2012年2月23日木曜日

東日本大震災のその後で

間違った問題に対して正しい答えを求める者ほど厄介な存在はない。

東日本大震災から数日間、日本、いや世界は、史上類を見ない危険な状態であったことは、すでに政府関係者の口から明らかにされている。世界が、日本が、東日本が、破滅するかしないかという瀬戸際にあった。

2011年3月17日の夜、米国有数の外資系企業に勤めている女性が本国からの極秘メールを転送してくれた。日本法人の主要社員に宛てたメールは驚愕の内容で、すでに原子炉は制御不能の状態で、日本政府は原子炉について正確な情報を得ておらず、虚偽の報告を行っているというものだった。米国本社は社員を守るため、迅速に西日本への退避を呼びかけ、転居の費用も全て本社が請け負うので安心して申し出るようにと書いてあった。

果たして、いま、このメールや彼らの対応を、過剰反応や震災当時から問題となっていたジャンクメールの一種と切って捨てられるだろうか。私は全くそうは思わない。

今頃になって次々に明らかになる当時の真相。東京電力は日本政府への報告よりも米国への報告を優先していたし、原子炉の正確な情報は首相にすら届いていなかったし、現実、東京電力の幹部や原発事故現場の担当者にも正確な事態の把握は出来ずにいた。そして、東電は福島第一原子力発電所を放棄しようとすらした。それは放射性物質の飛散や流出を許すことになり、首都東京を含めた東日本の全て、いや、日本を放棄することを意味し、アジア、太平洋、全世界、そこに生きる全ての生命を危険な状態に陥れることを意味した。無論、いくら誰も責任を取らない無責任な民主主義国家・日本でも、それは許されようはずがない。しかし、平和に惚けたプライオリティの定まらぬ為政者が多い中、この決定すらギリギリの決断だったことも明らかになっている。

3月17日、常磐道から磐越道、いわき市から郡山に抜けて東北道を走りながら、数多くの自衛隊の車輌、消防車輌、ポンプ車やはしご車、パトカーの隊列と並んで走り、そしてすれ違った。南からも、北からも、被災地を目指して走っていた緊急車輌を見て、涙が自然に溢れた。特に、福島の原発事故の現場に向かう車輌を見ると、手を合わせて祈った。本当に、そうしていた。自然に、そうしていた。

あの時、確か東京のハイパーレスキューの方がTwitterをしていて、向かう任務地が福島第一原発事故の現場、その招集から家族との別れ、決意や活動の前後が書かれていた。その後、すぐにTwitterのアカウントは消されてしまったが、生々しく、日本を守る決意で自分の身命をなげうつ姿に胸が締め付けられた。任務とはいえ、大きなリスクを引き受けた、こうした方々の命懸けの作業がなければ、今の日本はない。

私たちの今の平和な気分は、こうした方々の尽力の下にある。膨大な放射性物質が拡散したことに違いはない。しかし、まさに決死の覚悟で、危険を顧みず力を尽くしてくれた人びとがいたからこそ、この程度で済んだと言える。忘れてはならない事実、真実。

一方で、米国の原子力規制委員会の膨大な議事録が公開され、その緊迫した内容と原発事故直後から数日の危機的状況が米国の資料からも明らかになり、議事録も残っていない日本の体制の愚かさを露呈するとともに愕然とする。

米国の原子力規制委員会は、当初から最悪の事態を想定して動いていたことが分かる。ヤツコ委員長やボーチャード事務局長は、日本政府や東電からの報告だけではなく独自に調査を開始し、福島第一原発から185キロ離れた太平洋上にいた空母ロナルド・レーガンが異常な放射能数値を確認したことを受け、少なくとも1つの原子炉がメルトダウンした可能性があるとして80キロ圏内の避難を妥当とした。3月16日の時点で、米国では3つの原子炉全てがメルトダウンすることを想定して対策を検討していた。日本政府はまだ20キロ圏内の避難勧告、20〜30キロ圏内の屋内退避を呼びかけていただけの時だ。

日本側の対応は全て後手に回っていたことも判明した。米国が空中からの冷却水投下を勧めたのに対して日本がそれを行ったのは4日後だった。

最悪の事態を想定して対策を講じようとした米国と、その逆の思考や対策しかしなかった日本。本当に情けない。愚かだ。何を守っていたのか。

平和に呆けた日本には、危機管理の能力すらないのか。災害対策本部を含めて10の会議の議事録もない。検証もできない。民主主義の大原則の中にある責任が、この国の中で見えなくなっている。危機的状況の中で、誰がリスクを取るかが曖昧なままで、それが国民にまで整理も理解されていない。豊かさの中で、全てを当たり前のように享受してきた国や国民は、動物園に保護されて育った動物のようなもので、もう厳しい大自然には戻れないか、野生に戻っても生きてゆくだけの知恵や経験がないのだろうか。

今もまだ原子力安全保安院などは当時の組織や人事のままで誰も責任を取っていないという。そうであるにもかかわらず、除染や避難解除の可否、再稼働やがれきの処理などに関わっている。果たして妥当な結論を導き出し、妥当な対策を講じられるのだろうか。

なぜなのか分からないことばかりだ。

震災がれき処理の受け入れが進まないという。その基本政策が分からない。これは京都の大文字山で燃やす薪とは違う。全てのがれきがそうでないことは明白だが、あれだけの大規模な原発事故が起きて大量の放射性物質が拡散した後、東日本で野外にあったものだ。

因果の道理が通らない。放射性物質は、通常でもあくまで一つの地域や場所に限定しておくべきというのが鉄則で、原発事故後もこの原則が変わるとは思えない。でき得るかぎり確実に一箇所にまとめて処理、管理するしかないと考える。

無論、岩手や宮城などのがれきに大量の放射能数値が含まれているとは聞かないし、事実そうではないだろう。しかし、微量であったとしても原発事故の前よりは数値は高くなっているに違いない。当局は感情論にすり替えようとしているが、これを全国で受け入れることは原則的に間違ってはいないのだろうか。もし間違っているとしたら歴史的な愚挙だ。平和呆けした日本の、エゴイズムとコンビニエンスな善意が、如何に災禍を拡大したかという恥ずべき事例にならないだろうか。

私がおかしいと思うのは、政府や委員会が、大気や海に流れ出て、放射能の濃度が薄れていくことを歓迎しているかのような欺瞞的な態度だ。彼らは、放射性物質が、半減期の短い物質を除いて決して地球上から消えないことを知っている。側溝を「除染」したところで、その放射性物質は下水道を通り、別の場所に行くだけだ。もちろん、濃度が高いままではさらに危険だが、攪拌して薄れてゆくことを黙認し、歓迎しているかのように受け取れる。因果の道理からしても、こんな上辺の対策ばかりしていたら、必ず災禍は返ってくるではないか。

がれきの処理を受け入れることが被災地を援助することになると言うが、果たしてそうだろうか。これを被災地最大の雇用や事業にすべきではないか。一部では、がれきこそ宝の山であり、むしろ他県の業界団体ががれきの処理を望んでいると聞く。本末転倒の話のように思う。

不信感ばかりが募る政治の状況で明日の朝は福島県に向かう。3月11日は陸前高田で一周忌を迎える。

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