海援隊の『閑愁録』には、次のようにあります。
「仏法は天竺の仏法とのみ言べからず。乃ち皇国の仏法なり」
安政四年の御開講から十年後。開導聖人はこの本を手にされました。既成仏教の僧侶らを痛烈に批判し、真の仏法を求める海援隊の意見に共感され、開導聖人はこれを書写して後世に遺されました。また、この主旨は日蓮聖人が立正安国論で述べられていることと符合すると絶賛されました。
「天下の乱れは仏法の乱れより起こるの説、高祖の安国論の御説に合す」
「天竺」とは「インド」のことですが、昔はパキスタンやアフガニスタン、バングラディシュを含めた広大な国をそう呼んでいました。その天竺から東へ東へと仏法は伝わり中国を経て、東の果ての国である日本へと辿り着きました。
そして、仏教は、まるで醸造酒が蒸留酒に変わるように、仏法も発酵と精製を繰り返し、ようやく御仏の真意が開顕されます。お祖師さま(高祖日蓮大菩薩)がご出現になり、御題目をお伝えくださることによって、「皇国の仏法」は「真実の仏教」として、難解な教理や哲学ではなく、透き通った一滴の、真理の滴となりました。全てが一本の糸、一筋の線に乗って、今日の、私たちに繋がっています。
お祖師さまの御妙判には次のようにあるのです。
「天竺をば月氏という、我国をば日本と申す。一閻浮提八万の国の中に大なる国は天竺、小なる国は日本なり。名のめでたきは、印度第二、扶桑第一なり。仏法は月の国より始て日の国にとどまるべし月は西より出でて東に向ひ、日は東より西へ行事天然のことはり、磁石と鉄と雷と象華とのごとし。誰か此ことはりをやぶらん」
文意は以下の通りになります。
「仏教は印度から日本へ伝わったのだが、その印度を月氏といい、我が国を日本という。全世界八万の国々の中で、大国は印度、小国は日本である。しかし、その名の勝れているのは日本が第一、印度は第二。月が西に現れ次第に東に向かい、日が東に出て西に向かうのは、磁石が鉄を引きつけ、芭蕉が雷鳴を聞いて成長する如く自然の働きによる。仏法もまた月の国から起こっては日の国に至り、さらに日の国から西方に向かうであろう」
この一節は「印度の仏法が東漸して日本に至り、やがて日本の仏法が西漸して世界を照らすだろう」という、お祖師さま御自ら、ご弘通の未来を祝福した御文です。
このようにして、お祖師さまは既に一本の線を引かれていました。世界が一つに結ばれ、世界が混乱を共にする情勢の中で、真の仏法が世界に弘通広宣されるべきとの断固たる指針をお示しです。
これを「佛法西漸」と言います。「東へ東へと渡って来た仏法を、今度は西に帰しなさい」という御意です。仏陀生誕の大地・インドへ、法華経の説かれた旧・王舎城、ラージギルへ、上行菩薩所伝の御題目を伝えることは、高祖のご遺命であり、私たちの使命だと思います。
ラージギルの村の方々と、末永い関係を築いてゆきたいです。二人には、「門祖聖人のご時代のように、『一村教化』をさせていただくようなご奉公を!」と言って送り出しましたが、本当に頑張ってくれました。
以下、清康師がFacebookに投稿したご奉公の報告を、重ねてお読みいただければと思います。
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怒涛のスケジュールを終えて、ラージギルとブッダガヤからデリーに戻ってきました。
ラージギルは、仏様がお経の王様、法華経を説かれた霊鷲山の地。その麓にある井戸が枯れた貧しい村に作る井戸と、仏教スクール建設予定地を視察し、また、その村の学校に200人の子供たちと先生方がお集まりくださりました。
子供たちは、前回、ご住職と訪れた私たちのことを覚えていて、着いた途端、熱狂的スタンディングオベーション?で、こちらが戸惑い、笑顔が引きつってしまいました。
有馬清朋師とともに、この地がお釈迦様と深いつながりがあること、お釈迦様が説かれた最も大切な教えを知って欲しいこと、それは事故や災難、病気やあらゆる不幸を乗り越え、最高の幸せにしていただける法であるということを伝え、そのために一緒に「ナムミョウホウレンゲキョウ」と唱えました。
また、私がいただいたご利益と、私の父が幼い頃、馬に頭を蹴られ、医者も救えないと言ったくらい瀕死の状況にあったのを、お寺の方々の連日のお題目をお唱え下さったことにより生還したことを子供たちに伝えさせていただきました。心から、この子達が幸せになってもらいたいと願いながら。
しかも、皆んなお題目を覚えていて、大感激です(^○^)
最後に、お題目を大切に、唱え続けることを約束して、お題目のペンダントを授与、先生方もいただきたいとの要望から、全員に拝受させていただきました。
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