70年前の今日、横浜大空襲がありました。
妙深寺の隣接する横浜市営三ツ沢墓地は、明治末期から徐々に造営されてきたそうです。
この三ツ沢墓地に、横浜大空襲で亡くなった方々、主に反町と黄金町方面で亡くなられた方々のご遺体が運ばれてきて、丘の向こう側に埋葬されたそうです。
そして、後に荼毘に付されて、横浜大空襲の慰霊塔が建立されました。
今朝、朝参詣に引き続いて、皆さまとご回向に行かせていただきました。
大事な節目を、大切に過ごさせていただきました。
そして、夕方、昨年に引き続いて、児童虐待によって亡くなった子どもたちのご回向をさせていただきました。
昨年ご回向できなかった子どもたち。
いま、問題となっている「居所不明」の子どもたちについて、ご回向させていただきました。
あいりちゃんや、りくくんの、ご回向でした。
これからも、しっかりとご回向させていただきます。
南無妙法蓮華経、
法華経常住一切三宝諸仏諸尊、この室に来臨し給い、一切の障礙を払い、哀愍救護を垂れ、即是道場に於いて、知見照覧なさしめ給え。
本日ここに、蓮師相伝秘要の対境、本地本法本門法華経の御宝前において、恭しく壇を設け、礼をもって営み奉るところの一座の法要は、児童虐待致死事件、回向法要一座なり。
ここに受持口唱し奉る本地本法の功力をもって謹んで回向し志して弔うところは、
横浜市にて発生の事件。
俗名 山口(やまぐち) あいり、
母親は離婚後、住居を転々とし、小学校にも入学させてもらえず、母親や同居人より日常的に暴行を受け、平成二十四年七月二十二日、頭蓋内損傷にて満六歳を以て命終せるも、雑木林に遺棄され、翌年四月に親族の通報により捜査、発見されたる霊位。妙法経力追善菩提。
厚木市にて発生の事件。
俗名 斎藤(さいとう) 理玖(りく)、
両親より育児放棄され、食事を与えてもらえず、衰弱し、「パパ」と呼び続けるも家に放置、平成十八年十月より十九年一月頃、満六歳を以て命終せるも、約八年間にわたり自宅アパートに放置、児童相談所の通報により捜査、平成二十六年に発見されたる霊位。妙法経力追善菩提。
大阪市にて発生の事件。
俗名 羽木(はぎ) 桜子(さくらこ)・俗名 羽木 楓(かえで)
母親は離婚後、住居を転々とする中で、育児放棄され、一ヵ月以上自宅に放置、食事を与えてもらえず、去る平成二十二年六月下旬、桜子 満三歳、楓 満一歳をもって命終の霊位。妙法経力追善菩提。
山形県にて発生の事件。
俗名不詳、男児。
経済的な困窮から、母親と共に車上生活を送り、平成二十一年十月十三日~ 十五日頃に母子で心中を図り、十歳を以て命終の霊位。妙法経力追善菩提。
岡山県にて発生の事件。
俗名 飯島(いいじま) 陽子(ようこ)、
母親は離婚後、女児を出産するが、小学校に入れてもらえず、家から出歩くこともなく、不衛生な状況で生活させられ、経済的困窮から食事を与えてもらえず、衰弱し、平成十四年九月十日頃、十一歳を以て命終の霊位。妙法経力追善菩提。
足立区にて発生の事件。
俗名 皆川(みながわ) 玲空斗(りくと)、
平成二十四年十二月から約三ヶ月間、うさぎ用のかごにて監禁され、食事を与えてもらえず、翌、平成二十五年三月、口にタオルをまかれるなどの暴行を加えられ、満三歳を以て命終せるも、遺体を段ボールに入れられ荒川もしくは山梨の山中に遺棄され、現在も行方不明たる霊位。妙法経力追善菩提。
いずれも、児童相談所をはじめとした公的機関は、幾度にも及ぶ出頭要請や立ち入り調査を行い、事件防止に奮闘するも、所在不明として安否確認に至らず、今ここに悲しき現実となるなり。
右、児童虐待致死事件犠牲者の諸精霊、妙法経力 追福作善 証大菩提の為。
仮使遍法界断善 諸衆生一聞法華経 決定成菩提。
生死の長夜を照す大灯明、元品の無明を切る大利剣、妙法経力追善菩提。
経に曰く「若有聞法者 無一不成仏」「毎自作是念 以何令衆生 得入無上道 速成就仏身」「於我滅度後 応受持此経 是人於仏道 決定無有疑」。
妙法蓮華経と者、上は悲想の雲の上、下は奈落の炎の底までも、皆この光明に照らされて、一切の群生、諸々の苦患を逃るるものなりと、大慈大悲大恩報謝。
納種在識 永劫不失 名字信行 即身成仏。
右、弔主、有志一同、関係各位、只今参詣の面々、各々謗罪消滅定業能転、
願わくは、育児を行う全ての家庭の円満、子どもたちの無事養育成長、児童虐待のない社会の実現に向けて、児童相談所並びに関係各機関の職務、無事完遂なさしめたまえ。現証御利益感応道交哀愍納受。
南無妙法蓮華経。
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