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4月1日は、佛立開導長松清風日扇聖人の199回目のお誕生日です。来年はいよいよ御生誕200年慶讃のその時をお迎えすることとなります。
この慶讃ご奉公は、まさしく本門佛立宗の教務やご信者にとって、今日までのご信心、ご奉公の在り方を問われるものです。なぜなら、開導聖人を称えられるのは佛立教講しかいません。私たちこそ開導聖人の家族であり、弟子であり、大きな恩のある信者です。誕生日を素知らぬ顔で過ごすことなど出来ませんし、許されません。
お寺にも自宅のご宝前にも、本門佛立宗のシンボルである「仏丸」が輝いています。この仏丸をデザインされたのも開導聖人ですし、誰にでも分かりやすく覚えやすい「御教歌」を製作されたのも開導聖人です。開導聖人を「幕末・維新の仏教改革者」と呼び、歴史的に再評価する機運も高まっています。本家本元、佛立宗のお教務さんやご信者さんがその存在価値を分からないようでは、恥ずかしいだけではなく、佛立教講と言えなくなってしまいます。
金沢大学の宗教学者・戸頃重基教授という方は、近代宗教史を評価して、下記のようにはっきりと記しておられます。
新興宗教のなかで最大の組織を持つのは創価学会、それに対抗するのは立正佼成会、立正佼成会の産出母胎は霊友会、これらのすべての教団が見習った原点に、長松清風という宗教者、仏教改革者、本門佛立宗という宗団がある、しかしこれを知る人は少ない、とあります。
幕末から明治にかけて、長松清風がおこした本門佛立講(昭和21年、開講九十年を記念し法華宗から独立して本門佛立宗と改称)こそ、大和の農婦・中山みきの創唱した天理教、備中の川手文治郎を祖とする金光教と並ぶ近代日本宗教史の草分けなのである、とも指摘しているのです。
新興宗教教団と並び評されたり、それらの「草分け」として評価されたりしても、開導聖人の存在価値やご奉公は別次元のものです。開導聖人は、しっかりと伝統的で、正統な仏教の系譜と教義を受け継ぎ、その上で形骸化していた「仏教」を民衆のもとに帰そうと生きられました。だからこそ、私たちは臆面なく「真実の仏教」「生きた仏教」といいます。仏教に命を吹き込み直し、再生させたのが開導聖人という方でした。
ところが、戸頃教授は次のように続けています。新興教団の多くが大衆教化の方法を本門佛立講から学びとったほどでしたが、現在の本門佛立宗は小さな教団にとどまっている、それは戦後独立してから万事僧侶主義となり、在家仏教の気迫を失ってしまったからでしょう、と指摘されてしまうのでした。
現証の御利益にあふれた、尊いご信心のはずですが、心がけ次第で形骸化した宗教団体と変わらなくなり、停滞や衰退もあり得るということです。
今月、御50回忌をお迎えする日博上人は、一人の貧しい青年が、生死をさまよう重い病気となり、お折伏をうけて入信し、御利益によって一命をとりとめ、救われて、随喜し、決定して、教務となった御方です。
異彩を放つご奉公の数々は、まさに不屈の佛立魂と言えるでしょう。まさに、開導聖人の御意を身に体し、実践、体現されたものです。
開導聖人御生誕200年慶讃ご奉公の中で、妙深寺の初代ご住職・日博上人の御年回を迎えさせていただけることは、私たちにとって本当に幸せなことだと思います。
まさに草莽の佛立菩薩道。在家から出家となり、教講一体でご奉公を進められた日博上人という指標があるからこそ、迷わずに生きてゆける、間違わずにご奉公させていただけるというものです。
形骸化とは無縁の、生きた仏教、気迫にあふれた、純粋なご信心。
開導聖人のお誕生日をお祝いし、同時に日博上人にお歓びいただけるよう、気迫をもったご奉公をさせていただきましょう。
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