今日は京都で局議、この後18時からは長松寺の夜のお総講です。
昨夜は有り得ないようなシチュエーションで講演をさせていただきました。
普段は立ち入ることのない神社の中で、仏教僧が講演をするという、前代未聞の出来事でした。
サンマリノ共和国でもご一緒した宮澤代表の熱烈なお誘いをいただき、東洋と西洋の融合、文化の再発見と平和をテーマに開催されたイベントでした。
完全アウェーの状況で、皆さまのお話をお聞きしながら途中で帰ろうかと思いました(笑)。
でも、だからこそ貴重な貴重な機会でしたので、佛立仏教僧として、義は強く、言葉は柔らかく、丁寧にしっかりとお話をさせていただきたいと思いを新たにいたしました。
自己紹介に引き続き、幕末維新の仏教改革者・長松清風の紹介、坂本龍馬・海援隊の『閑愁録』についてもお話をさせていただきました。
そして、3年前の京都佛立ミュージアムの展示、昨年末ローマ法王が「焼き場に立つ少年」の写真を取り上げたこと、さらにはサンマリノ共和国での開催と、その劇的な経緯についてお話をいたしました。
両側に美しい巫女さんが見守っているという、あり得ない状況の中でしたが、神社というフィールドの中でも仏教を知っていただけたなら本望です。
私たちは「焼き場に立つ少年」の写真を見て単に涙するのではなく、幼い兄弟を思うからこそ敵と味方の境界を超えたオダネル氏の心の変遷を知るべきだと思ってきました。
これが仏教が考える「戦争」と「平和」だと思っています。
敵と味方を選別しているのは幻想や思い込みに過ぎない。高度を上げれば全く違う景色が見えてくる。
「境界を超える」
こうした教えが平和、ピースの原点だと信じております。
「この世の憎しみは憎しみによってやむことはなく、慈愛によってのみやむ。
これは永遠の真実である。
愛によって怒りに打ち勝て。
善によって悪に打ち勝て。
与えることで貪欲に打ち勝て。
真実によって偽りを言うものに打ち勝て。」ダンマパダ
能にも通じる巫女舞を拝見していると日本文化の奥深さを感じます。映画『君の名は』の1シーンを思い出しました。
戸越八幡神社はあと数年で創建500年を迎えるそうですが、その沿革の始まりは仏教僧によるのだそうです。このことも初めて知りました。本当に私たちが忘れている深く密接な関係があります。
700年以上前、日蓮聖人が「八幡大菩薩は法華経の行者を守るべきではないか」という旨をお手紙に認められていたのも思い返していました。
とにかく、あり得ない、参加者の方々から「なんで坊主がこんなところにいるんだ!」と叱責を受けてもおかしくない状況でしたが、皆さまのおかげでお役目を果たすことが出来ました。ありがとうございます。
100万人のクラシックライブでも活躍されているミュンヘン在住のヴァイオリニスト・鈴木舞さんと、全く異なる和楽器と西洋の楽譜の両方を読める数少ない琴演奏者・山水美樹さんの素晴らしい演奏でした。
シトシトと、霧雨の降る京都で、これから長松寺のお総講を奉修させていただきますー。
妙深寺も、長松寺も、本晨寺も、スクリーンに写真を投影して紹介させていただきました(汗)。
京町家の長松寺に、皆さん驚かれていました。
とにかく、今は心身ともにヘトヘトですー。
スタッフの皆さまに心から感謝申し上げますー。
ありがとうございます。
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