2015年5月15日金曜日

終戦70年特別展示に向かって

京都佛立ミュージアム、晴れて京都市内博物館施設連絡協議会、略して「京博連」に加盟し、会員証をいただきましたー。

とっても嬉しいです。

今日も次回の企画展のためにミュージアムの会議でした。

次回は、7月7日から開催します。

タイトルは、「終戦70年特別展示 『トランクの中の日本』 〜戦争、平和、そして仏教〜」です。

終戦70年の節目にあたる今年、一人でも多くの方に来館いただけるよう、鋭意、全力で、全身全霊で、取り組みます。

昨日、「武力攻撃事態法」をはじめ、10本の現行法をひとまとめに改正する「平和安全法制整備法案」と、他国軍の戦闘支援を目的とした自衛隊の海外派遣を随時可能とする新法「国際平和支援法案」の2本が、閣議決定されました。

そして、今日、他国を武力で守る集団的自衛権の行使容認を柱とする安全保障関連法案が衆議院に提出されました。

周辺国との緊張が高まり、米国との同盟関係が日本の存亡にかかわるということは事実です。

しかし、日本の歩むべき道は1つではないはずです。

ベトナム戦争やイラク戦争などを見ても、周辺国の危機が、事実ではないこともあるのです。

ベトナム戦争、いわゆる北爆」の原因となったトンキン湾事件はアメリカの自作自演だったことが明らかになっています。

これも、ニューヨーク・タイムズが「ペンタゴン・ペーパーズ」を入手しなければ判明しないことでした。

この1971年6月のスクープがあって、さらに反戦運動は高まり、あれほどの犠牲者を出しながら、ついに米国は勝利できず、むしろ敗北しました。

イラク戦争の危機も、捏造されたものでした。

「イラクは化学兵器と生物兵器を保有している。イラクのミサイルは45分で展開できる。」と、英国のブレア首相は下院で断言しました。

パウエル国務長官は「サダム・フセインは、ガス壊疽、ペスト、チフス、コレラ、天然痘など、数十種類もの病原菌の研究に着手した。」と断言し、国連では衛星写真を使って大量破壊兵器の所有を提示しました。

ブッシュ大統領はテレビ演説で「イラク政権が最も恐ろしい兵器を所持し、隠しているのは疑いない!」と断言し、最後通牒を突きつけました。

そして、一方的に、国連の査察団の報告も受け止めず、アナン事務総長の抗議も、シラク大統領の批判も聞かず、国連の安保理決議を待たず、開戦。

恐るべきことです。

開戦から1年半後、コリン・パウエル氏は「いかなる備蓄も見つかっておらず、この先も発見されることはないだろう。」と表明。

翌年には根も葉もない開戦の理由を説明したことを『人生の汚点』と発言しています。

個人の『人生の汚点』はどうでもいいけれど、失われた命は戻ってきません。

しかも、このイラク戦争は、パンドラの箱を開けてしまいました。

私たち日本人は、別の方法によって、他国の侵略から国を守り、同盟国と協調し、想定される敵国とも向き合えるはずです。

恐るべき敗北、おびただしい犠牲者を出し、原子力爆弾を2度も落とされた日本だからこそ、米国とは違う形で世界をリードし、世界を導けるはずです。

なぜ、そうした根本的な話がなく、トンキン湾事件やイラク戦争の時のような、目先の話だけで、終戦70年の今年に、こんな話になるのか。

『仏教徒 坂本龍馬』でも触れましたが、自衛隊、国防軍は必要だとしても、世界の警察を自認する、好戦的な米国と共に、こちらから、この日本が、武力によって国際紛争を解決しようとすることなどない。

それは日本の取るべき道ではない。

本当に、その選択肢しかないのか。

そうではない。

ヒトラーは経済を見事に復活させ、その後で狂気的な政策を推し進めました。

私は今の政治家をヒトラーだとは思いませんが、何となく景気が上向く気分の中で、こんな大切なことが国民の無関心のまま通るなんて、とんでもないことだと思います。

米国は、戦後70年間、日本の安全保障に無くてはならない存在でした。

今後も、最重要な同盟国に違いないと思います。

自分の国を自分で守れないという事実。

守ってくれている同盟国のことも守れないという事実。

終戦から70年、大きな節目を迎えていることに違いはありませんが、この日本国が、ベトナムやイラクを見て、現在の中東の混沌、世界の混乱の中、だからといって単に米国に追従することだけは、避けなければならないと思います。

日本の歩むべき道。

政治家の方々に、もっと親切な、丁寧な、説明を、してもらいたいと思います。

右か左か、白か黒かではなく。

とにかく、「終戦70年特別展示 『トランクの中の日本』 〜戦争、平和、そして仏教〜」を、突き詰めて作り上げたいと思います。

1 件のコメント:

伊那谷 さんのコメント...

ありがとうございます。

愚かな為政者は、国の平和と安全を守ると言うとき、敵からの攻撃に対する守りを強調する。果たしてそれだけが国の守りであろうか。

たとえば母親が、幼いわが子が熱したヤカンに手をさしだそうとしたら、どうするか。あわてて子をヤカンの側から離し「ダメ!」と叫ぶであろう。たいせつなわが子を危険から遠ざけようとするのも、やはりたいせつな守りなのである。ヤカンに敵対し攻撃する母親はいない。

先日、ドイツのメルケル首相が来日した。彼女がしてくれたことは、母親が子どもにするように、日本を「危険」から遠ざけ、日本人の平和と安全を守ろうとしてくれたのではないか。カネをばらまいて愛想をふりまくだけが外交ではないことを、メルケルは教えてくれたようにおもう。

「日本には憲法九条がある。他国のために武力行使はできない。紛争解決のため、あくまで中立的立場で和平の途を拓く努力をしたい」と、安倍首相は米国上下院で断言すべきであった。それが日本の平和と安全を守る外交であり、ひいては他国の平和と安全にも寄与貢献するのである。

他国を敵視し、その攻撃を想定するだけでは、おのずと軍拡への途を歩む。北朝鮮を異常に軍国化させているのは、アメリカの威を借る韓国や日本の「軍備力増強」の反映ではあるまいか。

「守る」とはどういう義か。まちがった進路を正すのも「守る」ことであり、それを信心のことばでいえば「教化折伏」になるのではないか。ただし、いまの日本で憂慮すべきは、わが子を危険から遠ざけようと必死にならない母親が増えたように、国民をまちがった途へ導こうとする為政者を、和を説いて教化折伏できるような宗教指導者も、いなくなったような感じがしております。合掌



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