今日も、とても忙しかったなりー(涙)。
ようやく、ひと息つきました。
それにしても、昨夜のインシー用賀店でのセッションは、とても穏やかで、充実していました。
スタジオは、開店前に棟上御本尊さまをお供して行ったことはあるのですが、いつもの六本木店とは違う、セッションとしては初めの場所。
少し、緊張していたはず。
でも、レッスン前にお会いした、磯部先生の、何ともいえない、穏やかで、心開いた、心開かせる、お人柄、美しく、聡明で、器の広いオーラで、とても落ち着きました。
そして、レッスン。
六本木店より温度が低いかな、と思ったのだけど、いつにも増して滝のように汗が出ました。
穏やかに進行する中で、うさぎのポーズからの呼吸で完全に開きました。
もちろん、御題目の口唱をはじめた瞬間、それまで以上に、身体の奥底の深い深いところから、汗が吹き出るのですー。
これ、体感。
ヨガへの関心を、正しい仏教の理解へと結びつけられたら、嬉しいです。
オウム真理教も、元々はヨガの会だったし(汗)。
昨日も、完全に予約はいっぱいで、満員御礼でした。
六本木店のお客さまは遠いから来られないという方が多かったそうです。
なんで六本木でしないのよー、という声もあったとか(汗)。
ありがとうございます。
ですから、ほとんどが、今回がはじめてという方だったのですが、大変に感動、共感してくださり、涙を流しておられた方もいて、あらためて「声、佛事を為す」ということの凄さを、私自身が実感しております。
皆々さまに、ただただ感謝ですー。
妙深寺のパンフレットも、レッスンのあと瞬時に無くなってしまったとのことで、うれしい限りです。
とにかく、この世界の中で、生きている間、出来るかぎりのご奉公をさせていただきたいですし、そうさせていただけていることが、ありがたいです。
「彼不軽菩薩は初随喜の人、日蓮は名字の凡夫なり。」
すてき。
涙が出ます。
そうですよね。
とことん、そういう生き方が、御流儀なのです。
御流儀を、守っているかどうかは、私たちの生き様そのものです。
「夫れ道は独り運ばず。之を弘むるは人に在り。」摩訶止観第四下
「一切佛法も又人によりて弘まる」持妙法華問答抄
「法は人によりて弘まる」常講歎読滅罪抄
知らず知らず、御流儀に外れていると、法が弘まらないのです。
初随喜でないから。
名字の凡夫が、口だけになっているから。
謙虚でなく、慢心しているから。
理に走っているから。
身体の懈怠ではなく、心が懈怠しているから。
心を動かさなくなって、知識に頼るようになったから。
ずっと、「初随喜の人、名字の凡夫」であるすごさ。
本当の、修行なのですよ、ここが。
一番、簡単なようで、難しいのです。
「彼不軽菩薩は初随喜の人、日蓮は名字の凡夫なり。」
かっこいいー。
涙でるわ。
いつも、ここに戻れるから、まさに正法正信の尊さを感じられるのです。
インシーで、皆さんにお伝えできること、どんな風に思っていただけるか、分からないけれど、ただただ、お教えいただき、授けていただいた、御経や、御文、上行所伝の御題目をお唱えして、涙を流しながら、心を温かくしてくださる方々を目の当たりにして、あらためて、あぁ、なんてありがたいのだろう、と思えます。
「我深敬汝等 不敢軽慢 所以者何 汝等皆行菩薩道 当得作佛」
この、自分を嫌う人をも敬う言葉、二十四文字が、妙法の五字と、イコールなんだからね。
なんて、すてきなのだろう。
「彼の二十四字は此の五字と其語殊なりと雖も其意是れ同じ。彼像法の末と是末法の初と全く同じ。彼不軽菩薩は初随喜の人、日蓮は名字の凡夫なり。」顕実未来記
ありがたいなー。
もっと、もっと、もっと、できるよね。
仏教徒である素晴らしさ、心のやさしさ、穏やかさ、そして強さ。
机の上で遊んでいたらダメ。
頭で考えていてもダメ。
「都(すべ)て物しりげを嫌ふは無智宗の御流儀なり。(乃至)初心は当宗の正客也。」
ほんとーに、シンプル。
やりなさい。
いきなさい。
それだけなのね。
生きとし生けるもののために生きる幸せ。
今回のこの感覚は、永遠の宝物です。
明日も試験ー、まいるなー。
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