日教上人は、明治3年、若干14才にて開導聖人をお師匠さまに得度されました。以来、開導聖人の側にあってお給仕の誠を尽くし、開導聖人がご法難により捕縛された時には、16才ながら自分も共に入牢すると言って譲らず、獄舎の中でもお給仕を重ねたと伝えられています。
開導聖人の命により、プロテスタントの牧師についてキリスト教を学び、国内の護法と海外へのご弘通の使命を体されておりました。後に、茨木日水上人をブラジルに派遣されたのも日教上人であります。
26才で単身東京に上り、本門佛立宗のご弘通を切り開かれました。明治18年に29才で乗泉寺の住職となられ、42才で光隆寺のご住職、43才で清雄寺のご住職にも就任せられて、ご弘通の基盤を固めてゆかれました。現在、関東一円から北海道に至るまで、東日本に広がる本門佛立宗のご弘通は、ほぼ全て日教上人によるものといえます。御自身は、まさに身命を削り、寝食を忘れ、真冬にも小袖をお召しになるほど生活を切り詰めても御弟子を育成されました。
こうした日教上人のご奉公に恥じぬよう、万分の一でも、ご奉公に精進したいものです。
本山宥清寺の寒参詣。厳しい寒さです。
0 件のコメント:
コメントを投稿