2013年1月30日水曜日

静岡の清啓寺にて

昨日の朝は京都、午後には東京に戻って財団の打ち合わせ。真理子さんのご協力で素晴らしい出会い、インスピレーションをいただきました。子どもたちの教育について。その道のカリスマ、大先生のお話を聞いて、大感動でした。

子育てに悩む親に対して具体的なメソッドを示し、その場で子どもたちが変わる。そこに法則があります。すごいです。問題行動にも必ず原因がある。幼児期の教育が何より大切。子どもを取り囲む人びと。教育の分野で何らかの地殻変動を起こすことは財団の目標の一つです。素晴らしい先生とお会い出来ました。まず自分自身が研修し直します。

夕方は高校時代を過ごした懐かしの下町・大井町で友人と会いました。空白の年月など何処かに行ってしまう。久しぶりに高校時代の話を聞きましたが、まぁスゴイ。面白い小説が書けそう。短かったけど、いい時間でした。大井町の会、定例化したいです。

今日は静岡へ。清水の清啓寺さまで、私のような若輩が多田御導師の忌日法要を勤めさせていただきました。1月3日にご遷化になられた清啓寺第二代ご住職・信持院日常上人。妙深寺の初代日博上人と清啓寺の初代日証上人は門末を越えてご弘通の絆を育まれ、日証上人は日博上人がご遷化になられてからも盆暮れには妙深寺にお参詣くださっていました。私は小さな頃からそうしたお姿を拝見していました。「清啓寺は特別ご縁のあるお寺」と教わってきたのは、日証上人が通ってくださっていたことと、日証上人がご遷化後に日常上人もまた同じようになされてきたことによります。その関係は、ただただご弘通への思いで結ばれていました。

私の目に映った日常上人は、日証上人のお側で、まさに給仕第一を体現された、我も、私心も、一分もないような、透き通った心を持たれた御導師でした。本当に、そのとおりでした。

今日、奥さまも仰せになっておられましたが、人の悪口や愚痴を一切言わず、常に、何事にも感謝しておられる。たとえば、お食事も全てに感謝していただかれているので、結婚して40年経って、御導師の好きな食べ物は何か知らない。何でも、大切に、感謝して、いただかれるから。

いま、このことを振り返って、どれほど偉大な方だったのか、感じています、と涙されていました。40年連れ添った奥さまが好物をご存知ないというほど、多田御導師の姿勢、生き方は凄まじかったのです。よく、「がんばれ。がんばれ」と呟かれていたこともお聞きしました。誰かに言っていたのではなく、自分自身に言っておられた、と。分かります。すごすぎます。

ご遷化の数日前に病院で撮られた写真は、もうすでにこの世の人とは思えないくらい、さらに透き通った、御導師らしい、仏さまか、菩薩のように、美しいお顔でした。

「衆生病む故に菩薩また病む」

「菩薩の病は大悲より起こる」

菩薩は、人々が病気に苦悩するのを察知して自ら進んで病を受け、その姿を通して、私たちに教えてくださる、お折伏くださる、導いてくださる、試される、学ばせる。まさに、そういうことではなかったかと思いました。

静岡に入ると、富士山が美しく、静かに聳えていて、その威厳、その威容に、言葉は無くても胸打たれます。思わず手を合わせたくなるほど、美しいのです。清啓寺の御導師の静かさ、その奥底にあった厳しい修行の姿勢と、美しい、優しいお顔、立ち居振る舞いに、学ばせていただかなければならないと思いました。残された皆さまには、ここから、やはり、報恩のご奉公、清啓寺魂、佛立根性で、お気張りいただきたいと思います。

横浜に戻ります。18時からお通夜のご奉公をさせていただきます。

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