昨夜、23才の青年が喪主となったお通夜を勤めさせていただいた。既に父は他界されており、今回最愛のお母さんを見送ることになった。その深い哀しみは言葉にならない。
数ヶ月前、はじめて彼に会った。前途洋々の、美しい青年で、眼にも、心にも、強い力を感じた。しかし、妙深寺にお連れいただいたのはいいが、これほど生命力が溢れている青年に、私が何を伝えられるだろうかと戸惑った。ご信心について話をして、本を交換したりした。特に、彼がご信心をすると約束したわけでもなく、私は彼の成功を祈り、その真の成功のためには正しい信仰を持つべきだと伝えて、初対面の日は終わった。
数ヶ月後、こんな哀しい出来事が彼を襲うとは、夢にも思っていなかった。いま思えば、妙深寺にお連れいただいた方は、こうした出来事を予感して私に会わせてくださったのではないかと思う。
深い哀しみを、昨日の夜は共に乗り越えようと御題目をお唱えした。お母さんのために、彼は必死に御題目をお唱えしていた。そんな彼を、やはり私に会わせてくれた方が支えていた。
本当に、不思議だ。この世に、偶然はないのだから。この哀しみ、苦しみを、乗り越えるために、みんな必死で。
それでも、心に開いた大きな穴を埋めるには時間が必要だと思う。簡単に埋められるはずがない。最愛の母であり、母にとっても最愛の、自慢の、期待の、一人息子だったのだから。
これからの彼の人生、私も命をかけて、彼を見守っていきたいと思う。
今日も、これから御講に出ます。戸塚と寒川へ。そして、夕方は大和の法深寺で神奈川布教区の参与会。19時からは夜の住職御講です。
今日、彼は母親を見送ります。告別式は淳慧師に勤めていただきます。
すべてが、一つの方向に、あるべき方向へと導かれているのを、強く感じます。
ありがとうございます。
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