混沌としたインドで生き残るためには、戒律や禁欲を求めるだけの仏教は特殊なもの、奇異なものに映る。そうした教えが尊いことは分かるが、自分の人生に取り入れられるわけがない、と考える。それよりも、弱者である自分たちを救ってくれるパワフルな神々に祈った方がいいとする。過酷な人生、過酷な過当競争の中で生き残りをかけた戦いを日々続けているからこそ、仏教が高尚な哲学や人生の倫理を説き、戒律を求めていると考えている人々は、仏教を避けるか、自分の人生には必要ないものとして避ける。
これらは、仏教の間違ったイメージか、あるいは法華経本門の教えとは異なるものなのだが、これを念頭に置かなければ、インドでも、いや日本でも、本当の意味での仏教の実践というものは出来ないと思う。
いま、世界中で生き残りをかけた戦いが激しさを増しているし、これからも増していくと思う。その時に、私たち自身も、余裕のある人がするチャリティやボランティアの一つのように菩薩行を捉えたり、耳触りのいい「善行」に加わるという単純な気持ちだけでは足りない時が来ていると思う。
まず、大前提として、油断していたら、すべてを失うということ現実を知るべきだ。嫌気が差すほど冷酷で冷徹な「因果の道理」というものの本質を知るべきだ。その上でこそ、本物の仏教、その本当の価値に気づくはず。
とにかく、甘い生き方では全てを失って当然、という厳しさを知らなければならない。
また、朝焼けを見ることが出来ました。
0 件のコメント:
コメントを投稿