ただの、休日じゃない。
今日は、お日さまと、お月さまと、僕たちの地球の節目。
この日、自分が今ここにあるルーツ、父や母、祖父や祖母、先祖や縁ある人を想って過ごす。
こんなステキなことはありませんよ。
今日も御法門でお話しましたが、ここ最近、献体が増えているそうです。
医学や歯学の発展のために、自分の死後の身体を提供して社会に貢献する献体。
人類の発展に欠かせない、尊い行為と教えられてきました。
しかし、最近はその理由が変わってきたと言います。
自分の死後、葬儀で家族を煩わせたくない、面倒をかけたくない、迷惑をかけたくない。
そんな理由で、献体に申し込む人が増えていると言うのです。
「ゼロ死」という考え方や言葉もあります。
この先生の言うことを聞いていたら、絶対に不幸になるという典型です。
しかし、みんな、この先生の話を聞いて、迷ってく、崩れてく。
葬式もしない、骨も殘さない、墓も持たない。
ゼロ葬。
ゼロ死。
自分も不幸で、家族も不幸な死に方、去り方であることを、誰も語らない。
立花隆さんの番組。
久しぶりにレイモンド・ムーディさんも出ていた番組。
興味深い話はありましたが、最期の時の、あの光りが、本人にしか見えない光りのように言っているから、分からないのだと思います。
あの光りは、死にゆく人だけが見る光りではない。
部屋中を照らすのです。
脳内のホルモンや、シナプス、死の間際に、脳の辺縁系が神秘体験をさせるというだけでは、決して説明がつかない。
感動的で、根源的な現象って。
自分以外の死を、何度も見届けている人ならば、分かるはずです。
あの光り。
臨死体験をした人だけではなく、死を見届けてきた人にも、聞いてもらいたいです。
人間の、生と死。
脳学者が説く虚無の世界。
宗教学者と言われる人が語る無味乾燥なる世界。
どんどん、大切なものが崩れてゆきます。
そんな風潮のある中で、今日のような日を大切にして、お参りくださった方々が、輝いて見えました。
自分が幸せになるだけではなく、見えざる世界へ旅立った方々が喜ぶだけでもない。
失われてゆく大切なものを守り続けている方々。
空をゼロと考える人に、仏陀の説いた修行の意義が分かるはずもない。
今日の雑感。
つらつらと思い浮かび、書かずにいられなかった。
夕方、まさに霊安室、というか冷凍庫の前に行き、棺を前に、御題目をお唱えさせていただきました。
棺を開き、ドライアイスをどかして、冷たくなった手を握り、お数珠をかけさせていただいて。
ゼロ死について御法門で触れた夕方、まさにゼロ死のような現実に立ち会い、さみしい気持ちと、ご奉公の有難さと、これからの使命を思いました。
お彼岸。
秋季総回向の日。
ありがたい一日でした。
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