2016年4月9日土曜日

パパ

パパ

大学時代、ジェットスキーというスポーツをしていました。

アマチュアからプロテストに合格し、エンジンやマシン、ガソリンやオイルをスポンサーさまから提供いただけることになり、本当に救われました。

プロ2年目はPERSONS JETSKI TEAMに入れていただき、走らせていただきました。

本当に、鼻っ柱の強い、生意気で、分けの分からない小僧でしたから、きっと周りの方々にご迷惑をたくさんおかけしたと思います。

しかし、素晴らしいチームに恵まれ、素晴らしい仲間にめぐり合い、みんなと一緒に日本各地を転戦して、本当に素晴らしい時間を過ごしました。

パパ。

PERSONSで、最もお世話になったメカニックの石崎さん。

ヤンチャな、全くの子どもだった僕の面倒を、ずっと見てくださいました。

八王子の大学から、厚木にあったパパのジェット・ファクトリーまで、どれだけ通ったことか。

エンジンが出来上がると、相模川の河口までマシンを持ってゆき、馬入橋の下に浮かべてテストしました。

レースにおけるジェットスキーのスタート。

石崎パパがマシンを抑えて、僕がスロットを吹かし、スターティングフラッグとともに沖のブイまで一気に加速する。

この馬入橋のテストで、キャブレターやフィンの調整を何度も何度も繰り返していました。

忘れられないのは、ミシシッピ川の6500キロを縦断するロケ、大冒険を、一緒に過ごさせていただいたことです。

忙しさに任せて、全く会えていなかった。

あの頃からすれば25年、ミシシッピからすれば17年くらい経ったでしょうか。

そのパパが、突然亡くなったと聞き、額然としました。

桜の花を見上げながら、いつも無常を思っていたとはいえ、突然の訃報に額然としました。

今夜、ご奉公を失礼して、パパですから、茅ヶ崎で執り行われていたお通夜にお伺いしました。

祭壇の、左側に、PERSONSのジャンバーが飾ってありました。

涙が溢れました。

受付の上にも、PERSONSの頃の写真が(涙)。

あれから、たくさんの時間が流れて、いろいろなお仕事、チーム、プロジェクト、あったと思うのですが、そこに飾ってあったのは、僕たちのチームのジャンバーでした。

古いアルバムをめくりました。

学生時代の写真には、みんなにスケジュールを説明する石崎パパの姿、みんなで楽しそうに片付けをする姿、記念写真がありました。

本当に、かけがえのないことを、たくさん教えていただきました。

こんなに早い別れが来る。

絶対に、もっとしっかりと、一緒に時間を過ごしたいと思いました。

今夜、古い古い知人、友人たちと会いました。

パパが会わせてくれたのかな。

きれいな、とってもきれいな、穏やかなお顔でした。

京都も、横浜も、ギリギリの準備ご奉公が続いていますが、、今夜は、自分のルーツの、お世話になったパパのお通夜に伺いました。

生前、あいつらに会いたいと言ってくれていたと聞きました。

本当に、俺も、会いたかった。

バカだから、会えなかった。

パパの分まで、しっかりと、生きてゆきたいと思います。

「散りますと 花のいうのを 聞いて呑め」

パパ。

ありがとう。

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