2014年9月15日月曜日

世に棲む日々と世を去る日。

おデコにタンコブが出来ましたー。ご心配をお掛けして、申し訳ない限りですー。

教区御講に代行をお願いしたなんて、振り返ってもなかなか無いことです。本当にいろいろなことが詰まっていて、サインだらけです

だからこそ、顧みて、重ね見て、実相、本当の姿、本当のことを見て、しっかり練ること、しっかり定めること、決めることができるのだと思います。

教えざるは師の失(とが)、学ばざるは弟子の失(とが)。

もう、どっちがどっちだか分からないくらい、信心と、愛と慈悲と、期待と未来と、因縁と因果と、複雑に絡まりあっているもの。

どんなに言葉を整えても、甘えは甘え、慢心は慢心、アホはアホ、もっと真剣に自分を見据えないと、御法さまに申し訳ない。

申し訳ないと言いながら、申し訳ばかりしている。

申し訳ないと言いながら、申し訳にだけ長ける。

それがダメなんです

まっさら、まっさらになって、ご宝前に向かう美しさ。

こうなりたいという線が、み仏の描いてくださった線になる。

そこを、線を軸にして、鍛える。

死ぬまで、その線に近づこうと、自分を変えてゆく。

つくづく、プライドというものも、そのレベルに寄ります。

人間は、恥を恐れてこそ改良に真剣さが備わります。

「恥ずかしい」という気持ちの無い者は教えても甲斐が無い。

しかし、小さな、レベルの低いプライドを「恥」の線にしている者も多く、これでは何も聞こえない、言うことも偽りばかりになります。

一人ひとりの、軸こそ大事。

ほめられても恥ずかしいと思ったり、罵られても有難く感じたりするのが人間です。

大事なことを大事と思わず、恥ずかしいことを恥ずかしいと思わず、美辞麗句にすぐに酔い、自惚れ、調子に乗る人は、未だ仏教徒たり得ない。

お祖師さまがお諭しになられているのは、褒められても恥に思うような感性。

「愚人にほめ(讃)られたるは第一のはぢ(恥)なり。」(開目抄

お祖師さまのこの感性は、俗な言葉で言えば男前すぎて、シビれます。

いくら、褒められても、調子に乗らない、ブレない、確固たる信念、信心。

お祖師さまの御妙判には、「はぢ」「恥」というお諭しが数多くります。

「此の経文を見ん者、自身をはづ(恥)べし。いま我らが出家して袈裟をかけ、懶惰懈怠なるは是佛在世の六師外道が弟子也と佛記し給へり。」

お祖師さまは、その軸を教えてくださいました。

だからこそ、私たちの、柱であり、眼であり、船なのだと思います。

「御本尊にうそつくもの。御罰ありて利生なし。

「欲はおそろし。正直はおそれなし。謗はおそろし。信心はおそれなし。」

信心とは、つくづく、人生そのもので、一瞬のことではありません。

世に棲む日々と、世を去る日のことが、すべてにおいて、信心そのものです。

ひらめきとか、話術とか、理屈とかでもない。

瞬間の、御利益でもない。

「近き現証を引て遠き信を取べし。」

まさに、人生そのもの。

世に棲む日々と、世を去る日の修行のこと

久しぶりに『ジョン・レノン その存在と死の意味』という本が目を引いて、本棚から取り出してみました。

一人ひとり、すごい意味があります。

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