。

それにしても、すべてのタイミングが不思議なものです。

ガンジス川は、何も教えてくれない。

とにかく、もっと生きよう。

0 件のコメント:

今年もいよいよ大詰めですー

いよいよ「今年最後」のご奉公が続き、「よいお年を」というご挨拶をさせていただくようになりました。 今年最後の教区御講を終えた日曜日の夕方、横浜ランドマークタワーのスタジオで白井貴子さんをゲストにお迎えしてラジオの収録を行いました。ずっと聴いていたいほど大切なお話が盛りだくさん。 ...