2015年6月24日水曜日

エチオピアナショナルデー

無事に7月を迎えられるか、ギリギリの気持ちです(汗)。

今日は急きょエチオピアのナショナルデーをお祝いするレセプションに参加させていただきました。

実は、7月6日に、広島に投下された原子力爆弾の悲惨さを伝える被曝者の方が書かれた手記の、出版記念の会を開催しようとしています。

京都佛立ミュージアムで「トランクの中の日本 〜戦争、平和、そして仏教〜」が開催できるようになったのは、『トランクの中の日本』を編集した大原哲夫さまのおかげなのですが、お願いをする中で、現在編集中だったのが、この手記だったのです。

とにかく、ご恩返しのつもりで、私の出来ることを探し、ささやかな出版記念贈呈式を開催することになり、その昼食会の発起人とならせていただきました。

外交団長であるサンマリノ大使のカデロ閣下に対し、この原爆の悲惨さを伝える手記をご遺族から手渡し、世界の恒久平和を願う、ささやかな昼食会です。

一昨日、その会に、アフリカ連合の本部があるエチオピアのマルコス大使にも来ていただきたいと思って、お電話をさせていただいたのです。

そうしたら、明後日、ナショナルデーのレセプションがあるから来ないかと言われ、ギリギリのスケジュールですが、こちらのお願いばかりでは申し訳ないと思い、ホテルニューオータニまでお祝いに駆けつけたのでした。

よかったですー。

長崎で撮影された「焼き場に立つ少年」は、戦争の悲惨さを伝えるだけではなく、この少年の姿勢、姿から、70年前の日本人の凄まじい精神性、徳性、品格、魂感じて、深く考えさせられます。

終戦70年にあたり、この少年の姿から、何かを感じていただけると信じて、米国のご遺族にお願いして、小さな小さな仏教系のミュージアムで、企画展を開催することが出来るようになったのです。
 

撮影したジョー・オダネル氏は、この写真について、自分の気持ちを書き残しています。


「焼き場に10歳くらいの少年がやってきた。小さな体はやせ細り、ぼろぼろの服を着てはだしだった。少年の背中には2歳にもならない幼い男の子がくくりつけられていた。その子はまるで眠っているようで見たところ体のどこにも火傷の跡は見当たらない。

少年は焼き場のふちまで進むとそこで立ち止まる。わき上がる熱風にも動じない。係員は背中の幼児を下ろし、足元の燃えさかる火の上に乗せた。まもなく、脂の焼ける音がジュウと私の耳にも届く。炎は勢いよく燃え上がり、立ちつくす少年の顔を赤く染めた。気落ちしたかのように背が丸くなった少年はまたすぐに背筋を伸ばす。私は彼から目をそらすことができなかった。少年は気を付けの姿勢で、じっと前を見つづけた。一度も焼かれる弟に目を落とすことはない。軍人も顔負けの見事な直立不動の姿勢で弟を見送ったのだ。

私はカメラのファインダーを通して、涙も出ないほどの悲しみに打ちひしがれた顔を見守った。私は彼の肩を抱いてやりたかった。しかし声をかけることもできないまま、ただもう一度シャッターを切った。急に彼は回れ右をすると、背筋をぴんと張り、まっすぐ前を見て歩み去った。一度もうしろを振り向かないまま。係員によると、少年の弟は夜の間に死んでしまったのだという。その日の夕方、家にもどってズボンをぬぐと、まるで妖気が立ち登るように、死臭があたりにただよった。今日一日見た人々のことを思うと胸が痛んだ。あの少年はどこへ行き、どうして生きていくのだろうか?」

 

涙なしでは、読めません。


オダネル氏もヒロシマとナガサキで被曝し、2007年に亡くなられるまで実に50回以上の手術を受けていたとお聞きしております。


また、やはり、何らかのお計らいだと思いますが、一年365日ある中で、オダネル氏が亡くなられたのは、長崎に原子力爆弾が落とされた8月9日だったとのことです。恐ろしいくらい、尊いことだと思います。


オダネル氏は、長崎に立たれた時の心境を書き遺しておりまして、こうしたメッセージを現代に伝えたいと思っております。

 

『爆心地が目の前に広がっていた。一瞬息が詰まった。地球に立っているとは信じられない。見渡すかぎり人々の営みの形跡はかき消され、瓦礫が地面をおおいつくしていた。私はたったひとりでここに立つ。まるで宇宙でたったひとりの生き残りであるかのように。徹底的に荒れ果てた地表には、鉄管や煉瓦が不気味な影を落としている。まわりの静けさが私を打ちのめした。私は体を失った彫像を見つめる。口はからからに乾き、眼には涙がにじむ。やっとの思いでつぶやいた。「神様、私たちはなんてひどいことをしてしまったのでしょう」』


いよいよ、7月7日から、始まります。

明日から長野、週末は徳島から高知、横浜に戻って7月となり、月始総講、教務会、夜はインシー、そして京都、福岡、東京、そして6日の昼食会、7日の京都、宗会。

生き残れるかなー。

今年はお正月から「狂気的情熱」で生きると決めて、そのとおり、狂気的な情熱で過ごしてきました。

本気でなければ、ご奉公にならないから。

昨夜、白井貴子さまと本田清巳さま、KBS京都の正木編成局長さまと会食させていただき、ゆっくりとお話できて、むちゃくちゃ楽しかったです。

ジョンのお話、ヨーコさんのお話、スーパーライブから南伊豆のお話、エアストリームのお話、キャンプのお話、龍馬さんのお話、仏教のお話、申し訳ないくらい、もったい時間で、うれしかったですー。

この後、15時から妙深寺を会場に住職会。

狂気的情熱でがんばろー。

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今年もいよいよ大詰めですー

いよいよ「今年最後」のご奉公が続き、「よいお年を」というご挨拶をさせていただくようになりました。 今年最後の教区御講を終えた日曜日の夕方、横浜ランドマークタワーのスタジオで白井貴子さんをゲストにお迎えしてラジオの収録を行いました。ずっと聴いていたいほど大切なお話が盛りだくさん。 ...