2011年1月30日日曜日

妙清師と青空

ボーズバーも、岩崎家の皆さまにもお立ち寄りいただいて、盛況の内に閉店いたしました。私は、少し大切な電話が続き、遅れてしまいましたが、少しでもご挨拶できてよかったです。ありがとうございます。

小磯妙清師。妙深寺の誇り。いま、唯一の尼僧でおられる。日博上人のお弟子としてご奉公され、今日まで妙深寺でご奉公くださいました。

現在96才。実は先日転んでしまって、もう入院して過ごすしかないというところまで行ってしまったのですが、妙深寺教務の家内で構成する「清和会」のみんなが、「私たちがお世話します」と申し出てくださり、昼夜を問わぬ介護をしてくれています(涙)。これは、本当に、言葉に出来ません。母も、みんなも、妙清師も、泣いていました。

ボーズバーの後、妙清師のお部屋の寄らせていただいて、手を握り、お話をお聞きできました。本当に、憔悴しておられますが、ご挨拶すると、はっきりと、しっかりと、お応えくださいました。

日博上人のご弘通ご奉公のこと、箱根療養所でのご奉公のこと、ゆりかご園でのこと、御教歌や御指南を紡ぎながら、お話くださいます。「私は、かの、素晴らしいお師匠さまにお出会いできて、これほどの幸せ、これほどの果報はありません」と仰せになられていました。

昨年、安彦さんのご紹介で妙深寺を訪れた方が本を出版され、その中に妙清師が紹介されたことをお伝えするとお喜びになっていました。しかも、しっかりと、その方のことを覚えておられました。

そして、やはり野村秋介さんのこと。ゆっくり、細かくお話されていました。

「野村さんは、網走刑務所でのことを、私に話してくれました。拘置されていた場所は、北海道の一番北の方にあるのですが、本当に寒くて、寒くて、恐ろしい場所で、そこで、南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経、とお唱えしたんです、と、涙ながらに、野村さんはお話ししてくれました」と。

そして、「ある日、面会に行った時、そこは、とても面会が難しいところだそうで、私を見ますと、泣いて、よく来てくださいました、ここはとても面会が難しいのです、と言って、涙を流して、喜んでくださいました」
と。

生き証人、生きた菩薩行。妙清師の言葉は、すべてが重たいです。僕など、恥ずかしくなります。子どもの頃から、妙清師に育てていただいたような気持ちもあり、清和会のみんなが、必死でご奉公してくださっていることに、何とも言えず、何も言えず、ただただ、有難く思います。

妙深寺が青空をテーマにしているのは、妙清師がはじめて妙深寺を訪れた時のエピソードに由来しています。妙深寺を後にする時、はじめて、青空が見えた、と。ということは、それまで、苦しくて苦しくて、空が青いことを忘れていた、空を見上げることが出来ていなかった、と。お参詣して、青空が見えたんです、と。

妙深寺は、これからも、みんなに青空が見えるように、ご奉公してゆこうと思っています。

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