ありがとうございます。
いよいよ日博上人の御五十回忌が近づいてまいりました。大きな節目を迎えて、あらためて学ばせていただき、気づかせていただくことがあります。私たちのルーツ、偉大な妙深寺初代ご住職です。
日博上人は、戦前、そして戦中から戦後にかけて、当時の日本社会や宗門の中で、必死に、必死に、身を削り、命を削って、
「生きた本物の仏教とはこういうものだ。」
「佛立宗とはこうした信仰である」
ということを体現してくださいました。ヒリヒリと痛いくらい、そのお気持ちを感じます。
ご一生を振り返ると、ずっと巨大な何かに挑戦されていたように思えます。
お若くご遷化になられたこと。不遜ではありますが悔しかったのではないかと拝察します。
身を削り、命を削り、と仰せでしたし、それも事実だったと思います。
「ワッハッハ 良きも悪しきも今生は
まずはこれまで あとは来世で」
凡夫の心で、日博上人の早すぎるご遷化とこの辞世の句を拝見すると、壮絶すぎて理解できなくなります。人間というものは、ここまで強くなれるのでしょうか。
家族もいれば、子どもたちもいる。横浜にも小田原にも相模原にも、御弟子方からご信者方まで、宗門にも、海外弘通にも、生きていればまだまだやれることがある。
そう思えば、お祖師さまのご遷化と同じ六十一才で世を去ることは、お辛かったに違いない。やり残したことがあると思っておられたに違いない。やはり、そう思ってしまいます。
しかし、答えは全く違います。
日博上人は、ご自身の一生、生涯、生命をかけて、私たちにお手本をお示しくださっていた、手本となれるよう最期まで生き抜かれたのです。
寿命なんて、そんな言葉で片付けられない。その時の状況の中で、自分に出来ることを知った。だからこそ、火の中、水の中に飛び込んで、寝食を忘れるほどご奉公をなされた。それが日博上人でした。
地道なご奉公と一見派手なご奉公、文章活動や福祉事業、海外弘通後援のご奉公。その全てにおいて、全身全霊で、どこから拝見しても他に類を見ない、幅広い視点でものを見、提言し、率先垂範されています。
その当時、こうした日博上人のなさったご奉公が、どれだけ宗門に必要であったか計り知れません。評価されずとも、日博上人ご自身がそれを確信しておられたでしょうし、確信しておられればこそ、寝る間を惜しんでまでもご奉公なさったのだと思います。
日博上人を知る人にインタビューすると、圧倒的な人情、人間愛、情熱に溢れた方だったと、誰もが口を揃えて言われます。
「命をば 妙法華経に奉り
カンナをかけてやりし日もあり」
もう一つの辞世の句では、命を削ってきたことを吐露されています。痛々しく思えてしまいますが、この純粋な無私のご奉公のお手本がなければ、今日の私たちは決してありません。
命ほど大切なものはありません。誰もが命を惜しみます。しかし、長生きしていても仕方ない、恥ずかしい、情けない、そう思われる無責任な、ひたすら自己中心的な生き方があるのも事実です。世間一般の人でさえそうですから、本門佛立宗の教務であれば尚更です。
開導聖人は「阿呆の長生き、娑婆塞げ」とお示しです。皮肉ではなく、真っ向から生命の真の尊厳についてお戒めなのです。
毀誉褒貶に気を取られ、やらなければならないことをせず、言わなければならないことを言わず、しなくてもいいことをし、言わなくていいことを言うようでは、仏教徒ですらないのでは。
口先、見せかけはつまらないし、意味が無い、関係すら無い。テクニックを学んでも心根を磨かないから器が小さいのです。
お手本のとおり、ひたむきに、まっすぐ、情熱的に、生きたい。
妙深寺の現在は、すべて日博上人の切り拓いた道の上にあります。
報いたいです。
0 件のコメント:
コメントを投稿