2014年9月30日火曜日

「班長さんへの手紙」 妙深寺役中テキスト 10月号

ありがとうございます。

今月13日はお祖師さまの祥月ご命日。本年もこの尊い月に御会式を奉修させていただきます。みんなで心を合わせて、精一杯ご奉公させていただきましょう。

言うまでもなく、お祖師さまは私たちのご信心のルーツです。お祖師さまがいなければ、南無妙法蓮華経の御題目は無く、み仏の御本意は失われたままで、ご信心をして救われる人もいませんでした。

仏教を知っていても人を助けることで自分が助かるという一点を知らなければ何を知っていても意味がありません。仏教を知っていても法華経を知らなければ意味が無い。法華経を知っていても「第三の法門」を知らなければ意味が無い。「第三の法門」とは「御題目で人を救う」「御題目でしか救えない」と教えられたシンプルな究極の真理です。これを知らなければ、仏教を、佛立信心を、知らないのと同じです。そして、知っていても、実践できていなければ、ご信心をしていないのと一緒になってしまいます。

御題目の種を蒔き、その種によって誰もが幸せになってゆきます。深遠な教理から導かれ、その全てを含んだ種。このお薬には根本的な原因と本来的な結果があります。運命を変える力、未来を開く力があります。私たちは何度もその効能を目の当たりにして来たはずです。この教えの尊さ、正しさを、現実目の当たりに証明くださるから「現証」の「御利益」と言います。

お祖師さまは上行菩薩さま。上行菩薩さまは久遠本仏の一番弟子で、御題目を末法に届ける使命を背負った御方です。ですから、お祖師さまのことを「上行菩薩後身」とお呼びします。「後身」とは「お生まれ変わり」「後の世のお姿、存在」という意味です。

上行菩薩・お祖師さまは、ご法難に次ぐご法難に遭われながら、御題目を授けてくださいました。「上行所伝の御題目」とは「上行菩薩」が「伝えてくださった所」の「南無妙法蓮華経」ということ。どれだけ有難いご奉公だったでしょう。

孤独の中の孤独、苦難困難の連続。

「日本の王位を譲ってやろう」とおだてられても、「お前の両親の首を刎ねるぞ」と脅されても、お祖師さまは決して屈しなかったのです。

むしろ、こうした誘惑や脅迫を振り祓って「我、日本の柱とならん。我、日本の眼目とならん。我、日本の大船とならん。」と三つの大きな誓いを立てられ、「詮ずるところは天も捨て給え、諸難にもあえ、身命を期とせん。」と天に吠えるように宣言されました。「天も捨てたらいい、どんな苦難に遭ってもいい、命を懸けてやる」という宣言は、破れかぶれ、自暴自棄の発言ではありません。処刑場から流刑地に送られ、まさに死を覚悟したギリギリの状態の中で発せられた魂のお言葉でした。

お祖師さまが、どれだけの思いでご奉公くださったか。私たちには想像もつきません。しかし、思いを馳せることは出来るはずです。もしそれさえしなかったら謗法の人と変わりません。

「上行所伝の御題目」にはお祖師さまの命が重なっています。だからこそ、素直に、正直に、そのままいただきます。実践すれば必ず現証の御利益が顕われます。お祖師さまが証明してくださいました。実践してみてください。

みんなで朝参詣に励みましょう。声をかけ合って、部内班内の巡回助行、ご病気やおケガの方のお助行に励みましょう。朝夕、忙しさでキチンと出来ていなかったご宝前のお給仕やお看経をやりなおしましょう。噛み締めるように御題目をお唱えしてみてください。

そして、25日、26日の、お会式の参詣目標を達成するために、ひとつ思い切り頑張って将引ご奉公してみようではありませんか。誰かに任せたままではなく、自分から申し出る、本当のご奉公の姿やあり方でやってゆきましょう。

毎日毎日、精一杯させてもらうから、本当に生きていること、本当にご信心していることになります。こうして、罪障は消滅され、定業もよく転じて、明るい未来がやってきます。

一年に一度の、お祖師さまのお会式。この機会を、ご信心改良、ご奉公改良のタイミングとしていただき、小山ご講尊をお迎えして、精一杯のご奉公をさせていただきましょう。


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幸の湯、常さん、北九州

帰国後、成田空港から常さんの枕経へ直接向かいました。 穏やかな、安らかなお顔でした。こんなにハンサムだったかなと思いました。御題目を唱え、手を握り、ご挨拶できて、よかったです。とにかく、よかったです。 帰国して、そのまま伺うことがいいのか悩みました。海外のウイルスを万が一ご自宅へ...