ブラジルで修行を始めた朝陽の書くFacebookの文章に感心しています。
まだ20才なのに、いい感度です、なかなかの文章力です、根性もあります。
きっと、立派な佛立教務になりますね(涙)。
将来が楽しみです、本当に。
かねてから若い教務に言っていることがあります。
いいところを伸ばすことはもちろん、人生は苦手を克服してゆく選手権だ。
鈍感な者はもう少し敏感に、敏感すぎる者は少し鈍感にー。
短距離の得意な子は長距離も走れるように、長距離が得意な子は短距離でも力が出せるように。
頭の賢い子は体も動くように、体を動かすことが得意な子は思索することも好きになるように。
歩きながら考えて、考えながら歩く人へ。
感じる心も大切。
感じたことを言葉にすることも大切。
文章に書くから普遍化する、文章力を育てること。
言葉に酔わず、文章に頼らず、行動すること。
実際に、行動してゆくこと。
得意なものは得意なのだから、しっかりと伸ばしていきながら、苦手なこと、あまりしてこなかったことにも、目を向けて、伸ばしてゆけたらいい。
オールマイティになれとは言わないけれど、もっともっと伸ばせるのに、もったいないからね。
僕は、20才まで本を読むのも大嫌いだったし、文字を書くのも嫌いでした。
小学校の作文なんか、「行った、入った、食べた、帰った、寝た」みたいな、どうしようもない文章だから。
感性を磨き、それを言葉や文字にして、行動してー。
御講を勤められるだけでは佛立教務ではない。
弘通家であれ。
一声、二筆、三姿なんて言うけれど、大量生産のような教育方針で生まれた、茶坊主みたいな佛立教務なんてあり得ない。
佛立開導日扇聖人の生涯、アイデンティティーを本当に知ったら、きっと、どんな教務像を目標にすべきか分かる。
今こそ、文言や、条々ではなく、まざまざと、「この人を見ていたら、分かりました!」というくらい「宗風」を身につけた人が求められている。
風は、目に見えないんだよ。
にじみ出るの。
入寺した若い方々に、何とか大きく育ってもらいたいです。
何もかもが修行だから、体当たりで、すべてさせていただく思いで、頑張ってもらいたい。
朝陽の文章、いや文章の中に輝く感性、素晴らしいです。
とにかく、佛立らしい佛立教務を育てたいです。
厳しく、厳しく、厳しく、厳しく、お互いに、ではどんなものが佛立教務か、宗風か、具体的に見据えて、高め合ってゆきたい。
とことん、とことん、とことんトン。
朝陽ー、がんばれよー!
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