先日、全田先生のお宅で、教区御講を奉修させていただきました。
御歳90才。
妙深寺の初代青年会長で、日博上人とはいつも丁々発止のやりとりをしていたと聞いています。
日博上人が昭和20年半ばから発行していた機関紙『一実』にも、全田先生の記事が掲載されています。
その後、先生はお医者さまになられ、横浜駅東口にあるスカイビル内科を開業、横浜市西区の医師会の会長もされていました。
今回の御講では、ご自身の半生を振り返り、たくさんのお話を聞かせていただくことが出来て、本当にありがたかったです。
神奈川県のお医者さまは8500人おられるそうですが、90才を迎えられた方はそう多くはありません。
これまで60年間で延べ10万人以上の患者さんを診てこられたことになります。
その間、大過なく今日を迎えられたことは、御法さまのお守りがあってこそだと思うと仰せでした。
車の運転も、大変なお守りをいただきました、と。
大きく3つ、九死に一生を得たご祈願、ご利益があったのだと、お話をくださいました。
また、特に、戦争についての思い出を、お聞きしました。
「70年前の5月29日、金沢八景の丘の上から、横浜大空襲を見ていた。
500機のB29が、横浜の東からやってきて、バラバラと大量の焼夷弾を落としていった。
そうして、西に行ったB29は、もう一度、大きく旋回して、今度は南から北に向かって飛んで、焼夷弾を落として行った。
これでは、たまらない。
逃げようもない。
あの大空襲の直後、私は、横浜市に向かった。
その時の光景は忘れられない。
野毛の坂を、下から登っていくと、その両脇に、パンパンに、お相撲さんみたいに、膨れ上がった遺体が、山のように積まれていた。
人間は、あんな風に焼かれると、水分の関係で膨れ上がってしまう。
その遺体の群れの中に、赤児を背負った母子の姿もあり、なんと惨いことかと思った。」
この他にも、パプア・ニューギニアに出征していたお兄さまのお話もありました。
来月の開導会は、終戦70年の慰霊法要としても奉修させていただきます。
その前に、ご高齢となっておられる戦争体験者の方々に、順次インタビューをさせていただこうと思っています。
そんな時に、お聞き出来て、よかった。
来週、29日は、横浜大空襲から70年目を迎えます。
先ほど、東日本大震災の支援活動で知り合いになった方の、突然の訃報を聞きました。
本当に、何が起こるか分からない。
自分に与えられた運命を生き切りたい。
自分に与えられたチャンスを生き切りたい。
世世恒聞法華経、恒修不退菩薩行ー。
日博上人に、感謝。
全田先生から40年後に妙深寺の青年会長をした藤村さんも、みなさまのお助行のおかげで、九死に一生をいただきました。
驚くべきことに、一般病棟に移り、ようやくリハビリが始まりました。
全田先生、本当にありがたい、素晴らしい、妙深寺の初代青年会長です。
http://doctorsfile.jp/h/16426/df/1/
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