明け方まで図録の原稿を書いていて、頭がボーッとしてギブアップしましたー。
ギブアップなんてー、くやしかったなー。
でも、昨夜22時過ぎ、ブラジルから清康師と清顕師と恒潤師が、無事に帰山して、妙深寺は夜なのに活気に包まれました。
本当に、無事に帰ってきた。顔がキラキラと輝いていて、ブラジルで素晴らしいご奉公を体験できたことを確信しました。
よかったー。
コレイア御導師をはじめ、ブラジルの御導師、御講師方、ご信者みなさまに、感謝、感謝ですー。
失速せず、気にせず、その感動をそのままに、妙深寺でやってみちゃいなさい、と彼らには伝えました。
今日はオープンデー。
昨夜帰国したばかりの清康師が御法門当番。
さすが、妙深寺。
えらい。
ブラジルの感動をそのままに、苦労を乗り越えてこそ仏道修行、ご奉公だということを説いていただきました。
そして、10時からは子育て学講座。
ちょっとの合間を抜け出して、次男坊の運動会に駆けつけました。
金木犀の香り。
かぐわしい。
いとしい。
この甘い香り、この季節のごちそうだー。
思わず辺りを見渡して、彼女を探してしまう。
金木犀ー。
いたー。
小学校の門の近くに。
秋が来るたびに、また君に出会えてよかったと思える。
すぐにお寺に戻り、今回のオープンデーの特別企画、弁護士の千葉先生をお迎えして、ドイツのシューナウのドキュメント映像を観て、ご講演をお聞きしました。
ダメだ。
まだまだ、全然できていない。
天地が怒りに包まれるわけだ。
目の前に問題があって、動けば動く体を持っていながら、全く動けていないのだから。
僕たちは、僕たち自身で選べるし、世界を変えられる。
無力感に陥ってる場合じゃない。
ロジック、レトリックに、迷わされている場合じゃない。
そのことを学ばせていただきました。
デスクに戻って図録の原稿。
もっともっと整えたいところはあるけれど、図録の完成はコレイア師の講演まで。
もう時間がない。
ギリギリ、ギリギリまで妥協せず、編集を進めてゆくのです。
そして、ふとニュースを見ると、御嶽山の噴火の映像。
亡くなられた方々もおられると聞きました。ひとえにご冥福をお祈りいたします。
こんなに気持ちのいいお天気の、土曜日のお昼に。
平日であればよかったのに、この時間帯ではなくたとえば夜であったなら被害は少なかっただろうに、と考えてしまいます。
本当に、地震にも気をつけなければなりませぬ。
まさかは、ない。
17時からは法華経(仏教)講座、夜の住職御講。
オープンデーと一緒の日になってからお参詣の人数が少ない。
また失敗だなー。
失敗から学んで、早く改めないと。
悪ければ、早く改め繕わず、が佛立のポリシーだから。
今夜は清従師から講義をいただきました。
夜はボーズバー。
私は図録の原稿を書くためにデスクへ。
やっと書き終わってボーズバーに戻ると、ほとんど皆さん帰られていました。
そう、嬉しかったこと。
旭くんが、介護職員初任者研修を修了したこと。
修了証書、見せてもらって、うれしかったー。
旭くん、すごい。
えらい。
今日は、ご祈願させていただいている方々と、たくさんお話が出来て、それが何よりも嬉しかったです。
そして、日夜「ブラジルと仏教展」を考えている中、京都佛立ミュージアムで展示するために、ブラジルから水野龍さんが大切にされていた過去帳が届きました。
極めて重要な第一級の史料です。
早速図録に掲載するために写真撮影をさせていただきました。
ボロボロ。
ポロポロ。
歴史を感じます。
何度もサンパウロのお墓に行かせていただいた、水野龍さんの過去帳。
不思議な気持ちです。
何より有難い気持ち。
ここで、ビックリ、ドッキリ。
撮影のために、冒頭数ページをめくらせていただきましたが、そこにあった数名の名前に驚きました。
幕末・維新の仏教改革者、長松清風とご縁の深い人物の名前。
『仏教徒 坂本龍馬』に詳しく書きましたが、長松清風と明治天皇を結びつけた人物。
高崎正風。
明治維新当時、薩摩藩で周旋方をしていた重要人物です。
そして、後藤象二郎。
水野龍氏とは同郷の名士であり、彼の推薦を受けて様々な知己を得たことが分かっています。
本当に、これはすごい史料でした。
そして、今夜はケネカちゃん手作りのカレーをいただきました。
ギュッと詰まった一日でしたが、ありがたかったです。
長々失礼しましたー。
ありがとうございます。
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