2015年7月14日火曜日

信じる心、疑う心

妙深寺では昨日から夏期参詣がスタートしました!

この時期、この特別な修行の期間に、達成する心のレベルがあるんですよね。

心象世界、心象段階。

さて、今年はどこまでゆけるでしょうー。

暑い中、テクテク歩いてお参りし、汗だくになりながらお看経させていただいた修行で得るものは、願いが叶うというだけではなく、もっと大きなものもいただいてしまう。

お参詣を積み重ねることによって達する心の階層、心の辿る軌跡そのものが最高の宝物になります。

「心の師とはなるとも、心を師とせざれ」

あまりに深い言葉。

私たちが大切にしている至言の一つ。

「心の師匠になることはあっても、心を師匠にしてはいけない。」

「信とは行なり。行とは口唱なり。」

こちらは仏教の、究極の真理。

数千年来、仏教僧が臨床し続けた結論です。

「信とは行なり。行とは口唱なり。」

幸せな人生の秘訣は、「信じる」という心の機能を使うこと。

あなたも、持っている。

誰でも、持っている。

「信じる」という心の機能。

しかし、この「信じる」が壊れると、長い長い人生の悪循環が始まってしまう。

おちおちしていたら騙される世の中、疑い深くなるのも仕方ない。

嘘をつかれたくない、もう騙されたくない。

分かる。

分かるけど、疑心暗鬼こそ人生を台無しにする悪循環の原因。

「疑心暗鬼を生ず」とは「疑う心があると,何でもないものにまで恐れや疑いの気持ちを抱くものだ。」という意味。

「疑えば目に鬼を見る。」という言葉も、「心に疑いを持ってビクビクしていると、暗がりの中に鬼を見るように、いろいろな恐ろしい妄想を見るようになってしまう。」という意味です。

信じる心、疑う心。

誰を信じたらいいのか。

どうやって信じたらいいのか。

いつからいつまで信じたらいいのか。

そう。

とにかく、「信じる」を取り戻そう。

でも、「愛して」というくらい難しい。

心の中のことだから。

だから、「信とは行なり。行とは口唱なり。」が結論だと教えていただくのです。

「信じる」という心の機能を取り戻すために。

一晩限りとかではなく、円滑に、いつまでも、この素晴らしい機能を運用してゆくために。

「信じるということはアクション、行だ。そのアクションの最たるものは上行所伝の御題目を、最高最上のマントラを、我も唱え、他にも涼めるご奉公だ!」

 「信とは行なり。」

御題目口唱も、お参詣も、日々のご奉公も、さらにはお教化、菩薩行への努力も、不安定な時代を、心を豊かに、穏やかに、一喜一憂して、くたびれずに生きるための、大切な修行、アクションなのです。

これが修行。

これが信心。

それにしても、真理は深い、深いけれどシンプル。

「信とは行なり。行とは口唱なり。」

ずーっとすっきりしてる状態へ。

ありがとうー。

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