2019年6月3日月曜日

石田さんのお見送り












6月2日と3日、私たちの15年間に及ぶ、長野でのご奉公を共にした、石田さんのお見送りのご奉公をさせていただきました。


こんなに涙が出たのは久しぶりです。滔々と、ひたすら涙が出ました。


佛立信者の帰寂は悲しいものではない、と教えていただいていながら、これまでのご奉公が思い出されて、涙、涙でした。


平成9年以来、22年間、苦労の多いご奉公をいただきました。


分からない人には絶対に、永遠に分からない、まさに末法の混乱と、法華経、如説修行抄を身に読むようなご奉公をいただきました。


割るのは簡単。悦に入るのも簡単。しかし、そこに真実はありません。バラバラを一つにするご奉公。面倒なご奉公を強いてしまいました。


結果は、今の見事な、一つになったご信心の姿、あるべき法城の姿です。


藤本御導師のご遷化直後、本山で24時間のお看経をさせていただいた後、飯田市に向かいました。


あの時もずっと泣いていた。


1月。寒さ厳しい本山の本堂でした。そして、寝ないで飯田市に着きました。


あの時、石田さんから温かいステテコと下着のセットをいただいたんです。本当に、あたたかい。ヒートテックなんて、まだなかった頃。


なんか、変なことばかり思い出しました。


いつも、長野駅の改札口で待っていただいて、そこから石田さんの車で、北は信濃町、ある日は一山さんの志賀高原、ある日は飯田市まで、広い長野県を走り回ってご奉公させていただきました。


駒ケ岳の千畳敷に連れていっていただいたこと、すごいガスでほとんど景色は見えなかったことも、とてもいい思い出です。


とにかく、たくさんのご奉公が私たちの宝物でした。


積み重ねた功徳は、火にも焼かれす、水にも漂わない。消えることはありません。カルマ、エネルギー保存の法則。だから、泣きながらでもいいことをせよ、なのです。


昨日は人の上、今日は身の上。


通れると思って門が開かず途方に暮れている人が溢れているでしょう。開くわけがありません。寂光で勝負せよと教えていただきました。第六段を身に読む人にのみ寂光の門は開くのだから。


こんなにも泣けたのは、とにかく一番苦しい状況にあった中で、ずっと一緒に、黙々とご奉公くださっていたからです。


いつも、いてくださいました。


私たちは幸せでした。本当にありがとうございました。


まだまだ、末法のご奉公は続きます。みんなで気張らせていただきましょう。


南無妙法蓮華経。

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