深夜も深夜、時間の空いた時に観るのですが、もう、泣けて、泣けて、泣けて、泣けて、嗚咽してしまう。翌朝、目が腫れるくらい、泣いてしまいます。きっと、これを観ている人、皆さんそうなんじゃないかなー?
ヤスさんの不器用さ。男手一つで我が子を育てようとするヤスさんの戸惑いや悩み。アキラの幸せを第一に考えて、奮闘するお父さん(涙)。もう、内野さんの迫真の演技に泣き、天才に違いない子役の子、表情、声に泣き、福山雅治さんの主題歌に泣いてしまいます。
確かに、「魂が涙する、父親物語の最高傑作!」です。重松清さんの原作からして素晴らしい。そして、今回の俳優さんたちの素晴らしさ。お坊さんたち、その親しい関わり、交わり。本当に、すてきです。
第二話で、寒い海に連れて行って話してくれた海雲さん。もうボロボロに泣きました。雪の降る寒い寒い海岸。震えるアキラくん。
「寒いか?」
「寒いー」
「ヤス、愛する息子が寒がってる。だっこしてやれ!」
そして、お父さんがだっこして(涙)。
「アキラ、これがお父ちゃんのむくもりだ。お父ちゃんがだっこしてくれたら、身体の前の方はあったかい。でも、背中はやっぱり寒い。そうだろ!」
「うん」
「お母ちゃんがいたら背中の方から抱いてくれる。そうしたら背中は寒くない。お父ちゃんもお母ちゃんもいる子は、そうやってあっためてもらえる。だけどアキラにはお母ちゃんはいないから背中はず〜っと寒いままだ!お父ちゃんがどう頑張っても背中までは暖ためられない!」
もう、このシーンを観ていて、画面が観れなくなるほど、泣いて、嗚咽してしまいました。続けて、お坊さんが言います。
「その寒さを背負うということが、アキラにとって生きるってことなんだ!」
少し間を置いて。
「背中が寒いまま生きるのは辛いな。寂しいな。哀しくて、悔しいな。」
目に涙をいっぱいためたアキラくんが小さな声で
「うん」
と答えます(涙)。
すると、海雲さんがアキラくんの後ろに回り、その背中に手を当てます。
「アキラ、あったかいか?」
「ちょっと」
「おい、まだ寒いって言ってるぞ」
海雲さんはヤスさんから「ナマグサ」と呼ばれている息子の照雲さんに声を掛けます。照雲さんもアキラくんの背中に手を当てます。お父さんも、だっこしながら、凍えるアキラくんの背中に手を当てます。泣きながら、それを感じるアキラくん(涙)。
「あったかくなっただろ、アキラ?これでも寒いときは、幸恵おばちゃんもいるし、頼子おばあちゃんもいる。それでもー寒かったらー、たえ子おばちゃんもいる。お前が寒くてたまらないときは、いつもこうやって、あっためてやる。ずーっと、ずーっと、そうしてやる。だから、自分を可哀想だなんて思うな!」
聞きながら、アキラくん、泣いてる(涙)。
「『さみしい』って言葉はな、『さむしい』からきたんだ。『さむい。さむしー』が『さびしい』に変わっていったんだ。だから、背中が寒くないお前は、寂しくない。お母ちゃんがいないかわりにお前にはー、背中をあっためてくれる奴らがいっぱいいる。お前は、寂しい子どもなんかじゃない!」
こういう生き方、こういう関係、こういうことが、とっても、とっても、大切なのだと思います。ゲンコツでどつき、怒鳴り合い、本当に不器用で、早とちりで、短気で、せっかちで(涙)。素直かと思うと、素直でもない。飾らないかと思えば、変なところでカッコつけてる。
でも、とにかく、正直であること、まっすぐであることが、人生で、何より大切だということに気づくのです。
泣けるのは、いいですね。勉強になります。久しぶりに、そういう、ドラマです。ありがたいです。
本音と建前みたいなことを目の当たりにすることが多くて、どっからどこまで言ってることが本気なのか、それはご挨拶の中だけの話で、裏では違うのか、なんか、よー分からないことが多いものです。開導聖人は大嫌いだと思うのですが、お坊さんの世界になるとそういうことが多い。何をどうしていいのか分からない、結局どうしたいのかも分からないことも多い。
そんな時、そういう風潮に流されそうになりますが、やっぱり変です。裏表ではなく、白黒はっきりすればいい。あほらしい。
もっともっと、正直に、まっすぐに、生きなければならないなー、生きるべきだなー、と思いました。頭が良くても、体裁を整えても、お行儀がよくても、それだけではダメです。佛立流のイズムからしても。佛立らしくない。何がらしくて、何がらしくないか、これからも生涯を通じて、はっきりさせていきたいです。
とんびの話から、ずいぶん脱線しましたね(汗)。今夜も録画しておこー!皆さんも、観てみてください!
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