2011年1月6日木曜日

班長さんへの手紙 平成23年1月「役中テキスト」

 新年、あけましておめでとうございます。
 本年も、どうかご家族一同が、ご健康で、大過なく、幸多き一年となりますように、心から祈念しております。
 ご信心をしている人、ご信心していない人に限らず、幸せになるためには黄金則があります。それは、問題の種を取り除き、幸せの種を蒔いていくことです。徹頭徹尾、因果の道理ということですが、これが中々難しく、問題に気づかなかったり、問題の先送りをしたりしてしまう。幸せの種まきよりも不幸の種まきの方に快感を覚える。凡夫の性とは哀れなものです。何とかこの性質を乗り越えてなければなりません。
 ですから「罪障消滅」と「積功累徳」の二つを、これから一年を過ごす生活の規範に据えていただきたいと思います。罪障を消滅することと、功徳を積むということを、毎日絶対に忘れない。そうすれば、問題の種を取り除き、幸せの種を蒔く生き方が身につきます。

 佛立信者の生活の基本は、朝夕のお看経です。このお看経が「朝だけ」や「夜だけ」になっていたら、改良していただきたい。調査すると、毎朝お初水のお取り替えをしても、お灯りやお線香を点してお看経している家庭は少ないのです。どんなに忙しくても、旅先でも、朝夕お看経を欠かさないようにする。これが、佛立信心の基本です。是非、原点に立ち返りましょう。
 言い足しますと、お宅のご宝前はお寺のご宝前と結ばれています。朝参詣した日は、お家のご宝前でお看経したのと同じです。覚えておいていただきたいです。

 もう一つ、一年間、忘れずに覚えておいていただきたい言葉があります。

 世間では「それにつけても金の欲しさよ」という言葉があるそうです。上の句にどんな言葉が来ても「それにつけても金の欲しさよ」と下の句を付ける。様々な出来事やお仕事を通じて、感謝や感動を口にしますが、「それにつけても金の欲しさよ」と。世知辛い世の中です。最後はお金ということでしょうか。昔のドラマにも「同情するなら金をくれ」という名ゼリフがありました(笑)。全く何とも言えない気持ちがしますが、これが社会の真相だと言うことも出来ます。
 私たち佛立信徒の場合、この言葉をどのように捉えればいいでしょうか。

 私たちは、この言葉を、

「○○○○。それにつけても、教化折伏」

と代えてご覧なさい、と教えていただきます。それは、もちろん「お金」などではない。でも、あなたが感じた感動や感謝、喜びを、どのようにお返ししたらいいかを考えておかなければならないのです。御法さまからいただく御利益、おはからい、御講師やお役中の有難いご奉公に対して、どのようにお返ししたらいいか。
 その全てに対して、
「○○○○。それにつけても、教化折伏」

と考えてゆくことが大切だと思うのです。

 「家族が健康です。それにつけても、教化折伏」「病気が治った。それにつけても、教化折伏」「災難除滅させていただいた。それにつけても教化折伏」「温かいお葬式でした。それにつけても教化折伏」
 御法さまが、なぜ、罪障の深い私たちを助けてくださるのかといえば、それは凡夫が菩薩となり、苦しみ悩む人々をお教化、お折伏できるようになるためです。これに尽きます。ですから、ご宝前への感謝は、そのままで終わりにせずに、
「○○○○。それにつけても、教化折伏」

と口癖のように言い合うことが大切です。悪いことをするために助けてくださったのではないのですから、これが御本意です。 こうした気持ちとご信心で過ごせたら、御利益に溢れた一年になることは間違いありません。朝夕のお看経を誓い、すべての感謝をお教化とお折伏の菩薩行に結びます。一人でも多くの方が実践したなら、必ず報恩ご奉公は成就します。

 この一年を良くするか悪くするかは、自分次第だと思い、お互いに精進いたしましょう。

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