「吉田調書」が公表された。
そこにあったのは、制御不能になった原子炉の恐ろしさ以外ない。
「イメージは東日本壊滅」
この言葉を、どう受け止めているのだろう。
あの、2011年3月12日。
一人の視聴者である僕たちも、日本という国が終わる瞬間が浮かんだではないか。
事実、あの時、世界第三(二)位の経済大国のトップも、超巨大企業である東京電力のトップも、世界有数の学者らも、現場トップの吉田所長も、
「イメージは東日本壊滅。ここで本当に死んだと思った」
と言っている。ほとんど、神や仏にすがるような、ギリギリの状態であったことが分かった。
事実、次のように述べていました。
「仏様のおかげとしか思えないんです。」
あの、大事故は、為政者も、財界も企業も、科学者も技術者も、手の施しようがなかった。
「仏様のおかげとしか思えないんです。」
と言うくらい、最後の最後、ギリギリの状態だったということです。
このことを、社会も、個人も、それぞれの生命も、刻まなければならないのに、また、騙されているとしか、思えません。
30年後に移動させると約束した、中間貯蔵施設。
30年後に、どこに移動させるというのでしょうか。
政治家が、いません。
こうしたことが出来ずに、先送りに終始しているなら、経団連の事務局が政治をやった方がいいです。
利害が複雑に絡み、国民で責任を分担するために、政治はあるはずなのに。
あの放射性物質を含む廃棄物の責任は、単に東京電力や政府にあるのではなく、僕ら一人ひとりにもあります。
30年間で、1兆6000億円の、中間貯蔵施設。
故郷を失う方々、30年間だけと言われて、故郷を失う方々。
その責任を、中途半端に、誰かに押し付けている僕たち。
残念ながら、あの大事故が起きた地域に、大規模な放射性物質の貯蔵施設を建設していただかなければならないかもしれません。
それ以外に、どんな方法があるのか、僕には思いつきません。
しかし、だとしたら、税金、電気料金、お金以外に、僕たちは、故郷を失う方々のために、故郷と同じくらい大切な何かを、差し上げなければならないと思うのです。
それに、見合うものなど、無いのかもしれませんが、生老病死と同じように、現実は、現実で、残酷です。
それを、命がけで語り、語り合い、本当の着地点を見出すのが、政治だと思います。
しかし、本件に関して、決して決着まで語らない、先送りばかり。
結局、すべての問題が同じです。
辺野古への米軍施設の移設も。
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きっと、憲法のことも、そうなってしまいます。
今日は、関東大震災の日。
同じく、第二次世界大戦の始まった日。
中間貯蔵施設。
30年後に、誰かが決着をつけてくれると思っているのか、30年後のことなどどうでもいいと思っているのか、分からない。
しかし、とにかく、中間貯蔵施設の建設が、あの場所に決まったと、聞かされるのでした。
場所とか、お金とか、そういうことではなく、このまま、見て見ぬふり、傍観しているだけで、いいのでしょうか。
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